2024年11月1日金曜日

変わるし変わらない日々

 ずーっと放っていたここ。しかしなんとなく消さずにいたここ。

こうしてブログという方法で書かなくても、オットとの会話、

義母との手紙のやり取り、Facebookで漏れ出させていた何か、

日々友だちと話す何かや、分析で話す何かで生きていっていた。

ブログにまとめて書かなくても、になっていたのではある。

あるが、それは一方で、ある程度の文章にまとめて表出するほど

じぶんのなかでまとまっていないとか、そういうことでもあるのかも

とも思う。


 さて。表題の件である。

変わるし変わらないんである。当たり前だけど。

変わったことの最たるものは、親と連絡をとっていない、

ということかも。向こうからは断続的になんかめちゃくちゃな

アプローチがあるけど、一切こたえていないのである。

もうそうすることにしてだいぶ経つ。

今までは 親なのだから と、まったく違う地平にいる

と感じながらも、それをなんとかする必要があるのではないか、

そうすべきなのではないか と連絡があれば返事をし、

なんらかの形で繋がりを切らずにいた。

が、それをして何か変わるのだろうか。

あの人たちはもうそれこそ 扉の向こう に行ってしまった。

母であったところの人がこちらに住んでいた頃に奇しくも

「マンションのドアを勝手に変えられた!」という

ありえへんことを 実際起きたこと として

言い募ったわけであるが、それ、ある意味正しかったんよね っておもう。

彼女らのいるところが、この世とは違うドアの向こうになってしまった

ということなんだろう。あの時完全に あの人らのいる場所は

わたしのいるこの場所とは違う場所になってしまったということなのだろう。


そして、まだ こちらの世 と繋がりがあるのではと思っていた父も

すでに母の世界に取り込まれ、ドアが変えられたかどうかはわからない、

盗まれるということは本当に起きている、わたしのオットがひどい言葉を吐いた、

と信じることにしたようだった。そしてやはり、父は自分の意思で

わたしに何かを言うことはなく、アプローチがあるときはすべて

母に何か言われて、とか、母を落ち着かせたいから、でしかないことが

どんどんわかっていった。


あの人らとの落としどころがあるのかもとも考えたが、

母の妄想を、妄想なのでは、ということを進言することはできても

それを突きつけることはわたしにはできなったし、

突きつけたところで妄想なので、

そうするとこちらの世との落とし所はなく、

あの人らが満足するには、わたしがあの人らのいうことを認めて、

オットがひどい人だった、騙されてた、みたいに言って

あの人らのもとに戻るしかない。

でもそれは絶対にできない、というか、それはわたしという存在の死を

意味するから、このままこちらの世にわたしはいる。

そのためには 連絡をしない 反応してあの人らの思う方向に行かない

ということを徹底しよう、とようやく思えたのだった。


 それが 変わったこと。

この先親が死んだり、その時親戚たちとどうするのか、とか

考えたら具合悪いことはたくさんあるけど、でも

わたしの精神が死なずに生き延びることができれば

そんなことはなんでもない と思える。


 そんな作業の間も変わらないのは

仕事、フラ、友だち、オットやねことのまいにち。

そのことがあって、わたしの人生がつつがなく過ごせている。

そういう変わらない日々に支えられて

わたしの変わるべきところは変わっていくことができるのだ

と思っている。ありがたいことだ。


 これからこの、変わらない日々にもそれなりの変化がありそう。

そのこともしっかり経験してやっていけるだろう。

変わるし変わらない日々がこれからも続く。





2022年2月6日日曜日

じんせいのながれ

前書いてから2年経ってた。

2年前のあの頃から世の中は コロナ禍 

というのになって、人々は会合をなるべく避け、

マスクをして過ごすようになっているのだ。

親のあれこれはますますひどくなり、

ひどくなったことにはコロナ禍だというので

積極的に会うとか家を訪問するとかをしなくていい

といいことにほっとしたわたしの在り方も

関係している、とはおもう。


思うのだが、わたしの想像していたよりずっと

母のわたしへの執着は強く、

いよいよオットが悪者である世界を構築してしまう

というところまできてしまい、それがおそらく

認知症とあいまっていることが考えられる

そんな状態になってしまった。

父も母の言うことを完全に信じて、

わたしをひどい娘と言い、オットをひどい婿と言い、

こんなところにいてもつらいから故郷に引っ越す

と言っているのだった。

高齢ゆえ、なかなか家は決まらないようだが、

もうわたしはそこに声をかける気力も残っていない。


けれど、もういよいよわたしは

わたしの抱える親へのあれこれを作業しないとだな

ということになって、17年ぶり?に

別の分析家のもとに教育分析に通うようになった。


そしてずっとずっと覚えていた幼い頃の夢を話し、

ずっと傷ついてきた何かを話し、

幼い頃からわたしが事態に入り込まずに俯瞰して見る

という能力を発展させてきたことに気づいた。

まだ抽象的に物事を考えられないような

幼稚園児だった頃から。「空飛ぶ車」に

わたしは乗っていた。


先生は その車はあなたを守ってくれたもので、

だから降りたりしなくていいと思うし、

降りたら大変だし、なにより車というのは

動かすことができますからね、と言った。

その車に乗って、わたしは親やまわりのようすや、

いろんなひとの心の動きや、闇や、そんなものを

俯瞰するように見て、そうして

自分の身を守ってきたのだ。


でも。

でもわたしはじぶんが地べたに降りたり、

ものごとに巻き込まれたり、ということを

ほとんど経験していないのではないか

経験しているように見えて。


ここでもよく なんでも経験し尽くしてやる とか

言ってて、実際そうしてきたつもりだったけれど

わたしはずっと この車に乗って

そこからまわりを眺めてきたのではないのか。


わたしが頭でっかちなのも致し方ないし、

それにはほんとうに長い歴史があったのだ。


でも、わたしにいま必要なのは

じぶんの闇や、とんでもないものや…

それらをわたしのものとして見るような

そんなことなのかもしれないし、

それはやらないわけにいかなくて分析に行こう

ということになったのかもしれない。


ともかく、味方になってくれるオットや友だちもいて、

わたしにはこの日々の生活がある。


それがちからになってくれるとおもう。


両親にはお世話になって生きてきたけれど

でも やっぱりあなたたちの人生は

わたしが負うものではないと思う。


人生の最期みたいなときにこんなことになって

ほんとうにかわいそうだとおもう。けど、

わたしはわたしの人生を生きたい。


そしてもしかすると、いま いわゆる優しくする

みたいなことが絶対にできない と思う

こんなことになってるのは

実はわたしがずっと 空飛ぶ車 に乗って

おのれのナマをコントロールできずにいるから

なのかもしれない。


そんな、じんせいの、ながれ。

生きて死ぬぞ。








 

2020年1月30日木曜日

まだ盗まれる

アルバムを盗まれたんですって。
物色されたあとはないのに。
その直前くらいに、廊下に管理人がいたんですって。
鍵をかけずに郵便を取りに行ったら、
帰りにはへんな開き方をしてたんですって。
大丈夫だと思って鍵を閉めたのに、
夕方には鍵が全部あいてたんですって。

本当かよ。

ていうか、もうね、盗む必要のないものを盗まれてる
っていうのがどうにも。このたびは
やっぱり 盗まれる というこの事態は
両親の ていうか 母の 何かだと
確信を持つ感じになってきたのではある。

警察のひとも困ってたけど
でも ちゃんと言っておくほうがいいよ
と思って警察に言うように伝えたのだ。

母によれば 父がたまに
ちょっと解離?認知症の一環?
みたいな症状があるみたいだし、
そのあたりとか もしくは
母自身 気づかないうちにどこかにしまい込んだり
といかいうこともあるんじゃないのかな
と思ったりするんだった。

とりあえず 盗まれる という
そういうアレがまだ続くっていうのは
盗まれることで守らねばならぬものが
まだ続いているってことなんだろう。

きっと父との関係だったり
悪を外在化するアレだと今は思う。

病院に連れて行く、っていう話でもないし
もうそういう ぼちぼちとしたものを
盗まれながら生きていくしかないんだろう
くらいに思ってしまった。


警察のひとが優しくて、
とりあえずなんかそういうことがあったんだな
ということで受け止めてくれたのだと思うので
まぁそれでいいや。

わたしが借りてる部屋だからとかいって
判断をわたしに委ねてきた母だが
でもやはりこのあたりは
気にかけつつも母と父にやってもらおう。
やっぱりそうしよう。

あぁなんにしろひとの生き方だとか
心構えだとか在り方だとかが関係してくるから
物理的なものだけ関わる とか
むずかしい。

父とのことは聞きません って言ったのも
わたしの子どもの頃の写真が盗まれたのに
関係している気もするしね。
すべてを味方してくれるわたしがいなくなったんだなぁ。


ということでね。わたしもなんとか生きる。
ちょっと昼からふさぎこんだが、生きる。