土曜日曜ととうきょうに行って いろいろなひとたちと会ってきた。
土曜日にフラのレッスンのあと いそいそと準備をして
飛行機に乗って羽田に飛んだあと わたしは久しぶりに
四ッ谷のまちにむかった。
大学時代のサークルの先輩後輩および同期のみなさんと
忘年会のようなものをおこなったのだった。
ほんとうにひさしぶりだったけれど 会いたくてもなかなか会えない
そういうひとたちと会えて あと 当時ものすごくお互い苦手だった先輩と
だいぶたのしく話すことができて あぁ 当時からこのひとはおそらく
こういう感じだったのを わたしはこころが狭くてちっとも許せなかったんだなー
などと感じ入ったりして とても有意義だった。 さらには
お会計のときに 同期の男子2人が 「うず子(仮)の分はおれらで」
とかすらっと言って出してくれちゃったりとかして なんかもう
きみらはそんなステキなオトナ男子に成長しててうれしい などと
姉か母かのようなこころもちになって というどころか
なんならちょっとときめいたほどに 非常に感激してしまった。
そういうことを当たり前にできるのって
実はなかなかにすごいことなんじゃないか とおもうのだ。
そういうひとが同期だなんて ほんとにほんとにうれしくてほこらしい。
明けて日曜日。 朝からだいすきなトモダチのやっている鍼灸院にお邪魔して
顔から身体までがっつり施術していただき つるんとなって(しかも小顔になって)
2人して羽田にむかい、そこでもうひとりのだいすきなトモダチと合流して
昼から酒を飲みつつ会合をおこなった。
わたしたち3人の出会いは偶然のような必然で
わたしは 今日会った彼女らと あと この夏にハワイに一緒にいったトモダチと
このように知り合ってつながることができている ということで
世界のしくみをこころから信じよう というきもちになることができた
といっても過言ではない という そのくらいの つながりなのだ。
そのくらいのつながりなものだから
このたびはとうとう うちひとりとは姉妹だと間違えられる始末。
顔やたたずまいまで似てきているらしい。
これまでも 2人とはそれぞれといろいろ話してはきたけれど
会えることは限られていて さらには 3人で会う となると
なかなか機会がなく 知り合ってもう8年くらい経つのに
3人そろって会ったのは 実はまだ2回目なのだった。
しかしながら それが感じられないくらい 会えないあいだも
がっつりつながっていて そのつながりをより強固にしたのが
このたびの会合であった とはっきり言える。
あんまり言うと すばらしさが出ていっちゃいそうだから
このくらいにしておこう。 ほんとうにすばらしかったし
わたしはじぶんがまたちょっと すきになった。
加えてじぶんの顔も。 ありがとうありがとう。
ということですばらしい週末だったので 明日からもまた
わたしは地道に目の前のことをおこないます。
2012年12月9日日曜日
2012年12月6日木曜日
Shall we dance?
風邪をひいているあいだも
どうしてもなにか 身体を動かしたいようなきもちはあって
でももちろん 走るわけにはいかないし さすがに
走りたい とまでは思わなかったのだけれど
踊りたい とは思って 実はだるい間であっても
まいにちほんのすこしずつ 踊っていたのだった。
とはいえ そういうときの踊りは いつもよりも
ちょっとばかり投げやりというか 気を配らないもの に
なってしまっていたようにもおもうけれど
ともかく ハワイアンミュージックにのせて
フラを踊る というのが わたしにとっては
とても心地のいいもの としてインプットされているらしい。
まさか そういうふうにすきになるとは思っていなかったけれど
中学とか高校とかでむりくりやらされた創作ダンスとか
運動会のお遊戯の思い出より よほどたのしく感じられていて
そのことが とてもうれしい。
幼稚園のころ バレエ教室が幼稚園の一室を借りておこなわれていた
という関係で わたしの通った某カトレア幼稚園のジョシのあいだでは
バレエを習うことがトレンドだった。
わたしも例に漏れず途中からその教室に通ったのだけれど
天性の身体の硬さとリズム感のなさ みたいなものが災いして
結局たのしくなくなってしまって 2年くらいは続けたはずだけれど
その後の壁が越えられず やめてしまった。
のだが、習い始めて まだ そんなに身体の硬さがどうこう問題にならず
ともかく音楽に合わせた振り付けがあって みたいなとき
わたしはとてもたのしく踊っていたような気がする。
幼稚園のお遊戯会でも ひとり桁違いな笑みを浮かべて踊っている写真 が
残っているし どうやら わたしはそもそも 踊る ということが
すきだったらしい。
上達しようと思えば たのしいだけ ではすまされず
それなりの努力を重ねる必要があるし
持って生まれた素質 のようなものはいかんともしがたいので
じぶんが 踊りの名手 のようなものには
どうしたってなれないことは わかっている。
わかっているのだけれど わたしはもうすこし
この 踊るたのしさ 踊るよろこび というものに
じぶんをゆだねていくのがいいのだろう という気がしてならないし
そのための 多少の努力 みたいなものも
いまだからこそ できるのかもしれない とおもう。
ちびっこのころは 自尊心とか できないじぶんを認められないきもち
のようなものが全面にでてしまっていたけれど
いまは じぶんのできなさ加減 のようなものがよくわかっていて
だから あゆみの遅いじぶん をそこまで残念に思わずにすむ。
そこまで上達しそうにもないのにやたら熱心に検定受けたりして
ちょっとめんどうくさい生徒 かもしれないけれど
そうやって じぶんなりに課題に挑戦していきながら
じぶんなりに 上達して 踊り をもっとたのしめるようになりたい。
やっぱり 来年の目標は ひとまえで踊れるようになること だ。
走ること 以外に 続けたいことが増えた。
続けたいふたつのことが 両方とも 身体を動かすこと
だなんて いったい 誰が想像しえただろう。
もっともっと開きたい。
2012年12月3日月曜日
かぜをひいた意味
ひさしぶりに猛烈にのどがはれてしまって
きょうは仕事を早退させていただいて 病院にいってきた。
高熱が出るでもなく 食欲も まったく 衰えていないうえに
なぜか王将の焼き飯が食べたくてどうしようもなくて買って帰り
晩ごはんに食べたほどで なので
はやめに対処できているぶん すぐに治るだろう と思われる
そういう風邪だ。
とはいえ。
これは病院に行かないと治らないよなー というレベルにまで
のどがはれてしまったのは 数年ぶり だとおもうし
体調管理には気を配っていた(つもりだった)だけに
衝撃は大きかった。
そんなこんなで このたびの風邪の意味 をきちんと考えようとおもう。
なぜいま このタイミングで風邪をひいたのか ということを。
そうでないと きょうはちょっと 仕事にも影響を出してしまったし
(早退した ということだけでなく)これはなんとなく
ただ寒かったし とかそういうことではすまされない感じがするのだ。
正直 いまわたしは これまでのじぶんのやりかた のようなものから
あたらしく 引き受けてやっていくやりかた のようなものへの
移行期にあって じぶん自身を否定したくなくて仕方がない みたいな
ちょっとだだをこねるような部分がある。
あたらしいやり方でやっていこう とすることは
これまでのじぶんが情けなくてどーしようもない ということを
認めることになるのではないか というような
そんな それこそどーでもいいようなことをつい
思っているように感じることがある。
けれど もうわたしは わたしの全体が求めている
そして 起こる出来事がすべて指し示している 次の
あたらしい 引き受ける というやりかたをやらざるを得ないことも
わかっているのだ。
わかっているのに これまでのじぶんを認めたくないわたしが
上から押し付けるような態度を一瞬でも持ち出してきたのだし
それが出やすくなるような こういう体調をもたらしたのだ とおもう。
もうあたらしいわたしに わたしをすっかり 明け渡さなくては。
せっかく もうだいぶ わたしはあたらしいわたしへと変わっているのに。
その作業をがんばった というところも このたびの体調には
関係しているとおもうけれど そのことよりも これまでのわたし の
最後の抵抗 のように感じられる。
これまでのわたし が きちんと成仏できるように。
あたらしいわたしに しっかり根付いて変容していけるうように。
すべてを丁寧に さいごまで見届けようとおもう。
きょうは仕事を早退させていただいて 病院にいってきた。
高熱が出るでもなく 食欲も まったく 衰えていないうえに
なぜか王将の焼き飯が食べたくてどうしようもなくて買って帰り
晩ごはんに食べたほどで なので
はやめに対処できているぶん すぐに治るだろう と思われる
そういう風邪だ。
とはいえ。
これは病院に行かないと治らないよなー というレベルにまで
のどがはれてしまったのは 数年ぶり だとおもうし
体調管理には気を配っていた(つもりだった)だけに
衝撃は大きかった。
そんなこんなで このたびの風邪の意味 をきちんと考えようとおもう。
なぜいま このタイミングで風邪をひいたのか ということを。
そうでないと きょうはちょっと 仕事にも影響を出してしまったし
(早退した ということだけでなく)これはなんとなく
ただ寒かったし とかそういうことではすまされない感じがするのだ。
正直 いまわたしは これまでのじぶんのやりかた のようなものから
あたらしく 引き受けてやっていくやりかた のようなものへの
移行期にあって じぶん自身を否定したくなくて仕方がない みたいな
ちょっとだだをこねるような部分がある。
あたらしいやり方でやっていこう とすることは
これまでのじぶんが情けなくてどーしようもない ということを
認めることになるのではないか というような
そんな それこそどーでもいいようなことをつい
思っているように感じることがある。
けれど もうわたしは わたしの全体が求めている
そして 起こる出来事がすべて指し示している 次の
あたらしい 引き受ける というやりかたをやらざるを得ないことも
わかっているのだ。
わかっているのに これまでのじぶんを認めたくないわたしが
上から押し付けるような態度を一瞬でも持ち出してきたのだし
それが出やすくなるような こういう体調をもたらしたのだ とおもう。
もうあたらしいわたしに わたしをすっかり 明け渡さなくては。
せっかく もうだいぶ わたしはあたらしいわたしへと変わっているのに。
その作業をがんばった というところも このたびの体調には
関係しているとおもうけれど そのことよりも これまでのわたし の
最後の抵抗 のように感じられる。
これまでのわたし が きちんと成仏できるように。
あたらしいわたしに しっかり根付いて変容していけるうように。
すべてを丁寧に さいごまで見届けようとおもう。
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