きょうは とてもたいせつな とても意味をもつ
おおきな仕事を成し終えた日でした。
この13年半におよぶ作業を ご一緒させていただいて
そのパートナーとして 選んでくださって(偶然の
たまたまの 出会いだったとはいえ)
ほんとうにほんとうに ありがとうございました。
ますます気を引き締めて こんなすばらしい瞬間に
立ち会えたよろこびを噛み締めて この先をゆきます。
2014年1月20日月曜日
2014年1月19日日曜日
ひらいてゆくこと
あぁ そうだったのか
とおもうようなことが いろいろと起きて
起きなきゃよかったことだって それはあるけど
でももう すべて あるべきように とにかく起きている
のだろう。 でもそれは わたしがまだ
そう言えるくらいのことしか 経験していないからだ
ともおもう。 わたしの人生は 繰り返したくはないけど
でも とてもぬるいとおもう。
ぬるいけど。 とりあえず いま きょうこのときまで
こんなふうに生きてきて たった2年くらいのあいだに
あらゆることが音を立てて めまぐるしく変わっていって
このくらい 変わらないと わたしはわたしのことに
あんまり気がつかなかったし 気がついたつもりでも
まだ かつてのやり方をそのままおこなってしまいそうになったり
ということもあった。
そして はっきりといえるのは
わたしはまだ わたしがいちばんたいせつだし
じぶん以外の誰かをたいせつにおもう ということを
ほんとうの意味では知らないまま こんな歳になってしまった
ということだ。
まだ と書いたけれど いつかわたし以上に誰かをたいせつにおもう
なんていうときがくるのかも わからない。
こないかもしれない。
****************
こどもの頃 両親を見ていてある日 このひとたちは
じぶんたち自身よりもわたしのことがたいせつなのか
と気付いて驚き、いつかわたしもこどもをもって
そういうこころもちを味わいたい そういうわたしになりたい
と思ったことを覚えいてる。 かならず こどもをいつか
ひとりは産んで育てたいと。
けれど それからもうすこし育って
こどもを産むことができる年齢になってゆくにつれ
わたしはそのことがとてもこわくなってしまい
なんだかんだと理由を付けて こどもをもつ ということから
遠ざかってしまった。 親とじぶんとの関係をまた
繰り返してしまうかも とか 求められていない とかなんとか。
そうしているうちに もう40歳を過ぎてしまって
よほどのことがないかぎり こどもを産むことはむずかしいときを
わたしは迎えてしまった。
****************
わたしは じぶんのことがいちばんたいせつだ ということを
いつまでも手放せずにいて こんなふうになっているのかな
とおもうことがある。もしくは それを手放してゆく準備すら
整えられないほどに じぶん に執着していたのだろう とも。
その証拠に わたしは こころからだれかをあいする ということすら
できたことがないとおもう。わたしがなんとなく 恋愛から遠く
縁がないのは わたしがひとりでたのしそう とか
かたい とか かつてじぶんをふためと見られぬ不細工とおもっていた
とか そういうことだけが理由ではない ともういいかげん
はっきり気付いていいとおもう。
わたしが わたしに固執して ぎゅっと閉じていて しかも
求めてばかりいるにんげんであることが どこか漏れ出ていたのだろう。
*****************
しかし じぶんをひらく という感じを
わたしはすこしずついま おぼえていて
もしかしたら このままずっと 恋愛という範囲では
だれかをあいしたり あいされたりすることなく
過ごす運命かもしれないけれど けれど
もうすこし 愛 ということには 触れてゆけるのではないかな
というふうには おもっている。
*****************
こどもを産みそだてる というしごとは
世の中でもっとも尊いしごとである とほんとうにおもう。
そのことに参加できないでいるからなおさら それがわかる。
これから先 わたしにその機会はない可能性のほうが高いけれど
機会があるかもしれない。 もうなにが起きるかは
ほんとうにほんとうにわからない。
わたしは だれかをじぶんのこと以上にたいせつだ とは
思ったことのない ざんねんな人間だけれど
これからできることをして あるべきやう に近づけるように
開いていこう とおもう。
とおもうようなことが いろいろと起きて
起きなきゃよかったことだって それはあるけど
でももう すべて あるべきように とにかく起きている
のだろう。 でもそれは わたしがまだ
そう言えるくらいのことしか 経験していないからだ
ともおもう。 わたしの人生は 繰り返したくはないけど
でも とてもぬるいとおもう。
ぬるいけど。 とりあえず いま きょうこのときまで
こんなふうに生きてきて たった2年くらいのあいだに
あらゆることが音を立てて めまぐるしく変わっていって
このくらい 変わらないと わたしはわたしのことに
あんまり気がつかなかったし 気がついたつもりでも
まだ かつてのやり方をそのままおこなってしまいそうになったり
ということもあった。
そして はっきりといえるのは
わたしはまだ わたしがいちばんたいせつだし
じぶん以外の誰かをたいせつにおもう ということを
ほんとうの意味では知らないまま こんな歳になってしまった
ということだ。
まだ と書いたけれど いつかわたし以上に誰かをたいせつにおもう
なんていうときがくるのかも わからない。
こないかもしれない。
****************
こどもの頃 両親を見ていてある日 このひとたちは
じぶんたち自身よりもわたしのことがたいせつなのか
と気付いて驚き、いつかわたしもこどもをもって
そういうこころもちを味わいたい そういうわたしになりたい
と思ったことを覚えいてる。 かならず こどもをいつか
ひとりは産んで育てたいと。
けれど それからもうすこし育って
こどもを産むことができる年齢になってゆくにつれ
わたしはそのことがとてもこわくなってしまい
なんだかんだと理由を付けて こどもをもつ ということから
遠ざかってしまった。 親とじぶんとの関係をまた
繰り返してしまうかも とか 求められていない とかなんとか。
そうしているうちに もう40歳を過ぎてしまって
よほどのことがないかぎり こどもを産むことはむずかしいときを
わたしは迎えてしまった。
****************
わたしは じぶんのことがいちばんたいせつだ ということを
いつまでも手放せずにいて こんなふうになっているのかな
とおもうことがある。もしくは それを手放してゆく準備すら
整えられないほどに じぶん に執着していたのだろう とも。
その証拠に わたしは こころからだれかをあいする ということすら
できたことがないとおもう。わたしがなんとなく 恋愛から遠く
縁がないのは わたしがひとりでたのしそう とか
かたい とか かつてじぶんをふためと見られぬ不細工とおもっていた
とか そういうことだけが理由ではない ともういいかげん
はっきり気付いていいとおもう。
わたしが わたしに固執して ぎゅっと閉じていて しかも
求めてばかりいるにんげんであることが どこか漏れ出ていたのだろう。
*****************
しかし じぶんをひらく という感じを
わたしはすこしずついま おぼえていて
もしかしたら このままずっと 恋愛という範囲では
だれかをあいしたり あいされたりすることなく
過ごす運命かもしれないけれど けれど
もうすこし 愛 ということには 触れてゆけるのではないかな
というふうには おもっている。
*****************
こどもを産みそだてる というしごとは
世の中でもっとも尊いしごとである とほんとうにおもう。
そのことに参加できないでいるからなおさら それがわかる。
これから先 わたしにその機会はない可能性のほうが高いけれど
機会があるかもしれない。 もうなにが起きるかは
ほんとうにほんとうにわからない。
わたしは だれかをじぶんのこと以上にたいせつだ とは
思ったことのない ざんねんな人間だけれど
これからできることをして あるべきやう に近づけるように
開いていこう とおもう。
2014年1月12日日曜日
お正月を過ぎて
ここ数年の それまでの30数年は何だったんだろう
と思えるくらいのいろいろな内的な変化は
わたしをどこに連れて行くのだろうか などとおもう。
じぶんのいいところも ダメなところも
ここ数年でおもてにあらわれたのだな とおもう。
はっきりと。 あからさまに。 だから
生じることのインパクトは相当なもので
これまでのじぶんの外的な制約とか関係とか
ともかくそういったものが このように
変わらざるをえなかったのだろう。 かっこうよく 言えば。
もちろんその実は ものすごくかっこうわるく
そして ただもう 起きるはずだったことが起きて
そのただ中にいる ということなのだけれど。
顔がかわった ということについては
ここでも何度も書いてきたけど
このたびはお正月に会った父に
「おまえは若いときより今の方がずっといいな」
と言ってもらえた。
きっと 父が思い描いていた ムスメ というものとは
大幅に違う とんでもないムスメと相成ってしまっているのだ
とおもうのにもかかわらず。 でも それでも
いま わたしがいまのわたしのこの顔でいられていることを
うれしくおもってくれているのだな ということが
やっとわかって ちょっと泣きそうになった。
わたし が まえよりずっと わたし になっていて
かつて 触媒ぽくいることでごまかしてきたのであろうことや
あまえの塊のような ひどい本質のような部分が
おもてにくっきりと あらわれてしまうようにもなったし
それと同時に わたしのもつ ひどいわけではないところの
本質の部分も たたずまいとして おもてにあらわれやすくなって
そうしたら いろんなことがほんとうに変わってしまった。
わたしがずっと じぶんをへんなふうに甘えさせて
いろんなことを実はなまけていたからだろう とおもう。
こんな極端なことに なったのは。
それでも いまの顔が これまでの人生でいちばんいい
という その事実は変わらないし わたしは42歳にならんとしている
いまから ようやくまた わたし をはじめていくのだろう。
*****************
実は ことしはリコンしてはじめて 元ダンナと年賀状を
出し合わなかったし いま元ダンナがどこに住んでいるのか
わたしは知らない。 引っ越す ということは 春に聞いたけど
住所をわたしは尋ねなかったし 彼も言わなかった。
それから 去年の正月にこじらせてた若い彼のことも
もうほんとうに連絡をとらないでいくんだなぁ と思ったし
風のうわさに ちゃんと大学も卒業したと聞いて うれしかった。
めんどくさかったなー とか 最終的には
とんでもなくイヤなひとだったなー とか
そんなふうに思われたくない と強く思っていた。
そこそこ きちんと関係したひとには。
でも そのひとの人生の物語のなかで わたしとの関わり が
どんな役割のものとなるかは もうわたしの本質のようなものとは
関係のないことだから そこはどうでもいい と
思えるようになった。 もし めんどくさい とか
イヤなひとだった と思われているとしたら
それは わたしがほんとうに そのひとにとって
そうとしか思えない言動をとったから なのだし
だから そこはどうあっても訂正できない。
わたしの中で どういう意味を持つか ということだけが
わたしにわかりうることだ というのもある。
ほんとうに一時代終わったんだ とおもう。
******************
ひりひりと痛む ずきんと痛む そういうものは
もちろんあるけど 生きていくね。
と思えるくらいのいろいろな内的な変化は
わたしをどこに連れて行くのだろうか などとおもう。
じぶんのいいところも ダメなところも
ここ数年でおもてにあらわれたのだな とおもう。
はっきりと。 あからさまに。 だから
生じることのインパクトは相当なもので
これまでのじぶんの外的な制約とか関係とか
ともかくそういったものが このように
変わらざるをえなかったのだろう。 かっこうよく 言えば。
もちろんその実は ものすごくかっこうわるく
そして ただもう 起きるはずだったことが起きて
そのただ中にいる ということなのだけれど。
顔がかわった ということについては
ここでも何度も書いてきたけど
このたびはお正月に会った父に
「おまえは若いときより今の方がずっといいな」
と言ってもらえた。
きっと 父が思い描いていた ムスメ というものとは
大幅に違う とんでもないムスメと相成ってしまっているのだ
とおもうのにもかかわらず。 でも それでも
いま わたしがいまのわたしのこの顔でいられていることを
うれしくおもってくれているのだな ということが
やっとわかって ちょっと泣きそうになった。
わたし が まえよりずっと わたし になっていて
かつて 触媒ぽくいることでごまかしてきたのであろうことや
あまえの塊のような ひどい本質のような部分が
おもてにくっきりと あらわれてしまうようにもなったし
それと同時に わたしのもつ ひどいわけではないところの
本質の部分も たたずまいとして おもてにあらわれやすくなって
そうしたら いろんなことがほんとうに変わってしまった。
わたしがずっと じぶんをへんなふうに甘えさせて
いろんなことを実はなまけていたからだろう とおもう。
こんな極端なことに なったのは。
それでも いまの顔が これまでの人生でいちばんいい
という その事実は変わらないし わたしは42歳にならんとしている
いまから ようやくまた わたし をはじめていくのだろう。
*****************
実は ことしはリコンしてはじめて 元ダンナと年賀状を
出し合わなかったし いま元ダンナがどこに住んでいるのか
わたしは知らない。 引っ越す ということは 春に聞いたけど
住所をわたしは尋ねなかったし 彼も言わなかった。
それから 去年の正月にこじらせてた若い彼のことも
もうほんとうに連絡をとらないでいくんだなぁ と思ったし
風のうわさに ちゃんと大学も卒業したと聞いて うれしかった。
めんどくさかったなー とか 最終的には
とんでもなくイヤなひとだったなー とか
そんなふうに思われたくない と強く思っていた。
そこそこ きちんと関係したひとには。
でも そのひとの人生の物語のなかで わたしとの関わり が
どんな役割のものとなるかは もうわたしの本質のようなものとは
関係のないことだから そこはどうでもいい と
思えるようになった。 もし めんどくさい とか
イヤなひとだった と思われているとしたら
それは わたしがほんとうに そのひとにとって
そうとしか思えない言動をとったから なのだし
だから そこはどうあっても訂正できない。
わたしの中で どういう意味を持つか ということだけが
わたしにわかりうることだ というのもある。
ほんとうに一時代終わったんだ とおもう。
******************
ひりひりと痛む ずきんと痛む そういうものは
もちろんあるけど 生きていくね。
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