どーにもさばけきれんくて、意味のないウソをつく。
まぁみんなわかってたとおもうけど。かくじつに。
ついうっかり て四十路にもなって言えないのは、
なんでだろうなああああ。
ごめんねみんな。納得したフリをさせて。てへ。
それはともかく。
やっぱり違うもんは違うし、そして、
すこしでもジョシ扱いしてくれるひとがめずらしいからといって
しがみつく必要もない。
というか、このたび、しがみつく必要も感じなかったし、
去年のアレのように減った感じもなかった。
わたしも ちょっとそうしてみたかったからだろう。
愛のなさはともかく。
この執着のなさに、おのれの進歩を感じたりして、てバカかおれ。
てことですべてはまなび。遊びならいいです、て占い師さんも言ってたし。
(こういうときに使う)
さ。節分。次、いってみよー!
2014年2月3日月曜日
2014年1月29日水曜日
まぐちのこと
お正月やすみがおわってまだそんなに間がないうちにまたおやすみ。
なんてステキ。
てのはともかく。
41歳なんだよね とかしみじみ思ったわけです。
年齢なんて関係ないじゃん とはよく言うし じぶんでも
そうだなー っておもうことも多いし でも。
でもね やっぱり 41歳なわけです。 41年と5ヶ月ほど
生きてきてしまっているわけです。当然 いろいろあるわけです。
こころにも からだにも。
じんせいでいちばん とおもうような こころの変化が
ここ2年くらいであったものだから わたしは残念ながら
いまがこう モラトリアムの終焉 みたいな
そういう甘い感じのこころもちでいるよな実際のところ。
ということに はた と気付いてあわてたりすることがあります。
もちろん どうあっても じぶんが何歳であっても
そのときのじぶんが経験すべきことをきっちり経験しない限り
いつまでもそのことはやってくるし それを
何歳くらいでやらなきゃいけないか とかにそう決まりはないのだけれど。
でも。 そうはいっても やっぱり 世の中 で生きている以上
それなりの和をもって 生きてゆきたい となると
年齢相応の何か というもの そういうものさしでじぶんを点検する視点
みたいなものは 必要なのだろうな などと思ったりもするのです。
ややこしいけど。
ところで じぶんのみのまわりにはだいたい
じぶんに相応したひとたちが集まってくるわけですけれど
それが縁というものだし ステージというものだし
そしてそのステージとやらは 断絶しているもの ではなくて
こう スペクトラム的な感じで連続しているもの
なのですよね。 だからやっぱり ぜんぶはどこかでつながっていて。
しかもそれには上下とか左右とかそういう概念を超えたもので。たぶん。
あぁまだ全然ちゃんとクリアになってないことを
書き出したので言ってることがめちゃくちゃだけれど。
*****************
ところで(2度目)。 「おまえは間口がひろがったな」と
大学時代の同期に言われました最近。
20年まえから間口がひろがるのはある意味当然だけど
そしてちょっと上からな感じで言われちゃってるけれども
実際わたしのハタチ頃というのは ほんとうに きゅううっと
小さかったとおもいます。 いまも そんなに 間口がひろい
わけではないとおもうし。 でも つい最近まで
年相応以上に間口が狭すぎて そのことはわたしを守ってもきたし
けれど わたしを残念なままにもしてきたと思います。当たり前か。
間口の狭さは ある種の枠 のようなものにもなっていた
のではないかと思います。 わたしが枠みたいなものとして機能してたことも
あるのではないかとおもいます。わたしと関わるひとたちの
一部にとって。 あ。書いてるうちに そりゃ誰でも
つきあっているひとたちにとって 枠 になりうるし、そういう役割は
果たしててあたりまえだよな と思ったけれど
なんていうんでしょうか。 狭いがゆえに 枠になりやすかった
みたいな。そういう。
そのかわり ある時期 がすぎれば その枠は ちいさすぎたり
かたちがおかしすぎて居心地がわるかったり していくこともあって
まぁそうなると 離れてゆくよねひとは。 さらに
触媒ぽい性質とあいまって なんかもう ていう感じだったな。
人間としてのうつわ みたいなことのはなしだけど。
要するに めっちゃうつわが小さかったよねおまえ
て言われたっていうことなんだなぁ と気がついたよなう。
わたしはじっさい ちいさいうつわしか もっていなかったのだけれど。
そして そのことをどうしても 認めたく なかったのだけれど。
でも もし「間口がひろがったな」と言ってくれたそのことばが
ほんとうだとしたらうれしいし わたしはもっとこれから
開いてゆきたい。ひろがってゆきたい。わたし自身の世界を
ひろげてゆくために。 だれかの枠になることだけを 求めずに。
なんてステキ。
てのはともかく。
41歳なんだよね とかしみじみ思ったわけです。
年齢なんて関係ないじゃん とはよく言うし じぶんでも
そうだなー っておもうことも多いし でも。
でもね やっぱり 41歳なわけです。 41年と5ヶ月ほど
生きてきてしまっているわけです。当然 いろいろあるわけです。
こころにも からだにも。
じんせいでいちばん とおもうような こころの変化が
ここ2年くらいであったものだから わたしは残念ながら
いまがこう モラトリアムの終焉 みたいな
そういう甘い感じのこころもちでいるよな実際のところ。
ということに はた と気付いてあわてたりすることがあります。
もちろん どうあっても じぶんが何歳であっても
そのときのじぶんが経験すべきことをきっちり経験しない限り
いつまでもそのことはやってくるし それを
何歳くらいでやらなきゃいけないか とかにそう決まりはないのだけれど。
でも。 そうはいっても やっぱり 世の中 で生きている以上
それなりの和をもって 生きてゆきたい となると
年齢相応の何か というもの そういうものさしでじぶんを点検する視点
みたいなものは 必要なのだろうな などと思ったりもするのです。
ややこしいけど。
ところで じぶんのみのまわりにはだいたい
じぶんに相応したひとたちが集まってくるわけですけれど
それが縁というものだし ステージというものだし
そしてそのステージとやらは 断絶しているもの ではなくて
こう スペクトラム的な感じで連続しているもの
なのですよね。 だからやっぱり ぜんぶはどこかでつながっていて。
しかもそれには上下とか左右とかそういう概念を超えたもので。たぶん。
あぁまだ全然ちゃんとクリアになってないことを
書き出したので言ってることがめちゃくちゃだけれど。
*****************
ところで(2度目)。 「おまえは間口がひろがったな」と
大学時代の同期に言われました最近。
20年まえから間口がひろがるのはある意味当然だけど
そしてちょっと上からな感じで言われちゃってるけれども
実際わたしのハタチ頃というのは ほんとうに きゅううっと
小さかったとおもいます。 いまも そんなに 間口がひろい
わけではないとおもうし。 でも つい最近まで
年相応以上に間口が狭すぎて そのことはわたしを守ってもきたし
けれど わたしを残念なままにもしてきたと思います。当たり前か。
間口の狭さは ある種の枠 のようなものにもなっていた
のではないかと思います。 わたしが枠みたいなものとして機能してたことも
あるのではないかとおもいます。わたしと関わるひとたちの
一部にとって。 あ。書いてるうちに そりゃ誰でも
つきあっているひとたちにとって 枠 になりうるし、そういう役割は
果たしててあたりまえだよな と思ったけれど
なんていうんでしょうか。 狭いがゆえに 枠になりやすかった
みたいな。そういう。
そのかわり ある時期 がすぎれば その枠は ちいさすぎたり
かたちがおかしすぎて居心地がわるかったり していくこともあって
まぁそうなると 離れてゆくよねひとは。 さらに
触媒ぽい性質とあいまって なんかもう ていう感じだったな。
人間としてのうつわ みたいなことのはなしだけど。
要するに めっちゃうつわが小さかったよねおまえ
て言われたっていうことなんだなぁ と気がついたよなう。
わたしはじっさい ちいさいうつわしか もっていなかったのだけれど。
そして そのことをどうしても 認めたく なかったのだけれど。
でも もし「間口がひろがったな」と言ってくれたそのことばが
ほんとうだとしたらうれしいし わたしはもっとこれから
開いてゆきたい。ひろがってゆきたい。わたし自身の世界を
ひろげてゆくために。 だれかの枠になることだけを 求めずに。
2014年1月20日月曜日
ありがとうございました
きょうは とてもたいせつな とても意味をもつ
おおきな仕事を成し終えた日でした。
この13年半におよぶ作業を ご一緒させていただいて
そのパートナーとして 選んでくださって(偶然の
たまたまの 出会いだったとはいえ)
ほんとうにほんとうに ありがとうございました。
ますます気を引き締めて こんなすばらしい瞬間に
立ち会えたよろこびを噛み締めて この先をゆきます。
おおきな仕事を成し終えた日でした。
この13年半におよぶ作業を ご一緒させていただいて
そのパートナーとして 選んでくださって(偶然の
たまたまの 出会いだったとはいえ)
ほんとうにほんとうに ありがとうございました。
ますます気を引き締めて こんなすばらしい瞬間に
立ち会えたよろこびを噛み締めて この先をゆきます。
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