2014年4月8日火曜日

残念ながら それでもやはり 還したい

 結局のところ じぶんを肯定したい。

 結局のところ じぶんの在り方がこれはこれでアリなのだ と思いたい。

 ただそれだけ なのかな と思ったりする。残念ながら。
超絶にださいけれど。

 じぶんのじんせいが ものすごい勢いで劈けていって
とおもうぶん 痛いこともおなじくらい起きて
それでもわたしは いまのじぶんを肯定したくて
そのための言い訳をたくさんしているのに過ぎないのでは
と思うことがあるのであって。



 いまのじぶん に釣り合った じぶんに相応したひと
というのがあらわれて 一緒にいるとき が終わると去っていく。


 あぁかみさま(の、ようなもの)。
だから(だけど) やっぱりわたしはわたしを肯定します。
そうして できることをできるぶんずつ できる範囲で。
受け取ったら そのぶんきちんと 還せるように。

 

 

2014年4月6日日曜日

あしたから

 ながいはるやすみがおわって
あしたから新学期。 お仕事再開 です。
ことしのはるやすみも いろいろなひとと会ったり
いろいろなことがあって とてもたのしかった。
この季節は いろんなことをかんがえる。
いろんなことをかんがえて いろんなきもちになって。

 たのしい日々をすごしたあとは
ひとこいしくなる。 ちょっとだけ さみしくなって
恋愛したいモードが高まってしまう。

 でも このひとこいしいかんじが
そこまで長く続く気がしないから
さみしくて ついあまえたくなるのは
いまだけのような 気がするから
そういうふうには まだ あまえないでいる。



 過ぎ去ったむかし つきあっているひととか
つきあうことになりそうなひとに 
そういうふうに あまえることができたのは
もしかすると 相手のきもちがわたしにないことを
わかっていたからかもしれない。
最初から 見てもらってないから
テキトウにあしらってくれる とわかっていた。
わかっていたけど それはつらくてさみしいから
もしかしたら 見てくれるかも と
どんどんあまえたのだとおもう。
アタマがわるかったなぁ。

 いまは そのときとは違っている。

 お互いの立場とか 状況とか 
そんなのかんがえて 踏み込めないでいるけど
でも じぶんを安売りする必要もないから
矜持をたもっていられるように おもうのだ。

 なーんていっても ちょっとはあまえたいけど。
そういう夜が きょうだけど。

 
 あしたから 新学期だから。

 

2014年4月2日水曜日

葛藤しようぜ

 去年のいまごろにここに書いたものを
ちらちらとながめてみたのであった。

 そうしたら 似たようなことを書いている。
当たり前だけど。 でも ちょっと違う。
すこしずつ 大きいテーマとの向き合いかたや
切り口や とらえかたや そんなものが変わっていて
わたしなりの進み方をしているのだな と
おもうことができた。

 いまでもテーマは やわらかく在ること
主体性をもって わたしがわたしで在る こと。


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 誰かの何かを増幅させて示すこと で
トクベツに思ってもらおうとするようなことはやめたい
と、気付いた去年から言っていて
そんなことはしなくても大丈夫だ とだいぶ
染み付いてきた とは思うのだけれど
そうなってきたときに その感じ と 
場とのバランスがぶつかる感じ が
鮮明になってきたな などと思っている。
おそらく 誰しもがあたりまえに どーすっかなー
みたいな感じで苦慮してスタンスを決めたりしてきたところ。

 わたしは もともと触媒みたいなところがあって
拾って増幅させるのが得意だから そして かつては
それがわたしの存在価値であるとして疑いもしなかったから
あまり葛藤なくそうしていたようにおもうけれど
気付いてみれば 葛藤するものじゃないのこれって という
そういう事ごとであったのだ。

 えーと。 なんていうんですか。 
誰に対してもいい顔 って できないよね
ていう そういう。あたりまえすぎて死にそうなやつ。

 あなたは どう思うの? 
あなたは この人との関係をどうしたいの?

 みんながそのひととどんな関係でいて
どんなふうに思っているか に気付くことも
それはたいせつかもしれないけれど
わたしがどう思うか ということがいちばんたいせつで
そこをあらわすことができない限り わたしはまた
おなじ課題を何度だって ひどいかたちで繰り返すことになる。


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 という ひととして在るときにあたりまえの基礎
みたいなところを わたしはまだやってたりもするのだった。
それでもやはり 去年とは違うわたし。
いまこの瞬間に わたしをとりまく 
わたしの 外的 内的 双方の世界をたいせつにして
起きたことを 起きたこととして受け入れる作業を
これからも。