なんだかんだであたらしい課題がやっぱり出てくるんである。
しごとの面でなのだけれど。
わたしのほんとの本職?とは別に
このしごとに就きたいとおもっているかわいこちゃんたちの指導
みたいなことも いまはする立場にあって
そのしごとをするようになってことしで9年目になる。
最初のころは 彼女たちが懸命に取り組むようすを
わたしがしっかり見ている みたいなことをしているだけで、
ほんとうに音をたてて めきめきと勝手に育っていって
なんてらくちん と思ったりもしたものだったけれど
年々そうはいかなくなって まいとし 驚く何か や
一筋縄ではいかない状況がどんどん生じている。
ことしは いままでとはまた別の
このしごとの根底をまず信じられていないひと というのが
かわいこちゃんの中にいて、もちろんその彼女は悪気もなく
まじめで一生懸命で だからこそ どう説明してあげたらよいのか
ほんとうにむずかしいな と感じる。 しかも
その彼女の何か は いろんなひとの何か を刺激することも
あるようで 事態はさらに ややこしさを増しているのだった。
もはや当たり前だけど だれがよくてだれがまちがってる
とかそういう次元の話では これはないのだろうなぁ
と思っていて。 こういう感じのひとが この仕事をしよう と
考えることもある時代になっている ということ
こういう感じの在り方が生じていることを どう受け止め
どう活かしてゆくのか ということを考え始めなければならないのだろう。
それが いま こうやって生じている ということは
なにかのあらわれ であるのだし。
いま起きているこのことに わたしなりにしっかりとコミットしよう
とおもう。 だれかがただ傷ついて終わったり
ダメです! だけで終わったりしないような方向にすすむといいな。
きっとわたしたち指導側も あたらしい何か あたらしい視点
のようなものを求められているのだろう。 ここをがんばれたら
わたしたちの本職での可能性も もっとひろがるんじゃないかな。
そしてそれだけでなく わたしがよりじぶんを深めること
じぶんの在り方そのもの について深く感じ、考え、
変容していく ひとつのきっかけともなるのだろう と思っている。
2014年5月23日金曜日
2014年5月17日土曜日
そういうこと
いいわけのように いいきかせるように
いまこれはこれでじゅうぶんたのしいんだけどね
と わたしは言う。
半分 いやそれ以上 本当なんだとはおもう。
踊っているとき ともだちと会って酒など酌み交わしているとき
走っているとき 本を読んだりしているとき
仕事をして集中しているとき
わたしはいままでの人生になかったくらい それらのことを
こころからたのしんでいるし さみしいとか 漠然とした不安とか
そういうものはずいぶんと 影をひそめている。
痛々しいほどにこじらせていた若いころも
もちろんそれなりにはたのしいこともあったし
けれど全体の色としてはどんよりしていて
あの頃とくらべたら わたしはずいぶんと
息がしやすいひろいところにいるなぁ とおもう。
であるのだがしかし。
すこしばかり気付いているのは
なんだかんだいって 色情で身を滅ぼす と
ちびっこのわたしが占い師に宣言されたとかいうそのことを
わたしはどこかでひきずっているのだな ということ。
それがあるから? わたしはじぶんがたいそうもてないとか
パートナーが結局いまもみつからないとか
そういうことについて ものすごい負い目 というか
じぶんはダメな人間なんだなぁ とか思っちゃって
とか パートナーが一生いないのはさみしすぎるし
もしかしたらそれだって可能性としてありうる ということを
ほんとうは恐ろしくおもっている ということから
抜け出せないのでは みたいなことをおそれているのだ。
て なんだこのわかりにくい文章は。
えーと。 彼氏ほしいなー とか パートナーがいないのは
わたしがダメだからだ とか そういう ちょっと恋愛的な何か
に とらわれていることを 格好わるい とか思っちゃってる
そのこと自体がおそらく 色情で身を滅ぼす と言われたことの
ほんとうの意味なのかな というか。
そのへん 抜けたらいいのになぁ といまはおもう。
彼氏欲しくていいじゃん。 色情上等。
ていうふうに 言えるくらいになったらきっとそれは
それも ともかくもういまあるようにやろうよ っていう
そのこととおなじになるんだとおもう。
格好つけて どーでもいいふり とかしてるけど
ほんとはぜんぜんどーでもよくない。
けど さみしさだけで ジョシ扱いされたことが
ものめずらしいだけで すがっていくようなことは
もうみじめすぎるからしたくない。
て 書いてみると 当たり前のことだし
いいではないかもう。 そういうことなんだから。
みずからを おんな と認めて さらには
その価値 みたいなものをだいじにしてもいいんじゃない
って思ってからまだ日が浅いから もろもろの処理が
へたくそなのは仕方ない。
ということで まぁ日々は過ぎます。
わたしはまだまだ 解き放っていくよ。 まぁ見てなって。
いまこれはこれでじゅうぶんたのしいんだけどね
と わたしは言う。
半分 いやそれ以上 本当なんだとはおもう。
踊っているとき ともだちと会って酒など酌み交わしているとき
走っているとき 本を読んだりしているとき
仕事をして集中しているとき
わたしはいままでの人生になかったくらい それらのことを
こころからたのしんでいるし さみしいとか 漠然とした不安とか
そういうものはずいぶんと 影をひそめている。
痛々しいほどにこじらせていた若いころも
もちろんそれなりにはたのしいこともあったし
けれど全体の色としてはどんよりしていて
あの頃とくらべたら わたしはずいぶんと
息がしやすいひろいところにいるなぁ とおもう。
であるのだがしかし。
すこしばかり気付いているのは
なんだかんだいって 色情で身を滅ぼす と
ちびっこのわたしが占い師に宣言されたとかいうそのことを
わたしはどこかでひきずっているのだな ということ。
それがあるから? わたしはじぶんがたいそうもてないとか
パートナーが結局いまもみつからないとか
そういうことについて ものすごい負い目 というか
じぶんはダメな人間なんだなぁ とか思っちゃって
とか パートナーが一生いないのはさみしすぎるし
もしかしたらそれだって可能性としてありうる ということを
ほんとうは恐ろしくおもっている ということから
抜け出せないのでは みたいなことをおそれているのだ。
て なんだこのわかりにくい文章は。
えーと。 彼氏ほしいなー とか パートナーがいないのは
わたしがダメだからだ とか そういう ちょっと恋愛的な何か
に とらわれていることを 格好わるい とか思っちゃってる
そのこと自体がおそらく 色情で身を滅ぼす と言われたことの
ほんとうの意味なのかな というか。
そのへん 抜けたらいいのになぁ といまはおもう。
彼氏欲しくていいじゃん。 色情上等。
ていうふうに 言えるくらいになったらきっとそれは
それも ともかくもういまあるようにやろうよ っていう
そのこととおなじになるんだとおもう。
格好つけて どーでもいいふり とかしてるけど
ほんとはぜんぜんどーでもよくない。
けど さみしさだけで ジョシ扱いされたことが
ものめずらしいだけで すがっていくようなことは
もうみじめすぎるからしたくない。
て 書いてみると 当たり前のことだし
いいではないかもう。 そういうことなんだから。
みずからを おんな と認めて さらには
その価値 みたいなものをだいじにしてもいいんじゃない
って思ってからまだ日が浅いから もろもろの処理が
へたくそなのは仕方ない。
ということで まぁ日々は過ぎます。
わたしはまだまだ 解き放っていくよ。 まぁ見てなって。
2014年5月14日水曜日
察しろ、おれ
久しぶりにへこんでいる。
もう完全にこれは、わたしの不徳の致すところ だし、申し開きのしようのないことやな、と。
思いやりがない と言われたことがあります。
何回か。
何回か言われたことがある てやはり致命的だ。
ほんとにそうなんだとおもう。
そして、実際にわたしは、ひとのきもちがわからない
というか、わからないときに、相手につい丸投げするような
母に対し説教したようなまさにその態度をとってしまうことがあるのだ。
きょう たったいま
わたしはたいせつな仲間のこころを慮ることができず
とてもしんどいことを聞いたりして負担をかけてしまった。
でも このわたしの行為が負担なのだと、わたし自身が考えて決めることなのだと
教えてくれたうえに許してくれる
という それはそれはオトナかつ優しい
それこそ思いやりにあふれた態度を仲間たちはとってくれた。
恥ずかしい。ほんとにじぶんが恥ずかしくて情けない。
このたびのこの恩を、わたしはどうやって還してゆけばいいだろう。
ダメだな。そして、わたしはじぶんのこの感じのダメさに実は薄々気づいていて、
バレたくなくてびくびく怯えていたところもあった。
でもきっと、わたしのこんなダメさは、
みんなにはすっかりわかられているのだろう。
あぁもうきょうほどじぶんが恥ずかしい日はない。ごめんなさい&ありがとう。
生きてゆくって たいへんだ。
もう完全にこれは、わたしの不徳の致すところ だし、申し開きのしようのないことやな、と。
思いやりがない と言われたことがあります。
何回か。
何回か言われたことがある てやはり致命的だ。
ほんとにそうなんだとおもう。
そして、実際にわたしは、ひとのきもちがわからない
というか、わからないときに、相手につい丸投げするような
母に対し説教したようなまさにその態度をとってしまうことがあるのだ。
きょう たったいま
わたしはたいせつな仲間のこころを慮ることができず
とてもしんどいことを聞いたりして負担をかけてしまった。
でも このわたしの行為が負担なのだと、わたし自身が考えて決めることなのだと
教えてくれたうえに許してくれる
という それはそれはオトナかつ優しい
それこそ思いやりにあふれた態度を仲間たちはとってくれた。
恥ずかしい。ほんとにじぶんが恥ずかしくて情けない。
このたびのこの恩を、わたしはどうやって還してゆけばいいだろう。
ダメだな。そして、わたしはじぶんのこの感じのダメさに実は薄々気づいていて、
バレたくなくてびくびく怯えていたところもあった。
でもきっと、わたしのこんなダメさは、
みんなにはすっかりわかられているのだろう。
あぁもうきょうほどじぶんが恥ずかしい日はない。ごめんなさい&ありがとう。
生きてゆくって たいへんだ。
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