さいきん右目のまぶたが顔面神経痛 て痛くないけど
まぶたが ぴくぴくっ てなるんである。
なんかあるんやろな。 そして 完全に なんかある ときに
最高潮に ぴくぴくぴくぅっ てなる。
それはともかくですよ。
そういえば 見てくれてるなー とか思うと
そのひとをすきになってみたりしたものだったけど
さいきん じぶんのいいところもわるいところも
よくわかってくれてるな って思う男子が
大学時代からの友人にいる。いまやふたりとも
ものすごくいいトモダチ とおもう。
恋をしようとおもえば できるかもしれないけど
あえてしなくてもいい感じで。
もし 彼らにそれなりの駆け引きぽいものを感じたら
わたしはすぐに 恋におちてしまえる とおもう。
でもそうならない。
で それは あたりまえよな ということに
この歳でようやく気付く。
いい面だけでなく 悪い面もしっかり見てる て
それって むこうがこちらに いちみりも 恋愛的要素を感じないから
できることだよね って。
川上弘美ちゃんの小説に
お互い甘くみあわないでどうして恋ができるだろう
みたいなくだりがあったとおもう(ニシノユキヒコ だったとおもう)。
あぁほんとうにそのとおりだなぁ とはじめてその小説を読んだときも
思ったはずだったけど 最近また ほんとうにほんとうにそのとおりだな
と感じ入っているのであった。
そういうことなのよ。 いい面も悪い面もしっかり見て
それを長年にわたって受け止めてくれてる って
それは恋になりっこないよね。 愛にはなりえても。
だから何 ではないけど まぁとにかくね
よく見てくれて 適切な助言やらなにやらしてくれるトモダチがいて
シアワセ っていう そういうことです。
2014年6月5日木曜日
2014年6月3日火曜日
いまはいまであってあの頃ではない
振り返ったところでどーしようもないのだけれど
そうとわかりつつ、 本気で あとちょっと のところで
身を滅ぼしそうになっていたころ のことを振り返ったのだ。
あんなことをしないといられなかっただなんて
なんてかわいそうだったんだろう。 そして なんてバカだったんだろう。
もう二度と あんなことはしなくていい とおもうけれど
でも あの頃のわたしも 申し開きのないほどわたしで
そのことが いまのわたしを脅かしそうになることも 正直ある。
あのころのアレは 一体なんだったんだろう と
いまのわたしは それしか思わないとしても。
当時のわたしもそのことには薄々気がついていて
いつか いまじぶんがやっていることが 将来のじぶんを苦しめる
それがこの報いだろう なんて思っていたりもした。
過去は過去で いまはいま であるとおもう。
過去がなかったことにはならないし
その過去のせいで じぶんを汚くおもうこともあるけど
でも わたしは いまのわたしがすきだし
めちゃくちゃな過去をとおって それでもこうして いま
になった ここにたどり着いたわたしを誇らしくおもう。
いまのこころもちは 前の前に別れたひとと
一昨年あったときと 似たようなこころもちだ。
あのころのわたしは いま いちみりもいないし
いまはあのころではなく いま でしかない ということ。
そうとわかっていても たまに波のように来る何か を
やりすごしたり たちむかったり ともかく
わたしは わたしとして生きるための作業を
これからもずっと 続けるのだな とおもう。
そうとわかりつつ、 本気で あとちょっと のところで
身を滅ぼしそうになっていたころ のことを振り返ったのだ。
あんなことをしないといられなかっただなんて
なんてかわいそうだったんだろう。 そして なんてバカだったんだろう。
もう二度と あんなことはしなくていい とおもうけれど
でも あの頃のわたしも 申し開きのないほどわたしで
そのことが いまのわたしを脅かしそうになることも 正直ある。
あのころのアレは 一体なんだったんだろう と
いまのわたしは それしか思わないとしても。
当時のわたしもそのことには薄々気がついていて
いつか いまじぶんがやっていることが 将来のじぶんを苦しめる
それがこの報いだろう なんて思っていたりもした。
過去は過去で いまはいま であるとおもう。
過去がなかったことにはならないし
その過去のせいで じぶんを汚くおもうこともあるけど
でも わたしは いまのわたしがすきだし
めちゃくちゃな過去をとおって それでもこうして いま
になった ここにたどり着いたわたしを誇らしくおもう。
いまのこころもちは 前の前に別れたひとと
一昨年あったときと 似たようなこころもちだ。
あのころのわたしは いま いちみりもいないし
いまはあのころではなく いま でしかない ということ。
そうとわかっていても たまに波のように来る何か を
やりすごしたり たちむかったり ともかく
わたしは わたしとして生きるための作業を
これからもずっと 続けるのだな とおもう。
2014年6月1日日曜日
わたしのたたずまい
ひとはみな それぞれのじんせいをそれぞれ生きていて
それでも 10代のころのたたずまい というのは
そうカンタンにはなくならなくて そのなつかしい雰囲気を
どこかに保っているようにおもう。
ぱっと見た感じとか 考え方が大幅に変わる ということはあるし
ひとは変わっちゃうよね 関係というのも日々変化するよね
なんてことも思うけれど でも 高校時代のトモダチとかそういう
ものすごく長いスパンで知り合いでいるひとたちと会ったときの
すぐに感じられる あの当時がすぐによみがえるような懐かしさ
みたいなものを感じるたび ひとはそうそう変わらんのだなぁ とも
おもう。
変わるし 変わらない。
きっと じぶんを変えたい と切実に思うときであっても
その変え方は じぶんがそもそも持っているなにか に準拠したようなそれ
であるのだろうな。
初対面のひとにあたえるような印象の違い とか ぱっと見たときの違い
みたいなものはどんどん変わるのかもしれないけれど。
わたしは じぶんが変わった とおもう。 でもやっぱり
ずっと変わらずわたしであるところもあって
だから 10代のころのトモダチと会ったとき お互いを本気で認め合えるのだ
と そうおもう。
いろいろな意味をこめ そして つらいことや
後悔するようなことがたくさんあっても でも
やっぱり いまがいまで ほんとうによかった。
この週末 わたしは 高校時代のトモダチと
フラ教室で仲良くなったトモダチと に会ってきたのだ。
むかしからのトモダチと あたらしいトモダチ
双方に対し 両方 わたしがわたしでいる と思って会うことができていて
わたしはほんとうにうれしかった。
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