2014年12月20日土曜日

もうすぐクリスマス

 そんな題にしてみたんであるけれども ことしほど クリスマスだ!
ということを感じていない年もなかろう というくらいには
クリスマス感のない年の瀬である。

 一昨年クリスマスの日に親指の甲を包丁で削いだのに続き
この時期の何か として ことしは ぎっくり腰 をやらかした。
ずいぶんと ぎっくり腰そのものではない と思おうとしたけど無理で
結局のところは 中程度のぎっくり腰ですね と言われるような
そんなアレだった。1週間痛かった。 特に月曜日あたりは
もうどうしようかっていうくらい。月〜水のおれ GJ。お仕事だって
月と水は半日ずつ休ませていただいたほどだったのだから
よく耐えました。がんばりました。仕事よりねっしんに
整骨院に通った1週間。 フラをはじめてから練習をしない日が
5日も続いた はじめての期間。

 ことしもわたしにとってはかなりいいいちねんだったとおもうし
去年よりさらにわたしはじぶんの顔が好きになったし
てことで このまますっと終わらせてくれてもよかったと思うのだけど
そうは問屋が卸さないのがおれクオリティ。 やっぱりびしっと
どこか振り返らざるを得ないようにできているのだ。


 ところで。 最近Blogにもあまり書くことがなくなって
というのは むかしTwitterをしていたころには
顔本 と呼んで非常に恐れていたFacebookに いまや
わたしはすっかりなじみ、あらゆる知り合いのいるそこに
わたしをすっかり提示することを厭わなくなり
そうしたら ここでこそ書けること ここでこそ書かねばならぬこと
のようなものはなくなってきた という感じなのである。

 もちろん これでいい ということはなく
きっとまだまだこれからいろいろあるし
いろんなことが変わってゆくのだとおもう。

 わたしがFacebookを怖がっていたのは
いわゆるリアルの 現実世界でじぶんがなじめているのか
いつも不安だったから だし 裏を返せば
じぶんをトクベツに価値あるものと思いたくて
現実世界となじめないもの に仕立て上げようとしていたから
とも言えるとおもう。 いや、もちろん(?)なんていうか
生きにくさ のようなものはあったかもしれないけれど
それはわたし自身が作り出したそれ だったような気がするのだ。
わたしは残念ながら そんなにトクベツではなく
しかしまた同時に そういうこととは関係なく トクベツな
たったひとりのわたし であるのだ。 あたりまえだけど。

 わたしの場合は 世の中の多くの人ががんばって営んでいる生活に
がんばって追いつくことをしなかった。 がんばってもできなかったら
という気持ちもあっただろうし そこになじんでしまって
じぶんの価値が見えなくなるのが怖かった。 それで
なじめないのだ ということにして努力をしない方法を選んだところがある。
おそらく その方法のなかでもがんばってきたこと
やりたい とおもった仕事に就くためのこととか そういうのは
やってきたけれど でも わたしはどこか
生きにくいひとプレイ をしていただけなのではないか
という気もしているのだ。

 今となっては プレイであってもわたしの本質のようなものと
わかちがたくなっていることがたくさんあって
本気で いい! と思うものがちょっと一般的ではなかったり
などのこともあるけれど でもそれは 表面的な
ほんの瑣末なことなのではないか と思うのだ。

 わたしはどうしたって 非凡ではないわたし を
認める必要があったのだとおもう。これまではそういう道のりで
だから わたしの一見非凡そう というか 変わってそう
に見えるところに飛びついた人たちとは 別れなければならなかった。
かなり ひどいかたちで。

 もうわたしは わたしのことを 変わっているね とか
変わっているその仲間だよね というかたちでおもうひとと
付き合うことはないのかもしれない とおもう。
そういう観点からの付き合いのあったひとが 実はここ数年で
みんないなくなってしまったようにおもう。

 わたしがわたしをトクベツに思いたかったばかりに
傷つけたり 同時に傷つけられたりしたことが たくさんあって
そのことはずっと痛みとして残るだろうけれど。

 
 よくわからないけれど 去年行った占いのひとが言う感じからすると
わたしのあんまりよくない運気 みたいなのは
ことしあたりで終わって 次からはまた はじまっていくとき
なのだとおもう。 長い長い何かが ほんとうに終わったのだとおもう。

 こんなことを思えているのが ある意味
クリスマスプレゼントみたいなものだよなぁ とおもう。
ほんとうにありがとうございます。

 
 さて。 わたしがここまでくるのに
BlogなりTwitterなりFacebookなり
ことば を使うツールにはほんとうにお世話になったとおもう。
わたしはあとにまで残ることばを紡ぐことは生業にしていないけれど
そろそろもうすこし ことば をいたわって
こうしてお世話になった ことば に感謝するような
そんな文章を書けたらいい とおもう。

 て、言うても文章が急にうまくなるわけもないし
程度は知れているわけですが でも わたしのことば として
もうすこしていねいに ここには発信 というか
表現できたらいいな と思っている。ことばのために。

 ありがとう2014、ていうかここ数年。 
しにものぐるいでそういってた2年前3年前とは
ぜんぜん違うこころもちで やっぱり 人生はミラクル! と
わたしは言います。 



2014年11月29日土曜日

言い訳としての

 ここ数年ですっかり変わってしまった
というようなはなしばかり ここではしていて
でも もちろん 変わらないこと もたくさんある。
あたりまえだけど。 そして すっかり変わってしまった
というようなことも ある日突然 がらがらと
という変わり方とは違っていたとおもう。
がらがらと音を立てて と言いたくなるくらい
短いあいだに気付いた変化であったとしても。

 変わったり 変わらなかったり で 全般的には
わたしがその時々に そうあるしかないわたし
となっていくわけで。 そうしたときに 変わる
ということにわたしはかつて とても抵抗を感じていた。
すっかり変わる ということがおそろしく
うそくさい感じがして わたしはこれまでずっと連綿とあったわたし
を 見失いたくないとばかり思っていた。

 でも なぜ抵抗していたのかといえば
変わるのがおそろしい というよりも 変わる勇気や
変わるまえとしての いまのじぶん を動かす勇気がなかった
というほうが強かったのでは と思うのだ。

  動くこと をおこなわない言い訳 というのかな。
動こうと動くまいと どうしたって何かは変わっていくし
なるようになっていくのにね。

 動くときには動いてみるようになって
あたらしいことがたくさんあって わたしがいまのようになって
こわがらなくても わたしはずっとわたしだとわかったし
変わる ということを目の敵にすることはない
ともわかった。

 かといって 変わろう とするわけでもないし
わたしはとにかく 目の前のことを感じたり考えたりおこなったり
そうすると 変わったり変わらなかったりして
結果 わたしはある意味ちゃんと わたし になるという方向に
変わるのだ。

 あぁわかりにくい日本語。 でも そうなのよ。
変わったり変わらなかったり なにがあっても
ちゃんと わたしはわたしだ。

2014年11月16日日曜日

そだつ人間関係

 気がついたらもう11月も半ばだったりして
最近 長文を書く欲求 がそんなに生じないなぁ
という感じなんである。

 言いたいことはそこそこ ふだんすでに言えてる
みたいなところがだいぶ強くなっている のと
いまは感じたことをアウトプットするまでもなく
とりあえず体験しとけ っていう そういうときだ 
ていうのと両方あるのかな とおもう。


 さて。フラのステージがこれから半年くらいのあいだに
大きいのが3つあって それに全部出ることにしていて
そんなじぶんにびっくりなのだけれど
それはともかく そういうわけであたらしい人間関係も
ちょっとずつ育ってきているなぁ というところなんである。

 あたらしい人間関係がつくられてゆくとき
ものすごい勢いで変わってしまって終了しちゃったひとたちとの関係を
ちょっとだけ思い出してしまったりする。 職業とかがかぶっていて
そうすると共感のしかたみたいなところが似ていて
またおなじようになったりしちゃうのかな などと思って
ひやっ としたりするのだけれど でも 似ていることがあっても
違うのですよねあたりまえだけど。

 そしてなにより もうわたしの在り方が変わっていて
だから どうしたっておなじにはなり得ないのだ とほんとうにおもう。
わたしの職業による知識に惹かれるひとは  きっといまでもいるけど
でも それはわたしの本質ではないし わたしはもう
わたしの職業による知識を盗もうとするひとと付き合うことはないだろう。
ようやく そのことをわたしのウリにしなくてもよくなっているのだから。
(この書き方にはちょっと語弊があるけど、なんていうのか
知識を必要とされたときに そこがよくて付き合われているのだ
と卑屈になる必要はない ということに近いかもしれない。)


 ともかくやはり わたしがフラをはじめてから学んだことは
おのれのひらき方 というものだとおもう。 ひらく ということを
ほんとうの意味で 流れにゆだねるということを
わたしはすこしずつ ほんとうにじぶんのものにしてきている とおもう。

 人生はこうしてすすんでいくのですね。