2015年8月17日月曜日

言い訳と行動と

 先日の投稿は、という書き出しはいかにも言い訳じみているけど
先日どころか 実際 わたしはまだ じぶんのいまを きちんと受け入れ
状況を俯瞰し どうしたらいいか ということがわかっていないとおもう。

 そして 彼が味方してくれるに値しない人間なのかもしれない
という思いもアタマをかすめているのは事実だ。

 これまでのじぶんを顧みるに 
思いやりがない と言われたことがあったり
びっくりするほどに突然嫌われたりするようなことが
こと3年前から最近までにいろいろあったけど
そこからわたしは ちっとも学んでいなかったのかもしれない
ということを思うようになった。

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 むかしケッコンしていたころ
「あなたはそんなひとだから 
あなたを大切に思ってくれるような友達は
ほんとうはひとりもいないんだとおもう」
と言われたことがあった。当時のダンナに。

 もちろんケンカしているときに言われたことで
売り言葉に買い言葉的な そういう状況での発言だった
とはおもう。

 けれど そのことばがわたしのアタマにずっと残っていて
最近そのことをものすごくよく思い出す。

 元ダンナにひどいことを言われた というより
そのことばを ちょっとした勢い と思えず
ずっと残っているということは わたしの中に
そう言われてしかるべき部分があるからなのだろう 
と思ったりもする。


 引き寄せの法則 ということばをよく聞くけれど
じぶんの中にある何かが そのことばを捉えて離さないのだろう
とおもう。

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 何度考えても わたしに 謙虚さ を求める状況が 
それが身に付いていないことを知らせる状況が
起きているのだとおもう。
アタマではわかっているだろうけどまだまだだよ 
と言われているのだろう。

 いま わたしを嫌ったり怒ったりしている人たちに対して
何をどうしていいかわからない。何をどうもせずにいたい
という逃げかもしれない とも思う。

 実際に 思いやりとか優しさとか 
そういうものが足りない人間なのだろう。
求めてばかりで与えられない人間なのだろう。

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 そんなわたしにかみさまは彼を与えてくれて
彼はわたしに無条件の愛を向けてくれているとおもう。

 そこからはじめるしかないのだと思っている。
彼に対して いかに与えられるのか。

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 と 何を書いても
あなたは言葉を重ねてもっともらしいことが言えるだけだから
何も言われたくない
と言われたことを思い出す。
そうかもしれない と思ったりもする。
だんだんじぶんがわからなくなる。

ともかく 行動で示していくしかないのだろう。

 目の前に展開していること 起きていることに真摯に。
それしかないのだ。

まず いちばん身近な彼に。わたしの愛を行動で示していこうとおもう。

2015年6月21日日曜日

おひっこし

 来週のきょうはとうとうほんとうに引越しで、わたしは彼と
(そしてたゆと)本格的にあたらしい生活を始めることになる。
のだけど、まだ荷造りがきっと半分くらいしか進んでいなくて
どうしたもんかなー とおもう。そして荷造りのあいだにも
お決まりの むかしの写真が出てきていちいち眺めちゃう
などのことがあって。わ。わたしの髪の毛茶色いー とか。

 9年半のひとりぐらし。
思ってもみないくらい 荷物が増えていて
ということは 思ってもみないくらい
いろんなことを この9年半に
実は経験してきたのだろう とおもう。



 16年前にわたしはまえのケッコンをして
15年前にケッコン式をしていて
そのときの写真がわっさり出てきた。
なんだかわたしは微妙な笑顔で
しっくりきていない感じの場所にいる感じで
そのあとのお食事会でのわたしたちも
あんまりうれしそうではないのだった。

 でもあのとき わたしはあれを経験しないと
どうしようもなかったのだろうし、
わたしはいま ここにいることができている。

 
 とはいえ。 半年にわたって準備してきた
フラのコンペが先月末に終わって 結果が出なくて
そのときに じぶんのダメさとか
チームとしてわたしたちが全然まとまっていなかったこととか
いろんなことを感じて
わたしは彼とのことでただただシアワセ というわけには
いかないこころもちでいる。 どこかになにかひっかかってる。

 それでも。わたしは彼と生きてゆくのだし
きっと 考えもしなかった フラでつらいことがある
ということを乗り越えるためにわたしはいまを
与えられたのだろう と思ったりもする。

 これからどうしていこう。
わたしは限りなく自由だ。起こることは決まっていても。

2015年5月12日火曜日

ほら、わらって

 『◯◯ちゃんは、にこにこ笑っているのがいい』と
彼に言われた もしくは 彼が言いそう、
という話が だいすきなトモダチのBlogに載っていて
おなじことを言われているのだな(相手は別だけど)と思って
そして そのことをあんまり素直に聞き入れられずにいたなぁ
ということも 思い出したのだった。

 わたしの彼は わたしの笑顔がすきになったそうで
それはとてもうれしかったけれど でも 
笑顔になれない気分のときにまで「ほら、わらって」
みたいなことを言われると、わたしは笑っていないと認めてもらえないのか
とか思ってぷりぷりしたこころもちになっていたのも事実だ。
いっつも笑顔のやつなんておるかいそんな期待されても困るわ
とかなんとか。

 でも、トモダチのだんなさんがトモダチに言ったことばを読んで、
それを言ったそのときの だんなさんの思いみたいなものが
なんだかわたしにすごく伝わってきて、そうしたら
あぁ彼もわたしにおなじようなこころもちで ほら、わらって と
言っていたのかもしれないな と思ったのだった。

 うまく言えないけど。

 わらってないとわたしには意味がない とか 価値がない とか
そういうことじゃないんだ ということ。 
とにかく わたしがわらっているというそのこと 
わたしの笑顔そのもの に おおきな意味がある ということなんだろう。 
ぜんぜんうまいこと言えてない。

 それでもともかく。トモダチのだんなさん(わたしはこの世では1度しか
お目にかかれなかったのだけれど)が トモダチに 
笑っているのがいい と言ったときの あらゆる情景が
すっかり見えるように感じて、ものすごく腑に落ちたのだ。 



 わらっていよう とおもう。無理はしないけど。
できるだけ わらっていたいな とおもった。
わらっていられるように そういうふうに暮らそう とおもった。