2016年1月6日水曜日

この先につなぐもの

あしたで冬休みが終わるので、
本気で重くなった腰を上げ、婦人科に行ってきた。
直截に言って 閉経かも てことで。

もう5ヶ月くらい血を見てないし、
だからたぶんもう終わったんだけど、
万が一何か困った病気とかだったら
ということでね。一応ね。

で、調べていただいたところ、
もうこれは十中八九 終わった感じですね、と。
まだ若いので、骨粗鬆症が心配だから、
むりくり月のもの起こす治療したほうがいいかも
と言われまして。
それはその通りと思うし、
もうわかってたことだけど、
やっぱり ほんとにそうなるのは
ちょっぴりさみしいし、すこし悲しい感じ。

あぁもうほんとうにわたしに子が生まれることはない。

オット、ほんとにこれでよかったのかな。
こんなわたしでよかったのかな。


もうわたしは 直截的な方法で次の世代につなぐ ということはできない。
そしてわたしには、世の中にものすごく役立つすごい能力 とかもない。

そんなわたしだけれど、次の世代が生きる世の中の、
ほんのほんの少しの栄養の何か、みたいな
そんな働きができたらいいなとおもう。

きょうはしみじみこのことを噛み締めます。

そして明日からまた がんばろう。
子はできなくとも、次に何かをつなぐ夫婦になれるよう
オットとたのしく暮らしていこう
とおもう。

夢見る期

 年が明けて 2016年になっています。
オットは年末から12連勤して きのうようやく1日だけおやすみで
きょうからまた働いている。えらいなぁ。

 さて。ここ数年、とくに去年かな。
夢を見ない期 が続いていたのだけれど、もしかしたら
これからは 夢見る期 に突入かも
と思うような夢を見た。おとといだったか。
ほぼ初夢に近い。

 あんまりたのしい夢ではなくて
けっこう壮絶、といっていい感じの。

 どこかの大学とか(そしてそこは
どうやらじぶんも通っているか関係しているか 
な場所なのだけれど)がある駅にきて
その場所に行くのだけれど、
それまでの間 どうやら死体があったり
人殺しがいたりするから気をつけないとね
ということになっているのだ。

 もうストーリーはおぼえていないけれど
何かにぐるぐるつつまれたものがあって
それは死体だなきっと しかも けっこうな
惨殺死体なんだろうな 見えなくなっているけれど
みんな気づいていないけれど と思ったり
途中 かなづちで殴り殺すタイプの殺人鬼もいるから
気をつけないと ってなっていたり
ひとりはじぶんの頭をかなづちでごんごん殴りつけて
顔なんかわからなくなってるみたい とか
そういう情報だけがなぜかじぶんの中に入ってきたり
そういうような夢だった。

 嗚呼。 とうとうきたよ夢見る期。
そして。これはたぶん
去年までにわたしが経験したことごとやきもちや
その他もろもろの そのあと処理をすることになるのだ
ということなのだろう とおもう。
けっこうな壮絶な何かをわたしは落とし込むことになるんだろう。

 去年まで現実にただただ体験することだけを
主にやっていたけれど わたしはそのことを
またちゃんと落とし込む作業をしっかりやることになるのだろう。

 
 惨殺死体そのもの とか 殴りつけてるその現場 を
見ないあたりがわたしっぽいけど。

 さて。そういうふうに新しい年。
ほんとうにほんとうに あたらしい 年。

2015年12月30日水曜日

ありがとう2015

 とうとう12月も30日で 去年のいまごろは
オットと付き合うことになって わー ってなってたという
そういう時期だったわけですが、なんと!ことしは!
ヒトヅマとなって迎えています年の瀬を。きゃ。
きゃ じゃねぇよ。

 ともかくね。去年の今頃のわたしは
人間関係もなにもかもがうまくいってる
なんて思い込んで まぁ挙句ぎっくり腰ですけど
とにかくことし経験する大転換期の下準備みたいな
そのちからをためるみたいな時期だったのかも
と思います。

 トクベツなわたし 非凡なわたし な、わけではなくても
わたしはわたしだから大丈夫だよ ということを
去年までで学び 
けど わたしはまだ そのあたらしいわたしを
扱いきれていない感じでいたのかも 
あたらしいわたしにうかれていたのかも
などと考えさせられたのが今年だった。

 けれど すっかりこれからのステージへ向かう
とりあえずの準備が整って
そうしたら いろんなことがはっきりした
というのがいまなのかも とおもう。

 
 そうするなかで ずっとずっと
かわらずにいてくれるトモダチがわたしにはちゃんといて
しかも わたしの本質のようなところを
短いあいだに深くつかんで一緒にこれからをともにしてくれる
オットがあらわれて
何を怖がったり不安がったり
つらくおもったりする必要があるだろうかいやない(反語)。

てなわけで わたしはちゃんと
わたしが経験すべきことを経験していて
ジョシのあいだでうまくいかない とかそんなのも
この世をすべからく知る というか
わたしがこのさき生きるために知っておくべき何かとして
生じたものなのだと ほんとうに思えるのだった。

 ことしまで長いこと
夢を見ない期 が続いたけれど
それは 現実の世界でのいろいろをたくさん体験する時期
だったからなのだろう。
いろいろがあったその変革期の頂点たることしが過ぎたあと
きっと来年くらいからはまた
夢を見る期 になるのかもな と思っている。
ちゃんとわたし全体でことしまでの出来事を咀嚼しないと。
落とし込まないと。 って 無理にすることではないけど
きっとそっちにむけていくのだろう とおもう。


閑話休題。


 結婚式とか披露宴とかをするって決めた頃に
ジョシ世界の人間関係がうまくいかなくなって
なんて不幸 とちょっとだけ思ってたけど
いま思えばそんなことなくて いろいろ残念なことはあっても
わたしをほんとに大切に思ってくださるひとが
きてくださることになるだけだから それでいいのだ と思った。
て、親友だ とおもうひとたちの何人かは
違う国にいたり 小さいお子がふたりもいてしかも遠方だったりで
きていただくことがかなわないのだけれど
でも なんかここ数年で わたしはほんとうに
わたしがたいせつにするものや そうすべきものを
ちゃんと見ることができるようになっていて
だから 大丈夫だ とおもう。


 そういうことでね。2015年、つらくてかなしくて
でもそれ以上に うれしくてシアワセな すばらしいいちねんでした。
みんなみんな いちみくろんでもかかわったすべてのひとたち
すべてのものごとたち ほんとうにありがとうございました!