2019年2月10日日曜日

2019年が旧暦においても開けたって

 いま日本には大勢の中国とか台湾とか
ともかくそういう春節とやらで
ながいおやすみに入った外国のみなさんが
観光に来ているということです。
て、普段の生活では全然わからないけど。

 さて。前回のブログ投稿から1年以上。
またわたし、次の何ところに進んでいるとおもうし、
からだもびっくりするほど大きく成長して(涙)
フラ続けてるとさいご国籍とかハワイになるに違いないって
信じることだけで生きてるみたいな(嘘)
ちょっとした おおきいひと になってること以外は
たのしく平和な感じではあります。

 たのしく ということばで表してしまうと
どうかと思うけれど。とりあえず、オットとの関係は
なんだか落ち着いています。いろいろ求めなくなったから
だろうかしらね。お互いの在り方がお互いになじんできたのかも。
そりゃ他人のわりに知り合ってから あれ?大丈夫じゃない?
って思える相手であったけれど、どうしたって他人なので
思ったようにいかないことなんていくらでもあって、
それをお互いが微調整みたいにしていくのには
3年かかったんだな ということなんだと思います。
第1期終了、みたいな。

 そんな中、今年のハイライトとしては 両親が近所に越してくる
というものがあって、そうなると、あと 最期を看取る的な
そういうことになるんだろうなここ数年のうちに
ということがあります。

 どうなるんだろうな。もうなるようにしかならない。
できることをできる範囲で。

・・・とか呑気にいうことを許してくれるオットで
ほんとうにありがたいことだとおもいます。


 とか書いてて思ったんですけど、わたしにはもう
誰かが何かを思ったりするようなことを
生み出すちからはないみたいです。

 地道に身近の目の前にあることに。

 すごくないじぶんとともに生きていこうとおもいます。
で、たまに気が向いたら何か言おう。じぶんのために。





2017年12月31日日曜日

2017年のおわりに

 そうです。きょうは大晦日で、明日から世の中は
2018年になるんです。ずいぶん放っておいたブログ。
誰も見ちゃいないブログ。でも、ここ数年
書いてまとめるみたいな部分を
ずいぶんと担ってくれました。ありがとうブログ。

 それはともかく。あいかわらず続いてるのよ
絶賛嫌われ期。もちろん みんなに ではないし
仲良しとは仲良しだし、オットともそこそこ
関係を作っていけていると思う。

 けれど 多いのはアレです。Face Bookで
あきらかにわたしの情報を非表示、もしくは
見ないようにしている というひと。
しかもそこそこの仲良しであったひとで。
どうして?何か嫌な思いをさせた?
と 聞けばいいのかもしれないけれど
聞く勇気がない というより 聞いてなんとかしたい
というほどに思えていないところが問題な気がする。

もちろん 何か嫌な思いをさせたから
こうなっているんだろう。それはよく考えたら
わたしもやったことがあることだから。
当時仲良くしていたひとが とあるひとに
とっても傷つけられた、ひどい という話を聞いて
わたしも それはひどいなぁ と思ったときに
色々総合して そのひとと交流することが
当時仲良くしていたひとにいやな思いをさせるのでは
というほうを優先させて そのひとの記事の
表示をさせないようにしたり反応しないようにしたり 
ということを確かにしたことがあるわけです。

それがじぶんに返ってきただけのことなんだよね。
全然別のかたちだろうし、理由も違うだろうけれど
このひとの様子は見たくない 見るに値しない 
と結論づけられるに至ってしまったのは
そういうわたしが呼び込んだこと。

 アホである。 やっぱりね
じぶんがどう思ったか じぶんがどうしたいか
が大事なんだよねぇ。わたしの触媒的なところは
わたしがじぶんを何かから守るための
ずるい道具でもあったんだ。それを手放せずに
いるところがあったのかもしれない と思う。

 ことしはもっと主体的にやっていくことを
怖がらず、もっと責任を持っておのれを生きることが
本気で求められている(神様のようなもの に)
とおもうのだった。

 でも わたしにはそこまでの わたし が
もしかするとないのかもしれないなぁ
とも感じる。 あるけど ない っていうか。
そういうところがわたしの個性なのかもしれない。
中途半端の中途半端たる所以な。

 
 わたしの発言だけを無視するひと
というがいたり、上記のようなことがあったり
というのがあるともちろん傷つくけど、
その傷つきからじぶんを守ったり
立ち直るために そのひとたちを
悪 とすることのないようにしたい。
気をぬくとすぐそうしてしまいそうになる。
名越せんせいは 悪というのはいったん住み着くと
どんどんその勢力をひろげていってしまう 的なことを
言っていた。ほんとうにそうだ とおもった。
その悪を立証するために、いろんなことを
その悪の根拠としてしまうというようなこと。
そうならないようにしないと。

 傷ついた ことは そりゃないほうがいいことだけど
いい とか 悪い とかではなくて
そうあっただけの事実。そのことを忘れないでいたい。
傷つけたひとが悪い あのひとはこうだから
あのひとはああだから とならないようにしたい。
というか、そうすればするほど わたしのこころは
どんどん豊かさをなくし、貧しくなってゆくだろう。

 2017年に学んだことの結論はないけれど
学んだことを2018年につないで、わたしの旅路を続けよう。

2016年6月29日水曜日

みんなだいすきアンパンマン

湿気が多くてぐずぐずに溶けそう。でろでろでろでろ。

突然に気づいたんですけど。

アンパンマン、キライでした。すごく。もうほんと なんなのあれ、てほどに。

しかしお子たちには爆発的人気。てか、あれがだいすきな時期をみんな通る し、
その後もキライになるひとは少ないだろう。熱愛、までにはならずとも。

が、わたしはずっと大キライだった。アンパンマンが。
たぶん最初にアンパンマンに違和感を持ったのは
元ネタの絵本を読んだ小学生の頃
だ(とおもうんだよ)。

「さぁ ぼくをお食べ。」
お腹のすいたひとに何の躊躇もなく顔を差し出すアンパンマン。

えええええええええ

って。なんだそれって。おもったのよ。


でも、わたしがそこに えええええええええ とか思ったのも
アレをキライやと思い続けていたのも
わたしにああいう しぜんとわきでる
自己犠牲の精神みたいなもの 利他の精神みたいなもの
が全然なくて、ないだけでなく、
その ないこと を にがにがしく思ってる なんてことも認めたくなくて
で、なんやねんあいつキライ
てなってたのかなー とおもう。

めんどくせえ。てか、ほんと、ひととしてどうよ、おれ。


まぁそんなこんなで
おもいやりというものがないよね
口先だけでは何とでも言うけどひどいひとだよね
と 言い放たれてしまうに至ったのでしょうなぁ。

てまた他人事みたいに書いちゃうけど。

ごめんね。そんなこと ほんとは口に(文字に)したくもなかったし、思いたくもなかったよね。わたしにそういうのを言い放ったみなさん。わたしのことがほんとうにキライでこれ以上つきあいたくない とか思ってしまったみなさん。

と、いうところにたどりついたところで
突如としておもいやりあふれるひとになるわけではなく
ここからはわたしの努力と心がけがすべて
なのだろう。 …とか言ってることが青年期。バカ。


さて。

それでもまわりにいてくださるひとに 媚びるのではなく
びくびくするのではなく
ただ どう在るわたしを還してゆくのか
という。そういうことなのよね。


ずっと長いこと
わたしはほんとはダメにんげんで、いつかそのことがバレるのでは
とびくびく過ごしていたために、1度目の結婚生活はそのままのものになったし、
その後も自信のなさから触媒みたいに生きる感じを長年やめられずにいた。
で、次に そこから抜けつつあったここ数年、今度は爆発的にひとから嫌われるなどのことに見舞われ、
それは 触媒ではないわたし や
職業的知見を引き出せないわたし には価値がない
とわたしが思っていた ということだけでなく
ほんとは自己犠牲の精神なんてあんまりないわたし を
認めてなかったこと にもあるのだろうな。

ああなんてながいみちのり。

もうほんとの意味でじぶんを認めたいし、自己犠牲の精神 ていうか 利他の精神 をなんとか少しずつでも
じぶんに植毛するみたいにちまちまとでも植えつけたい。

ともかくそんなきもちです。

だいすき にはならないけど、もう大キライではないよ アンパンマン。
顔を食べてもらう人生も、顔をみんなが力を合わせてリフレッシュしてくれる人生も、
あるよね、としんからおもう。