若いときは 不細工だからしょうがない という
まほうのじゅもんみたいな 万能のいいわけを わたしは常にしていた。
でかいから と 不細工だから は モテないじぶんをこころやすらかに
その場所にとどめておいてくれる かなしいけれどほかになにも考えなくてすむ
とてもべんりないいわけだった。
大学生のとき 1度だけいった合コンで 気に入ってくれたひとがいた
ということに 猛烈に衝撃をうけて ゴハンが食べられなくなり(超かわいい)
最終的に7キロくらい痩せて まぁいまくらいの体重になったんだけれども
そうして 背はでかいけどからだがでかいわけではない そこそこ
スタイルがいい と言ってもいい状態のカラダになってしまったとき
わたしは うれしかったけれど でも これまで万能だったいいわけの
一端が崩れてしまったことに気づいて 落ち着かないこころもちにもなった。
スタイルがよくなったところで 特にまわりからの扱いは変わらず
特にモテもしなかったので どうやらこれは わたしのこころばえが
問題なのだろう という ほんとうのことに ちょっと近づいてしまったのだ。
しかしながら こころばえの根本的な問題を改善するとか
じぶんの自信のなさとプライドの高さのアンバランスさにもっと意識的に
目を向けて直面することが 当時のわたしにはまだできなくて
それで 不細工だから といういいわけにすべてを託してしまったような
そんなところがある。
スタイルがよかろうと それなりにトモダチが多かろうと
不細工だから すべてが台無し。 ということに たぶんしていたとおもうし
不細工であること を 申し訳なく思うことで もう思考が停止していた
とおもう。
いま もうそのいいわけを使うことは もう かんぜんに なくなった。
いろいろともんだいなのは わたしのこころばえのほうであったのだし
そもそも 不細工 てことで思考停止していた その卑屈さがどうにもこうにも
だったのだろうとおもう。
しかし いまは ちょっとまだ じぶんが 不細工ではない ということを
いちいちこうして確かめないといられないくらいには あたらしいじぶんに
慣れていないようだ。 いちいち書かなきゃならないことが すこし情けない。
わたしはこれからももっと わたし になっていくのだけれど
そのことがじぶんの中ではっきりしたのはつい最近で なので
この過程がはじまったのは やっぱりつい最近のような気がしてしまう。
これまでのみちのりも わたし になるためのものだったのにもかかわらず。
ともかく まだよちよちと歩いているようなきもちもある。
ので しばらくは この情けないブログのことも 許してあげよう とおもう。
2012年10月31日水曜日
2012年10月30日火曜日
わたくしの文章
ブログを書き始めてみたら やっぱりまいにちに近いくらい
何か書いてしまって あぁあぁもうほんとうに ねぇ とか
そんなことを思っている。
もともと ことばで表現すること はすきだとおもう。
けれども 上手ではない とおもう。
むかしは勘違いしていて もちろん(!)じぶんはとても
文章を書くのが得意で上手で とか思っていたし
なんと! 思考力がある とすらおもっていたのだった。
バカ!なんてバカなの!
まぁそこそこひとにそれなりに伝わるように繕った(よくいえば整った)
文章を書くことはできるとおもうし、受験生の頃は小論文が得意科目だった。
ということからくる勘違いだったわけだけれど
わたしは実は こころに生じたあれこれを 的確にことばにする
ということには まったく長けていない。
ことば数も 口数も 両方多いので なんだかきちんと
いろんなことをことばにできているように見えるけど
見えるだけで そんなに的確な表現はできていない とおもう。
おそらく 何かが伝わっているとしたら その ことば数なり
口数なり が かもしだす雰囲気 みたいなものがあって
それで なんとなく あぁこのひとはこんな感じなのかな というように
思ってもらえている という ただそれだけのことのような気がする。
ながいたゆ
文章のプロのひとが しかもかなりのところ じぶんの気持ちに添って
正直に書いている文章のうつくしさとか 伝わりやすさ をみるにつけ
じぶんの文章について わー・・・残念 とおもう。
思えるようになっただけ ましなんだろうなぁ。
わたしの文章は なんだかとても冗長で そして 的確 とか 端的 とか
そういうのからはほど遠い。 けれども。 残念だけれども
わたしはわたしの書く文章が キライではないのだった。 嗚呼これもまた
わたしの文章が残念にとどまっているおおきい要因だ。
ということなので これからもこんなふうに書いていくんだろう とおもう。
いつか死ぬまでには 幸田文の1/100くらいはうつくしく胸をうつような
そんな文章を書いてみたい。 けどプロじゃないからいいか などという
なまけたこともおもう。 あいかわらず中途半端なわたくしなのだった。
何か書いてしまって あぁあぁもうほんとうに ねぇ とか
そんなことを思っている。
もともと ことばで表現すること はすきだとおもう。
けれども 上手ではない とおもう。
むかしは勘違いしていて もちろん(!)じぶんはとても
文章を書くのが得意で上手で とか思っていたし
なんと! 思考力がある とすらおもっていたのだった。
バカ!なんてバカなの!
まぁそこそこひとにそれなりに伝わるように繕った(よくいえば整った)
文章を書くことはできるとおもうし、受験生の頃は小論文が得意科目だった。
ということからくる勘違いだったわけだけれど
わたしは実は こころに生じたあれこれを 的確にことばにする
ということには まったく長けていない。
ことば数も 口数も 両方多いので なんだかきちんと
いろんなことをことばにできているように見えるけど
見えるだけで そんなに的確な表現はできていない とおもう。
おそらく 何かが伝わっているとしたら その ことば数なり
口数なり が かもしだす雰囲気 みたいなものがあって
それで なんとなく あぁこのひとはこんな感じなのかな というように
思ってもらえている という ただそれだけのことのような気がする。
ながいたゆ
文章のプロのひとが しかもかなりのところ じぶんの気持ちに添って
正直に書いている文章のうつくしさとか 伝わりやすさ をみるにつけ
じぶんの文章について わー・・・残念 とおもう。
思えるようになっただけ ましなんだろうなぁ。
わたしの文章は なんだかとても冗長で そして 的確 とか 端的 とか
そういうのからはほど遠い。 けれども。 残念だけれども
わたしはわたしの書く文章が キライではないのだった。 嗚呼これもまた
わたしの文章が残念にとどまっているおおきい要因だ。
ということなので これからもこんなふうに書いていくんだろう とおもう。
いつか死ぬまでには 幸田文の1/100くらいはうつくしく胸をうつような
そんな文章を書いてみたい。 けどプロじゃないからいいか などという
なまけたこともおもう。 あいかわらず中途半端なわたくしなのだった。
2012年10月29日月曜日
ていねいでかろやかな
ずっと途切れず密に とかいうこともなく
何年も間があいたりなんだりしつつ なのだけれど
縁のある後輩 というかいまや 男ともだち がいて
ここ数年は なぜかお互い関西にいる ということもあって
年に1〜2回は会うくらいの感じが続いている。
そのともだちが ねこの寿命はどのくらいなのか と尋ねてきた。
彼のトモダチの飼いねこが亡くなって でも
とんちんかんななぐさめかたなんて したくないから
ということで 尋ねてきたのだった。
そういう ちょっとしたこころづかいができるのって
いいなぁ とおもった。
そういうふうなところがあるようなともだちと
なんとなく縁が続いているというのは なんだかいいことだなぁ
とおもうし そういうひとがそこそこちかくにいるじぶんも
なんだかいいものになったような気がするから
うれしいなぁ とおもう。
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