ここのところ職場で読んでいた本があって(こんなことについての)
あぁ これは いま読むべきように できていたのだな とおもった。
その一連の本は 去年から職場にあって そのうち読みたい
と思いつつ ずっとあとまわしにしていたのだ。 けれど ここ1週間くらいで
なんだか読まなきゃ というこころもちになって読み始めたところ。
あぁもう これだ。わたしにもうひとつ足りないのは というか
これからの(去年からはじまっていたけれど)課題はここだ
というようなものを ちから強くつきつけられた。
能動的に。 アクティヴに。
ずっと若い頃のわたしが いつ 現実的に危ういもの に
遭遇してもおかしくない という方法でばかり いろいろなものを
処理していたのは わたしがいつも こころの事態に対して
パッシヴになっていた という側面も大きかったのではないか。
かろうじて残された アクティヴなうごきを求める部分が
ゲド戦記 を読むようにしむけたり なんてことをしていて
そういうところでなんとかかんとか わたしはただ
パッシヴになって現実の危うさに巻き込まれることを
まぬかれていたのかもしれない。 が それでも あまりにわたしは
わたし自身が引き受けて経験すること をやらなさすぎていたとおもう。
去年の失恋以降のいろいろは わたしがはじめて
アクティヴに経験してきたのに近い過程だった。
が それでもまだ わたしはパッシヴになってしまうことがある。
いや それに気づかないふりをしているところがあった。
そのことに きっちりとどめをさしてきたのが
このたびの読書であったとおもう。
仕事のために読んだはずの本だったけれど
これはどう考えても わたしの人生の過程にとって
大きな意味を持つものだろう。
わたしはもっともっと 目を凝らして 耳をすまして
そうして見たもの 聴いたもの 感じ取ったものを
きちんと経験し尽くす必要があるのだ。
なんとなく やっていては ダメなんだろうとおもう。
それを アタマでだけでなく やる必要がある。
すこしでも あれ? と思ったことごとを
ひろいあげてゆくこの作業は その入り口として
やはり必要なことのようにおもう。
ますます 身体を使うことはやめられない。
*読んだ本の内容のことをそのままやる というのではなく
ともかく アクティヴであれ というメッセージをうけとったので
そのことを記しました。
2012年11月30日金曜日
2012年11月27日火曜日
ジョナサンおじさん
ところで わたしは ジョナサン・ケイナーおじさんのうらない が
かなりすきで、まいにち見ている。 なにがいいかって
うらないっぽくないところがいい。 じんせいに起こる ほんとうのことを
そのひとのよいところが伸びるように そのひとがきちんとじぶんを
整えて生活していれば これだけのことが感じられるかもしれませんよ
ということを 提示してくれる感じがあるところが とてもすきだ。
きょうのおとめ座のうらないのところには
「昨日の占いでは、人生における最も重要な変化が瞬間的に起こるということはま ずない、
といささかはっきりお伝えしました。ただ、魔法のような瞬間など存在 しない
という意味でそう言ったのではありません。もちろん、私たちが心を開い ているかぎり、
人生には深遠で素晴らしい、急激な変化が何度でも起こり得ま す。
しかしそれでも、最高の変化はゆっくりと起こります。」
とさいしょに書いてあって、これはべつに
おとめ座に限ったはなしではないことは すぐにわかる。
わたしはいま 内的にはいちねんまえと まったくちがうところにいて
けれど 目に見える変化 ていうか はっきりいえば 次の恋愛 みたいなのが
まったく見当たらないことに 少々(かなり)がっかりしたり
焦りそうになったりもしていて そういうがっかりしてるじぶんにがっかり
という感じでいる。
そういう状態のときにこれを読んで。
わたしはじぶんの浅はかさと でも きちんとやってきたよ という自負と
だから これからもこうやって地道に生きてくしかないじゃん ていう
そういうことを しみじみとかみしめて またほんのすこしだけ
らせん階段をのぼるのであった。 そして がっかりしなくても
いまじぶんが じゅうぶん 開けてきて すばらしい場所にいることを
何度でも 確認するのだ。
かなりすきで、まいにち見ている。 なにがいいかって
うらないっぽくないところがいい。 じんせいに起こる ほんとうのことを
そのひとのよいところが伸びるように そのひとがきちんとじぶんを
整えて生活していれば これだけのことが感じられるかもしれませんよ
ということを 提示してくれる感じがあるところが とてもすきだ。
きょうのおとめ座のうらないのところには
「昨日の占いでは、人生における最も重要な変化が瞬間的に起こるということはま ずない、
といささかはっきりお伝えしました。ただ、魔法のような瞬間など存在 しない
という意味でそう言ったのではありません。もちろん、私たちが心を開い ているかぎり、
人生には深遠で素晴らしい、急激な変化が何度でも起こり得ま す。
しかしそれでも、最高の変化はゆっくりと起こります。」
とさいしょに書いてあって、これはべつに
おとめ座に限ったはなしではないことは すぐにわかる。
わたしはいま 内的にはいちねんまえと まったくちがうところにいて
けれど 目に見える変化 ていうか はっきりいえば 次の恋愛 みたいなのが
まったく見当たらないことに 少々(かなり)がっかりしたり
焦りそうになったりもしていて そういうがっかりしてるじぶんにがっかり
という感じでいる。
そういう状態のときにこれを読んで。
わたしはじぶんの浅はかさと でも きちんとやってきたよ という自負と
だから これからもこうやって地道に生きてくしかないじゃん ていう
そういうことを しみじみとかみしめて またほんのすこしだけ
らせん階段をのぼるのであった。 そして がっかりしなくても
いまじぶんが じゅうぶん 開けてきて すばらしい場所にいることを
何度でも 確認するのだ。
2012年11月26日月曜日
あこがれのひと
フラ教室に とってもステキな笑顔の(もともとだいぶんびじんさんだが)
あこがれの先輩 みたいな方がいらして、わたしはそのひとの踊りを見て
なんだかフラダンスってほんとうにたのしそうだし キレイなんだなぁ
あんなふうに踊れるようになるかしら などと妄想することができて
それが 続けよう と思った理由のひとつでもあった。
そのひとは もう上手なひとのクラスなのだけれど たまに
わたしがいる 初心者のクラスにもレッスンにきていて
そのときに踊りを拝見できるのを ひそかにたのしみにしていたのだ。
それが ここ最近、めったにこられなくなって
どうしたのかなぁ と思っていた。
きのう パーティにはいらっしゃっていて、ひさしぶりに
踊るところをみて やっぱりとてもキレイな笑顔で楽しそうに
踊っておられたので わたしはうれしくなって
話しかけにいき、一緒に写真も撮っていただいた。
メアドを交換して 撮った写真を送ったら
きょう 返事がきていて なんと いろいろ思うところがあって
今月でいまの教室を辞め あたらしいところに変わられる ということが
書いてあった。 きのうは 話したら気持ちがあふれてしまいそうで と。
とてもさみしかったけれど 勇気をだして話しかけて
写真も一緒に撮っていただけて よかったなぁ とおもった。
ちゃんとそうして つながるひととは つながってゆくことができるのだ。
わたしはなんだか 大丈夫みたいだ。
あこがれの先輩 みたいな方がいらして、わたしはそのひとの踊りを見て
なんだかフラダンスってほんとうにたのしそうだし キレイなんだなぁ
あんなふうに踊れるようになるかしら などと妄想することができて
それが 続けよう と思った理由のひとつでもあった。
そのひとは もう上手なひとのクラスなのだけれど たまに
わたしがいる 初心者のクラスにもレッスンにきていて
そのときに踊りを拝見できるのを ひそかにたのしみにしていたのだ。
それが ここ最近、めったにこられなくなって
どうしたのかなぁ と思っていた。
きのう パーティにはいらっしゃっていて、ひさしぶりに
踊るところをみて やっぱりとてもキレイな笑顔で楽しそうに
踊っておられたので わたしはうれしくなって
話しかけにいき、一緒に写真も撮っていただいた。
メアドを交換して 撮った写真を送ったら
きょう 返事がきていて なんと いろいろ思うところがあって
今月でいまの教室を辞め あたらしいところに変わられる ということが
書いてあった。 きのうは 話したら気持ちがあふれてしまいそうで と。
とてもさみしかったけれど 勇気をだして話しかけて
写真も一緒に撮っていただけて よかったなぁ とおもった。
ちゃんとそうして つながるひととは つながってゆくことができるのだ。
わたしはなんだか 大丈夫みたいだ。
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