まぁたぶん 31日になったら それはそれで いちねんの〆
みたいなことを言いたくなるんだろうけれども。
なんか すごいいちねんだったのだよ。2013。 痛かった。すごく痛かった。
けど それ以上のことがあったし なによりも わたしはほんとうに
わたし になる一歩を踏み出せたし これは周囲から見て本気で痛いひと
だけど このいちねんでわたしはいままでのじんせいのなかで
いちばん キレイになった とおもう。(わー痛いよこのおばちゃん)
でも。いちねんの終わりに そういうふうに心底
おもうことができて わたしはこれから とにかく
目の前にやってきたことを真摯にやって やっちゃったことを
その意味を噛み締めながら次に進んで どんどん わたし を
刷新してやっていくんだな という覚悟みたいなものが
宿ってきたんだろう とおもう。
どうあっても 偏見だったり じぶんの無意識や課題を通したようにしか
ものごとを見ることはできなくて だから わたしはわたしの課題をやります。
わたしを通して わたしに何かを投げかけたひとたちがそれを返してきても
それが わたしの課題であれば 取り組むし そのときがきていなければ
まだできないし そのひとが次に行くための照り返しであれば
それとして受け止めるまでなのだ と。
もっともっと わたしになろう とおもう。
きょうも あしたも その先も ずっと。
わたしが傷つけたひとたちが大勢いて
そのことを思うとどうしたらいいのか というきもちになる けど
どうしたらいい ってそれは 感じたようにわたしが努力して
わたしになってくこと でしか どうにもならないんだろう とおもう。
人生はまた 次のステージへ。
2013年12月29日日曜日
2013年12月26日木曜日
クリスマス
ことしもクリスマスがめぐってきて なーんて
じっさいのところ クリスマスがどう とかは
自虐ギャグ的に 「なにそれおいしいの?」と言ってみる
くらいのことで 特に重視していたわけではないのですが
期せずして 2年まえのこの日に
一緒に温泉旅行にいったトモダチと過ごすこととなったのでした。
このたびは わたしが彼女の家に遊びに行ったのです。
クリスマスとは全く関係ないおいしい地元のおさかなを出す食堂で
お昼ごはんをいただいて だらだらと江ノ島を笑いながら散歩して
スパークリグワインやらワインやらを買って(おしなべてワイン)
彼女のおうちで 彼女が作ってくれたおいしいゴハンをいただきながら
クリスマスぽく飲んでまた笑いながら話しました。
2年まえのクリスマスは お互いにいろいろあって
彼女もたいへんなときだったのに 失恋したてのわたしのために
近くにきてくれて ああそういえば その日が2人だけではじめて会った日だった。
のに温泉旅行に行けちゃう ていう、ほんとうに不思議な縁で
いまにつながっているのでした。
*****************
このいちねんも いろんなことがあって
たのしいことや あたらしいことが多くて
いろんなことが 音をたてて
変わってゆくような(表からは何も変わってないけど)
そういうときで だからこそ の そういう変化を象徴するような
これまでのじぶんのダメさをかたまりにしたような
残念なことも起きてしまったけれど ともかく
なんかもう 人生という営みがすごすぎる ということばかり
感じる日々なのでした。
*****************
トモダチとことしこうしてクリスマスを過ごせたことで
わたしはなんだか わたしがこの世界にいていいんだ と
何かを許されたみたいな そういうこころもちすら しています。
ほんとうにありがとうございます。
これからも「運命は決まっているが と同時に自由である」を
こころの中心のあたりにもって
目の前で起きたことを真摯に受け止めて作業していくしかない
と思いました。
来年もよき年になりますように。
2013年11月11日月曜日
意外とふつう
まえにも似たようなことは書いているのだけど。
わたしには ちょっとくらいはかわったところはある
かもしれないけれど 実はそうでもなくて
意外と果てしなくふつう というか ふつう(とわたしがおもうような)
そういうひとたちが いい と思うものも
先入観をはずしてよくよく見てみたら いい とおもうものが多い
など けっこうなかんじで ふつう なのだった。
みんなもう知ってたと思うけど。
でも どうしてことさらじぶんを かわっている
と思わなきゃいけなかったかといえば
これまた教科書に書いてあるようなりゆうだけど
どう考えても じぶんに自信がなかったから なのだとおもう。
わたしがわたしであって それ以上でもそれ以下でもなくても
それでもじゅうぶんにトクベツというか わたしはわたしだ
みたいなことが ほんとうにはわかっていなかったのだろう
とおもう。
ちょっとかわった ちょっとおかしな趣味を持っていて
ひととはちがうようなものを いい というわたし
でないと 他の人との差別化がはかれない と
本気で思っていたのだろうとおもう。
わたしがわたしたるゆえんは そんな表のところにはない
にもかかわらず。
わたしがほかならぬわたしである と言いたいばかりに
わたしはじぶんを かわっている と思いたかったんだろう。
なんてバカなの。
よくよく考えてみれば わたしの その ちょっとは変わっているところ
を 拡大解釈して 変わっている ということで興味を持った人とは
恋愛だけでなく 友情だって続いてないのだった。
さっき気がついたんだけど。
ここ数年のお祭りの際に
うわーっと近づいてきて うわーっと離れていったひとたちは
わたしのたたずまいがすきだったんじゃない。
わたしがちょっとかわってるように見せてた部分がすきだっただけだ。
そら 飽きるわな。 前に付き合ってた彼だけでなく
ほかのひとたちだって それは同じだったんだとおもう。
わたしと長く付き合ってくれているひとたちや
最近仲良くなった フラ教室のトモダチなどは
わたしの変わっているところ がすきなわけではないのだろう。
むしろ そういうところは どうでもよくて
わたしのもつ その奥のたたずまいみたいなもの を
それなりに見て付き合おうとしたりなんだり
してくれているのだろう。
そういや むかしむかし 「べつにうず子(仮名)がおもしろいこと
知ってるとかおもしろいこと教えてくれるから付き合ってるとか
そんなんじゃないから」 とトモダチに言われて
当時はひどくうちひしがれたものだったけれど
それは わたしのたたずまいを認めてつきあってるんだよ
という すごくありがたいことばだったのだな と
いまはわかる し そのトモダチとはいまも仲良しだ。
ちょっとかわったわたしプレイ と
ちょっとばかりアタマがいいわたしプレイ は
ほぼ同じ意味で わたしはとにかく
わたしであることに自信が持てずにそういうところを
強調していたのだろう。 うううぅ。 バカ。バカすぎるよおれ。
ともかく。
いまわたしは 肩のちからを抜いて
別にそれが ふつう かどうかは別として
わたしがいいとおもうものがいい というのでいいし
ちょっとまえまで ふつう・・・ とおもって敬遠していたものにも
そこまで違和感や嫌悪感もなく接することができるのであって
なんていうのか そういったものごとの中には
やっぱり興味が湧かないものもあるし 逆に
興味をそそられるものだってあるのだった。あたりまえのように。
という すごく当然のことに気がついて
なんだかこれからはもっとらくちんに暮らせる気がしてきた。
わたしには ちょっとくらいはかわったところはある
かもしれないけれど 実はそうでもなくて
意外と果てしなくふつう というか ふつう(とわたしがおもうような)
そういうひとたちが いい と思うものも
先入観をはずしてよくよく見てみたら いい とおもうものが多い
など けっこうなかんじで ふつう なのだった。
みんなもう知ってたと思うけど。
でも どうしてことさらじぶんを かわっている
と思わなきゃいけなかったかといえば
これまた教科書に書いてあるようなりゆうだけど
どう考えても じぶんに自信がなかったから なのだとおもう。
わたしがわたしであって それ以上でもそれ以下でもなくても
それでもじゅうぶんにトクベツというか わたしはわたしだ
みたいなことが ほんとうにはわかっていなかったのだろう
とおもう。
ちょっとかわった ちょっとおかしな趣味を持っていて
ひととはちがうようなものを いい というわたし
でないと 他の人との差別化がはかれない と
本気で思っていたのだろうとおもう。
わたしがわたしたるゆえんは そんな表のところにはない
にもかかわらず。
わたしがほかならぬわたしである と言いたいばかりに
わたしはじぶんを かわっている と思いたかったんだろう。
なんてバカなの。
よくよく考えてみれば わたしの その ちょっとは変わっているところ
を 拡大解釈して 変わっている ということで興味を持った人とは
恋愛だけでなく 友情だって続いてないのだった。
さっき気がついたんだけど。
ここ数年のお祭りの際に
うわーっと近づいてきて うわーっと離れていったひとたちは
わたしのたたずまいがすきだったんじゃない。
わたしがちょっとかわってるように見せてた部分がすきだっただけだ。
そら 飽きるわな。 前に付き合ってた彼だけでなく
ほかのひとたちだって それは同じだったんだとおもう。
わたしと長く付き合ってくれているひとたちや
最近仲良くなった フラ教室のトモダチなどは
わたしの変わっているところ がすきなわけではないのだろう。
むしろ そういうところは どうでもよくて
わたしのもつ その奥のたたずまいみたいなもの を
それなりに見て付き合おうとしたりなんだり
してくれているのだろう。
そういや むかしむかし 「べつにうず子(仮名)がおもしろいこと
知ってるとかおもしろいこと教えてくれるから付き合ってるとか
そんなんじゃないから」 とトモダチに言われて
当時はひどくうちひしがれたものだったけれど
それは わたしのたたずまいを認めてつきあってるんだよ
という すごくありがたいことばだったのだな と
いまはわかる し そのトモダチとはいまも仲良しだ。
ちょっとかわったわたしプレイ と
ちょっとばかりアタマがいいわたしプレイ は
ほぼ同じ意味で わたしはとにかく
わたしであることに自信が持てずにそういうところを
強調していたのだろう。 うううぅ。 バカ。バカすぎるよおれ。
ともかく。
いまわたしは 肩のちからを抜いて
別にそれが ふつう かどうかは別として
わたしがいいとおもうものがいい というのでいいし
ちょっとまえまで ふつう・・・ とおもって敬遠していたものにも
そこまで違和感や嫌悪感もなく接することができるのであって
なんていうのか そういったものごとの中には
やっぱり興味が湧かないものもあるし 逆に
興味をそそられるものだってあるのだった。あたりまえのように。
という すごく当然のことに気がついて
なんだかこれからはもっとらくちんに暮らせる気がしてきた。
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