2016年1月6日水曜日
夢見る期
オットは年末から12連勤して きのうようやく1日だけおやすみで
きょうからまた働いている。えらいなぁ。
さて。ここ数年、とくに去年かな。
夢を見ない期 が続いていたのだけれど、もしかしたら
これからは 夢見る期 に突入かも
と思うような夢を見た。おとといだったか。
ほぼ初夢に近い。
あんまりたのしい夢ではなくて
けっこう壮絶、といっていい感じの。
どこかの大学とか(そしてそこは
どうやらじぶんも通っているか関係しているか
な場所なのだけれど)がある駅にきて
その場所に行くのだけれど、
それまでの間 どうやら死体があったり
人殺しがいたりするから気をつけないとね
ということになっているのだ。
もうストーリーはおぼえていないけれど
何かにぐるぐるつつまれたものがあって
それは死体だなきっと しかも けっこうな
惨殺死体なんだろうな 見えなくなっているけれど
みんな気づいていないけれど と思ったり
途中 かなづちで殴り殺すタイプの殺人鬼もいるから
気をつけないと ってなっていたり
ひとりはじぶんの頭をかなづちでごんごん殴りつけて
顔なんかわからなくなってるみたい とか
そういう情報だけがなぜかじぶんの中に入ってきたり
そういうような夢だった。
嗚呼。 とうとうきたよ夢見る期。
そして。これはたぶん
去年までにわたしが経験したことごとやきもちや
その他もろもろの そのあと処理をすることになるのだ
ということなのだろう とおもう。
けっこうな壮絶な何かをわたしは落とし込むことになるんだろう。
去年まで現実にただただ体験することだけを
主にやっていたけれど わたしはそのことを
またちゃんと落とし込む作業をしっかりやることになるのだろう。
惨殺死体そのもの とか 殴りつけてるその現場 を
見ないあたりがわたしっぽいけど。
さて。そういうふうに新しい年。
ほんとうにほんとうに あたらしい 年。
2015年12月30日水曜日
ありがとう2015
2015年12月27日日曜日
うらとおもてと
あんまり仕事納め感のない感覚ではある。
それはともかく。
先日、こんど結婚式で司会を頼む友だちとオットと3人で飲む機会があった。
その際に、わたしがいつものごとくちょっとした失言をしたのだけれど
オットが慌てて「このひとなんの悪気もないんです」ってわたしのかわりに言い訳して
友だちは「うんうん。わかってます。
ほんと、うず子(仮名)は裏表がないから」と答えたのだった。
その後、わたしに昔から裏表がなくて、このままのひとだ、という話になり、
そこがいい点である的にそのときにはなったのだけれど、
その点はわたしのいいところもわるいところも すべてを集約した何か
だと思ったのだった。
前にも似たことは書いてましたよ。母の天真爛漫さをわたしは受け継いでしまっているなぁ、とか。
でもあんまり、そのことが示す中身をしっかりはわかってなかったな、とおもう。
じぶんで言うのもナンだがわたしはアタマのいい(理解力が早い)ところがあるので、
その賢さみたいなものや、落ち着いて見えるところ、
でもなんか開けっぴろげである感じとかに
ひとがすごい勢いで寄ってくることがあった。
このひとならわかってくれる と。
でも、そんなんは幻想で、わたしはみんなの期待にはだいたい応えることができず、
そのかわり 開けっぴろげ な自由なところがほんとに自由で 腹立たしさを生むのだろうとおもう。
裏表がない と昔からの友だちやオットにも言われる というのはちょっと意外ではあった。
じぶんとしては昔は特に
空気読んで場に応じて動いてるつもり(あくまでも)だったので、
裏表がない 見たまま と言われるとは
まったく思っていなかったのだ。
しかしながら。
わたしがどうやら生まれつき持っている 天真爛漫さ 裏表のなさ
というのは、たたずまいとして
おもてにずいぶん見えていたらしい。
わたしはそのひとの中にある、
そのひとが思ってる何か を
取り出して それをわたしもそう思ってるよ
みたいにして大きく見せることに
ほんとに長けていたとおもう。触媒みたいに。
でも もうそんなことはしなくなった。必要なくなった。
そうしたら、勝手で自由なところばかりがおもてに目立ちだしていて
それがいまだとおもう。
苦しく悲しくなることもあるけれど、
これからのやり方で わたしはわたしの裏表のなさと付き合っていこう。
その在り方をすこしずつ作っていこう
とおもうのだった。
みずからを認め受け入れ、しかし開き直りすぎず、卑屈にならず。