2015年1月3日土曜日

あけまして2015ねん

 あけましておめでとうございます。
じっさいなんかめでたいです。浮かれてます。
けど、なんていうのか ほんの2週間まえまでは
まったくの知らないひとであったところのひとと
これからいろいろ知り合っていきましょう と
約束した関係にあるということが
ちょっと不思議で まだたまに あれなんだろうこれ
みたいにおもうことがある、その感じすらたのしい。

 でも全然知らないひとだったはずなのに
緊張しなきゃならないようなところや
いいとこ見せねば というふうに思う瞬間がなく
ただ恋のはじまりの 勢いみたいなものだけが感じられて
ちょっとくすぐったい感じで うれしくなる。

 最初は手探りで このひとは何のつもりで?
とか 実際のところはどうなの? と
思わないわけではなかったけれど
その不安のようなものを すこしずつ解消するようなことを
たぶん そうとは思わずにしてくれているのが
とてもうれしかった。

 こんなふうにはじまることもあるんだなぁ
というのが正直な感想で それは 予感があるとかじゃなくて
ただほんとうに そのとき がきてはじまるんだなぁ
といまは感じている。

 まぁいうても10日あちこちですからね。
これから重ねていくものがあるんだな ということが
たのしみ。いまがいまになって ほんとうによかった。
そして このいまのわたしを みつけてくれてありがとう。


 で。このたびはこういうひとができて
いまから仲良くなっていくところです ということを
両親に思いきって話してみたところ
はじめてよろこんでくれた。両親とも。 
まぁ母はちょっとだけ 無理をしていたとおもうけれど。
でも わたしがたのしくいられるひとならいい と
父が言ってくれて よかったじゃない という感じで言ってくれて
わたしはやっぱり 親に認めてもらいたいんだな と思ったのだった。
わたしがどう感じているか がもちろんいちばんだけれど
やっぱり認めてもらえるとうれしい。
なにより この関係を 安心して育てていこう
と思えるのが ほんとうにうれしかった。


 そんな2015ねん。 この関係も だいすきなフラも 仕事も
わたし自身の成長も ぜんぶぜんぶ ここはそれこそ貪欲にがんばろう
とおもう。 ありがとうかみさま(のようなもの)。



 

2014年12月31日水曜日

とてもシアワセな

 はいどうも。大晦日です。2014年もとうとう。
わたしがいまのわたしのように感じることができるようになった
そのこと自体がクリスマスプレゼントみたいなものですよ
とかここにも書いた10日前だったのだけれど。

 その後10日でまさかこんなことになるとか
想像だにしていなかったけど 起きるときには起きるのね。

 冬至で新月で という19年に1度しかないその日に出会ったひとと 
わたしはそののち おつきあいすることに。
きゃー。

 こんな冗談みたいなシチュエーションで
わたし騙されてるんじゃ? とか考えたりすべきかな
とも思ったけど、何かが走り出すときの
いいタイミングでことが起きる流れとか 
そういう感じのほうを 
一緒にいてイヤじゃない むしろ ちょっと知ってみたい 
と思ったその感じを
わたしは信じてみよう と思った。

 しかも。こんなことははじめてだけど
彼はわたしの笑顔にやられたそうだ。
(これはさすがのおれもBlogにしか書けない(照))
これまでのわたしは ネットが何らかのかたちで
介在したツールによって知り合ったひととばかり
つきあっていたから、わたしを気に入るルートは ことば
だった。 それが。 はじめて ことば ではないところから
わたしを知ったひとに いいな と思っていただけたというのが
ほんとにうれしかったし 斬新! なことなのだった。
わたしも ことば からのたたずまいではなくて
そのひと本体からのたたずまいを気に入って そのひとと
つきあってみよう とおもうことができたわけで
そのことも 斬新! なことなのだった。

 もうひとついうと わたしにとって
うまれてはじめての近距離恋愛で、たぶん徒歩10分以内のところに
彼は住んでいる。近すぎて大丈夫か? とちょっと思ったけど
うまいぐあいに仕事の休みがわたしと違っているから
徐々に仲良くなってゆくこともできそうだし
ほんとに仲良くなったら 休みが違っていても
近さを活かして 会いたいときに会うこともできそう
というなんだかちょうどいい感じなのだった。

 
 冬至で新月で あぁほんとうにこれからあたらしい年
と思っていたら そのタイミングでこういうことがあって
だから わたしはこの縁を大事に育ててみよう とおもう。

 フラを中心に というのは変わらないんだろうな
とおもうけど、このひととの関係が わたしのフラに
プラスになるようにもおもうし
きっといまこうなったからには こうなるなりの何か が
あるのだと思えるから。

 ひさしぶりにちょっと浮かれてます。うれしい。しあわせ。

 2014年のしめくくりにこんなことがあって
名実ともに ほんとうにシアワセないちねんになりました。
ありがとうございました。

 2015年も引き続きどうぞごひいきに。よろしくおねがいいたします。




 
 

2014年12月29日月曜日

誰かの何か その後

 トモダチのBlogを読んでいると
生じている出来事や、実際の物理的な動き方 というのは
もちろん違っているけれど、人生でやっている課題とか
そういうのがとても似ている と思ったりすることがある。

とてもはげみになるし じぶんを顧みるときの
別の視点を提示してもらったみたいな気持ちにもなるので
ありがたいな とおもう。 それぞれのことは
それぞれにしかわかりえない としても。

 人生がラクになったのは 相手に求めるぶん
じぶんをがちがちにする ということがなくなったからだろう
とおもう。

 あなたは求めてばかりの最低なにんげんだ というようなことを
言われたことがあって、そのときはただただ傷ついたし
でも そうなのかな と思うところもあって 
これを認めないといけないのかな と思ったり
でもこれって 言ってるほうも
わたしにそれを求めてるんですよね と分析してみたりもして
ぐずぐずしたとおもう。

 それが。やっぱりフラがわたしをしらないあいだに
ここに連れてきてくれた とおもう。そこで出会った人々や
踊るときのこと。 その日々を過ごしているうちに
わたしはそこからだいぶ抜けたのだ。

 わたしは誰かの何かになりたかったのと同時に
誰かにわたしの何かになってほしかったんだろう。

 けれど。 わたしがわたしでいさえすれば。
わたしがわたしでいさえすればなんでも ってむかしから
口では言っていたけれど そのほんとうのところに
わたしは気がついていなかったのだろう とおもう。

 誰かの何か というところが 知らない間に
気にならなくなっていた。ここまでくるのに
最低のにんげんだ ということを言われないといけなかったなんて
返す返すも情けない感じだけれど。 言ったひとも
とてもとても傷ついただろうから こういうことは
なかったほうがいい出来事だけれど でも 起きてしまった。
起きてしまったのなら そこからわたしは学ぶしかないのだし
そうしなかったらそれこそどうしようもないんだろう とおもう。

 
 なんて。そのあたりがすっきりしてきたら
なんだかいろいろ動き出している ようにおもう。
ひさしぶりのきもちにも なりつつある。ふふふ。

 なんてすばらしいまいにちなのでしょう。