2013年2月27日水曜日

いまだからわかること

 10代とか20代とか さらに30代の前半くらいまで
わたしのからだとアタマとこころはぜんぶバラバラだった
ということは何度かここにも書いたし
あの頃のことを思い出すと わたしがいま
こうしてとりあえずひどい病気にかかることもなく
仕事をして 食べたり飲んだり 走ったり踊ったり
トモダチと関係を続けたり 買い物したり などなど
ともかく 現実 と言われる この世にそれなりにとどまって
暮らしていることが ほとんど奇跡のような気がしたりする。

 ちびっこのわたしを占い師にみてもらった母が
この子は色情で身を滅ぼす と宣告されてから
おそらく35年くらいの年月が経った。

 その宣告は ほとんど呪いみたいにわたしに巣喰っていたし
30代前半までのわたしは そこに持っていかれそうになっていた
とおもう。ほんとうにぎりぎりだった。ぎりぎりだった と
わたしは思っているけど 外から見えるわたしは
そういうことからものすごく遠い そういうものとかけ離れた人物
のように見えたのではないか とおもう。

 色気 とか おんならしさ とか そういうものを
わたしはうまくじぶんの中に置くことができなかった。
女性としてのからだ や 感覚 みたいなものを
どうしたらいいのかわからず とにかく呪いにおびえて
その結果 解離 という方法をわたしは編み出した。
正確にはちょっと違うけれど とにかくあれは 解離 といっていい
そういう方法だったとおもう。

 
 身を滅ぼさずにすんだのは 運がよかったから としか
言いようがない。 とおもう。ちょっと時代が違ったら
わたしはカンタンに 殺されたり 殺したりするような
そういうところに陥っていたとおもう。


 そのくらいのことだったのだ ということを
最近おもうようになった。 たぶんいままでは
恐ろしすぎて そのあたりをぼんやりさせていたのだとおもう。
色情で身を滅ぼす というその呪いとともにあったから
ぎりぎりのところにいた とは思わないようにしていたのだろう。


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 わたしはとても弱くて なので たとえば
本格的にじぶんを責めて 精神をおかしくするほどのこともできず
呪いを言い訳にして そして わたしの弱いところをすべて
解離させて そちらがわでなんとかすることで
なんでもないふりをしてきたのだ。 じぶんのものとして
わたしはじぶんの恐れや 不安や ダメなところや
そういうものを抱えられなかったのだとおもう。

 その結果が 30代前半までの いろんなことをバラバラにした
いわば 色情で身を滅ぼす という呪いに
自らを投げ入れるというような そういう生き方となったのだ。

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 これらもすべて わたしがわたしとして生きてゆくには
通らねばならぬ道だったのだろう とはおもう。
けれど いま ようやくここにきたからだとおもうけれど
あの頃の ぎりぎりのじぶんが怖くて怖くてしかたがない。
あんなことしてたとかほんとうにどうかしてたとおもう。
あの頃の何か あの頃の報い みたいなものが
どこまでも追ってきてしまうのではないか と
ふと 思ってしまうこともある。

 けれど そこも含めて抱えて生きていくのだこれから。

 このことを抱える人生は もうわたしが生まれたときから
もしかすると生まれるまえから決まっていて
なのでどうあがいてもどうしようもないものなのだとおもう。

 じぶんが抱えているものを じぶんのすべてを
いま の ここ に生きているわたし で経験してやっていく。
そういうやり方への転換点は やっぱりここ3年のお祭りだった。
お祭りのことと そのあとしまつから はじめてわたしは
なんとか解離しないで じぶんの中に起きたことの作業を
おこなうことができるようになったのだもの。

 いまはいまで あの頃じゃないことを
何度も言い聞かせようとおもう。 もう呪いのなかにわたしがいない
ということを 何度でも。

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追記: 呪いがどうこう ということ関係なく
    きっとわたしの みずからを抱える という能力は
    おそらくとても弱くて わたしのこれまでの人生は
    そのことを認め みずからにほんとうに落とし込み
    そしてすこしでも抱えるちからをつけてゆくように
    というミッションでうめつくされていたのだとおもう。
    だからこそ わたしは 抱える という技術を
    とてもひつようとする職に就いたのかもしれない。 
    わたしはこの仕事を通してもまた 抱える ということの意味を
    学んでいっているのだろう とおもう。
    そして そのやりかたがすべてやはり 中途半端 という
    キーワードでいろどられていることはまぎれもない事実だ。
    わたしは ゆるく解離し その一部始終を実はしっかりと
    意識のほうでもながめ 生活を壊さない程度の そういうやり方で
    これまでやってきたのだとおもう。
    この中途半端さと わたしの抱えられなさと しかし
    だからこそ ちょっと出ているとおもわれる鷹揚さ みたいなもの
    そこだけがわたしが誰かをひきつけてきたのかもしれない。
    中途半端さ というのはこれからもわたしのキーワードで
    天真爛漫さ みたいなものとともに わたしがわたしとして在る
    その過程にずっと絡んでいくとおもう。
    これからも わたしに引きつけられ そして 強烈に拒否感をおぼえる
    というひとがあらわれるだろう とおもう。
    それでもわたしは わたしで在るために そのことをしっかり
    受け止めていきたい とおもう。



 

2013年2月24日日曜日

おぼえがきとして

自覚しとくこと

・触媒体質
  これは仕事上もある程度必要だったり
  役に立ったりしている部分だし ともかく自覚すること
  どこまでがどうなのか ということを。

・天真爛漫さ
  母からのギフトだと思おう。わたしのたぶん根っこだ。
  ここに劣等感がすごい勢いでブレンドされていたのが
  これまでのわたしだった。

・じぶん自身であること だけ考える
  説明不要

・解放
  手放すこと ですね。いろんなものを。さぁみんな
  ここから離れていくといいよ。 ていうか わたしが自ら
  能動的に解き放っていくことです。


 
   てことで。 あと実はきのう 電話があった。
   まぁ なんか 勘違いだかなんだか ごめんなんでもない
   て言われてなにも話してないんだけど。 そして
   その後じぶんで思ってたよりずっと動揺したことに気付いたので
   踊った。 そうしたら 落ち着く方向にわたしが動いた。
   すばらしい。わたしに踊ることを俄然すすめてくれたあなた、
   ほんとうにありがとう。 フラがあってよかった。

2013年2月23日土曜日

あのころは

 Twitterしてたころ のことをたまに思い出す。
そこで仲良くなったひとからたまに連絡もらったりしてとかもあるけど
まぁそうじゃなくてもたまに。なぜならわたしにとって
ものすごく濃い場所だったとおもうから。

 しかし 丁寧につくりあげたはずの場所を
わたしはおのれの取り扱いがまだまだへたくそすぎたせいで
アクティングアウトをしでかしたりして ぶっ壊した とおもう。

 最終的に 書くことがなくなって あぁもうここは要らない
と思ったわけだけど 要るとか要らないとか そういうなんだか
重苦しい感じの使い方をしてしまっていた とも言えるわけで。

 まぁ 振り返ったところで あのときだから わたしとTwitterは
ものすごくフィットしたのだし あのような人間関係を作り上げたり
壊したり になったのだけれども。 



 というのも さっきひさしぶりに 仲良しのTwitterをかいまみた
(余談だが わたしにとって かいまみる というのは 
垣間見る で かいまみる なんだよね ってアタマの中で思うときが
いちばんすきなことばだ)のだ。彼女はとても上手にTwitterを使っているし
しかも彼女はたったあれだけの発言で しっかり彼女だし
すごいなぁ とおもう。わたしが関係をぶっ壊してしまったひとたちとも
ちゃんとつながってるし。

 それを見ていて ほんと わたしはTwitterでいったい何をやってたんだろう
と思ったのよ このたびはさすがに。

 時がきて わたしがあそこにいる時期が過ぎた ということだけが
確実なことなんだけれども なんだかそのスパンが思ってたよりも
たぶん短くて わたしはそのことにすこし戸惑っているのかもしれない
とおもう。でも お祭りだったんだもんね。 
わたしはいったいあそこで何をしていたんだろう(再)。

 でも どうしたってわたしはもう ここにいるのだ。

 ほんと 言ってることがバカだわ。
珈琲を飲んだりしようね。そうしようそうしよう。

 いろいろいろいろ考えたところで 当時起きた いいことも
わるいことも その後のさまざまな展開も すべて おのれの人間力のレベル
に相当したことが起きているだけなのですよね。

 わー っと寄ってこられて 思ったのと違う! とか 見かけ倒し!
とか思われて わー っと去っていかれる ような事態ばっかりが起きている
と思い込んでいたけど それもすべて おのれが持つ そういう恐れが
呼び起こすこと。そうだったらどうしよう って。わたしはどうしたってわたしなのに。
わたしにしかなれないのにねぇ。 だから 寄ってくるとかそういうのも
去られたらこわいから わかったふり団子 みたいなえさを蒔いてただけなんだよ。
それにつられて寄ってくるひと というのがいて それに対して 
わかったふり団子 を作り続けようしてもできなくて 
こんな程度の団子作るひとにはこのくらいのことしてやっても大丈夫だよね 
とか もうないなら要らない とか 思ったようないい団子じゃない
とか思われちゃうことが多いだけなんだよね。
 あーこわい。 Twitterごときでもそんなことやってたなんて
笑っちゃうわよね、そこの奥さん。 もうそんなださいこととか
(結果的に)短いスパンでの人間関係を呼び寄せる何か とか もうほんと やだ。

 わたしにはつらくあたっても わたしのたいせつなトモダチにはそんなことがない
というひとたちがいるけど そのひとたちは わたしのこの恐れ みたいなのに
ものすごいひっかかっちゃったんだろうとおもう。 わたしが最初から
こんな恐れを持たないわたしだったら こんなことにはなってなかっただろう。
ま でもそれすらも そのひとたちとは あのときに会う という運命だったのだ。

 ただただ 悲しい。 もうおなじようなことはほんとうに繰り返さない。