Twitterしてたころ のことをたまに思い出す。
そこで仲良くなったひとからたまに連絡もらったりしてとかもあるけど
まぁそうじゃなくてもたまに。なぜならわたしにとって
ものすごく濃い場所だったとおもうから。
しかし 丁寧につくりあげたはずの場所を
わたしはおのれの取り扱いがまだまだへたくそすぎたせいで
アクティングアウトをしでかしたりして ぶっ壊した とおもう。
最終的に 書くことがなくなって あぁもうここは要らない
と思ったわけだけど 要るとか要らないとか そういうなんだか
重苦しい感じの使い方をしてしまっていた とも言えるわけで。
まぁ 振り返ったところで あのときだから わたしとTwitterは
ものすごくフィットしたのだし あのような人間関係を作り上げたり
壊したり になったのだけれども。
というのも さっきひさしぶりに 仲良しのTwitterをかいまみた
(余談だが わたしにとって かいまみる というのは
垣間見る で かいまみる なんだよね ってアタマの中で思うときが
いちばんすきなことばだ)のだ。彼女はとても上手にTwitterを使っているし
しかも彼女はたったあれだけの発言で しっかり彼女だし
すごいなぁ とおもう。わたしが関係をぶっ壊してしまったひとたちとも
ちゃんとつながってるし。
それを見ていて ほんと わたしはTwitterでいったい何をやってたんだろう
と思ったのよ このたびはさすがに。
時がきて わたしがあそこにいる時期が過ぎた ということだけが
確実なことなんだけれども なんだかそのスパンが思ってたよりも
たぶん短くて わたしはそのことにすこし戸惑っているのかもしれない
とおもう。でも お祭りだったんだもんね。
わたしはいったいあそこで何をしていたんだろう(再)。
でも どうしたってわたしはもう ここにいるのだ。
ほんと 言ってることがバカだわ。
珈琲を飲んだりしようね。そうしようそうしよう。
いろいろいろいろ考えたところで 当時起きた いいことも
わるいことも その後のさまざまな展開も すべて おのれの人間力のレベル
に相当したことが起きているだけなのですよね。
わー っと寄ってこられて 思ったのと違う! とか 見かけ倒し!
とか思われて わー っと去っていかれる ような事態ばっかりが起きている
と思い込んでいたけど それもすべて おのれが持つ そういう恐れが
呼び起こすこと。そうだったらどうしよう って。わたしはどうしたってわたしなのに。
わたしにしかなれないのにねぇ。 だから 寄ってくるとかそういうのも
去られたらこわいから わかったふり団子 みたいなえさを蒔いてただけなんだよ。
それにつられて寄ってくるひと というのがいて それに対して
わかったふり団子 を作り続けようしてもできなくて
こんな程度の団子作るひとにはこのくらいのことしてやっても大丈夫だよね
とか もうないなら要らない とか 思ったようないい団子じゃない
とか思われちゃうことが多いだけなんだよね。
あーこわい。 Twitterごときでもそんなことやってたなんて
笑っちゃうわよね、そこの奥さん。 もうそんなださいこととか
(結果的に)短いスパンでの人間関係を呼び寄せる何か とか もうほんと やだ。
わたしにはつらくあたっても わたしのたいせつなトモダチにはそんなことがない
というひとたちがいるけど そのひとたちは わたしのこの恐れ みたいなのに
ものすごいひっかかっちゃったんだろうとおもう。 わたしが最初から
こんな恐れを持たないわたしだったら こんなことにはなってなかっただろう。
ま でもそれすらも そのひとたちとは あのときに会う という運命だったのだ。
ただただ 悲しい。 もうおなじようなことはほんとうに繰り返さない。
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