まぁそもそも こんなふうに書いてたしかめる
という作業をしている時点で まだまだだなおれ
てな具合なんである。
けれども こうしてブログを再開してから
の わたしのいろいろな気付きとか内的な変容とか
そういったものは とてもめまぐるしく
記しておかないと みたいなこころもちにさせられるのであって
こういうあたりも 見るひとが見たら
ひとりで抱えられないダメなぶぶん になるのかもなぁ
などと思いながらも でもやっぱりいまのわたしは
記さずにはおれないのである。
とかいう言い訳みたいなことからはじめてて
全然解き放たれていないわけですが。てへ。
わたしはじぶんに対して
認めなければならないこと というか
あぁこれまで確実にそう考えてきていたな
ということがあります。
それは お互いを必要としあえるパートナーに
一度も出会えていないひとは それなりの理由があって
それは そのひとがダメであるからだ と
いう考えを持っていた ということです。
つまり わたしはじぶんを ダメな人間だ と
ずっとおもっていた(つい今の今まで) ということです。
バカ。
いや これを バカ とは言わないひともいるだろう と
わかっています。 そのとおりじゃん て。 でも。
わたしにきちんと向き合えるパートナーができないのは
わたしがきちんとしていないからだ というのは
ある程度のところまでは その通りなのだけれど
じゃあ 世の中のきちんと向き合えるパートナーと
出会えたひとは みんなそのようにすばらしいひとで
その資格があるから そうなった ということなのだろうか
というと どうですか? そうなんでしょうか。
どうでしょう 出会っているみなさん。
いや あの 出会ったパートナーときちんと向き合い
そしてみずからと向き合い関係を続けてゆく
ということは ものすごい努力と工夫が必要である と
わたしは(想像だけど)知っています(続けられたこと
ないから)。
なので そういうパートナーと関係を続けているひと
出会っているひと は 出会いの機会をきちんとつかみ
そして 努力も続けているわけで すばらしい と
思います。 そして わたしは そうではないじぶん は
そういうひとたち とくらべて 劣っている と
思っていました。正直なところ。 てことはつまり
望みつつも彼氏ができない とか 彼女ができない
という人に対しても おなじように思っていたところがある
わけですね。それは否めません。ださいけど。傲慢だけど。
けれど すばらしいにんげんのしるし として
パートナーが現れるわけでは ないのですよね。
そういうことではなくて ともかく
いまの人生の課題が何であるか ということによって
パートナーがあらわれたり あらわれなかったりするだけ
なのですよね。 がんばったご褒美 とかそういうものじゃない。
出会ったら出会ったで その課題があるし。
まぁともかく。
わたしはほんとうに ついさっきまで
どこかで パートナーができないわたしはダメな人間だ
と思い、その意味でも焦っていたのだろう。
まえに 因果律でものをかんがえそうになっていた と書きました。
このことも そのひとつなのだと思います。 それこそがいかん。
ていうか わたしのわたしとしての可能性をつぶす考え方だわ。
と 思ったのです。
わたしはまだ 恋とかめんどうだし とか
男がいなくてもいいわこの先
なんていう境地には達していないし
この先達するのかもわからないし
それなのに恋ができるのかも 男というものと
きちんと向き合うことがあるのかも すべてはわからない。
けれど そのすべては わたしのいま の何かで
わたしのにんげんとしての優劣をあらわしているものではないのだ
と いうこと。 そういうことが ようやく
わたしの深いところに ふっと落ちてきたというのかしら。
腑に落ちたというのかしら。
またひとつわたしは解き放たれたとおもいます。
恋人ができたらいいなああああああ とおもう。
けど できないわたしも ダメじゃなくて それもまたたのしい。
これからは本気で そう感じで暮らしてゆけそうであります。
たまにはさみしくなるとおもうけど。でもそれすらも いまの課題。
あぁすべてはわたしのものだ。
中2だな。想像よりずっと かっこわるい四十路だけれど
これがわたしの人生だ。 貪欲にすべてをやり尽くそう。
その思いは変わらない。
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