きょうもまた このようにしてブログの投稿画面にむかっている
とか 超うけるんですけどー と言いたくもなるものです。
もうそんなに書くことないよ と思っていたのですよ 本気で。
でも わたしにこういうツールを与えると
こういうことになるのですね。 際限なく書く。 とにかく何か
記しておかずにいられないのねぇほんとうにねぇ。
与えると というより あのときはまたこうして書き始める
いいタイミングだったのだろう。 そして ここはいまや
ほぼ わたしのためだけの場所で むかしブログをしていたときのような
誰かに向けて とか 誰かの反応を見たくて というような
そういう文章を綴ることもなく そうするとこうなるのか
ということも実感していて それもまたちょっとおもしろい。
しばらく 夢をあまり見ない期間 だったのだけれど
先日の 前つきあっていたひととか両親とかが出てきた夢のあたりから
また 夢を見てるなぁ という感じになってきたようだ。
他人事みたいな書き方になっているのは まだそこまで
夢にフォーカスしていなくて ほとんど内容を覚えていないからだ。
けれど 夢を見ていたな という記憶が残るようになった。
もうすぐまた 夢見期間 に入るのかもしれない。
*******************
お正月のことや 年末から最近にかけて
もういまはつきあわなくてもいいか と思ったひととのことを
ふと立ち止まって考えそうになることがあった。
このふたつのことは ちょっと結びついているので
つい 考えそうになるのだ。 くそみそに言われてんだろうなー とか。
もうそんなこと どうでもいいのに。 あの世界のなか に
じぶんを閉じ込めようとすると とんでもない痛手のようにおもう。
けれど じぶんはもう そこにはいないのだ と繰り返し気付く。
そうすると 痛みはあるけれど それが致命傷ではないとわかる。
というところに きた。
お祭りのときに お祭りだからこそ出会ったひと とは
花火みたいな付き合いになってしまうものなのだなぁ。
でも 花火があったから それを見たからこそ なことが
いまたくさんあって だから やっぱり どうあっても
こうなっていたのだろうとおもう。 あぁだからこそ
じぶんのこころに一部シャッターがおりた感じになっているのは
やっぱりすこしさみしい。 わたしはどうしても
ぴしゃりとするのは苦手だ。 が だいぶもうわたしにしては
ぴしゃりとしたこのたびだ。
と 書いている ので つまり 考えた わけですけど。
とか書くあたりがわたしのうっとおしい性質ばりばり なのだけれど
ここはわたしのための場所だからかまわない。
*******************
きのう わたしはまたひとつ 解き放たれた と書いた。
わたしは目の前の課題をこなすだけなんだけど
これまでとらわれていた どうしようもない劣等感と
もうほんとうに手を切るときがきたのだな と。
わたしには ひとりでやらなければならない課題があって
これから先 起こることは そのことへの 報酬とか罰とか
そういうものなのではなくて ともかく いまの課題でしかないのだ。
とおもう。 わたしはご褒美をほしがっていたんだとおもう。
劣等感は ご褒美によって解消されるものではないことを
わたしはこれまで たくさん はなしあってきたのに。
そういうことを たくさん 感じてきたのに。
さてさて。 書いていることが支離滅裂。
わたしにしかよくわからない話の流れになっていますが
まぁそういうことです。
週末は だいすきなトモダチが遊びにきます。
なんというステキなタイミングで。 世界はやっぱり
すばらしいものだ とおもう。
2013年2月5日火曜日
2013年2月4日月曜日
解き放たれてゆくこと
まぁそもそも こんなふうに書いてたしかめる
という作業をしている時点で まだまだだなおれ
てな具合なんである。
けれども こうしてブログを再開してから
の わたしのいろいろな気付きとか内的な変容とか
そういったものは とてもめまぐるしく
記しておかないと みたいなこころもちにさせられるのであって
こういうあたりも 見るひとが見たら
ひとりで抱えられないダメなぶぶん になるのかもなぁ
などと思いながらも でもやっぱりいまのわたしは
記さずにはおれないのである。
とかいう言い訳みたいなことからはじめてて
全然解き放たれていないわけですが。てへ。
わたしはじぶんに対して
認めなければならないこと というか
あぁこれまで確実にそう考えてきていたな
ということがあります。
それは お互いを必要としあえるパートナーに
一度も出会えていないひとは それなりの理由があって
それは そのひとがダメであるからだ と
いう考えを持っていた ということです。
つまり わたしはじぶんを ダメな人間だ と
ずっとおもっていた(つい今の今まで) ということです。
バカ。
いや これを バカ とは言わないひともいるだろう と
わかっています。 そのとおりじゃん て。 でも。
わたしにきちんと向き合えるパートナーができないのは
わたしがきちんとしていないからだ というのは
ある程度のところまでは その通りなのだけれど
じゃあ 世の中のきちんと向き合えるパートナーと
出会えたひとは みんなそのようにすばらしいひとで
その資格があるから そうなった ということなのだろうか
というと どうですか? そうなんでしょうか。
どうでしょう 出会っているみなさん。
いや あの 出会ったパートナーときちんと向き合い
そしてみずからと向き合い関係を続けてゆく
ということは ものすごい努力と工夫が必要である と
わたしは(想像だけど)知っています(続けられたこと
ないから)。
なので そういうパートナーと関係を続けているひと
出会っているひと は 出会いの機会をきちんとつかみ
そして 努力も続けているわけで すばらしい と
思います。 そして わたしは そうではないじぶん は
そういうひとたち とくらべて 劣っている と
思っていました。正直なところ。 てことはつまり
望みつつも彼氏ができない とか 彼女ができない
という人に対しても おなじように思っていたところがある
わけですね。それは否めません。ださいけど。傲慢だけど。
けれど すばらしいにんげんのしるし として
パートナーが現れるわけでは ないのですよね。
そういうことではなくて ともかく
いまの人生の課題が何であるか ということによって
パートナーがあらわれたり あらわれなかったりするだけ
なのですよね。 がんばったご褒美 とかそういうものじゃない。
出会ったら出会ったで その課題があるし。
まぁともかく。
わたしはほんとうに ついさっきまで
どこかで パートナーができないわたしはダメな人間だ
と思い、その意味でも焦っていたのだろう。
まえに 因果律でものをかんがえそうになっていた と書きました。
このことも そのひとつなのだと思います。 それこそがいかん。
ていうか わたしのわたしとしての可能性をつぶす考え方だわ。
と 思ったのです。
わたしはまだ 恋とかめんどうだし とか
男がいなくてもいいわこの先
なんていう境地には達していないし
この先達するのかもわからないし
それなのに恋ができるのかも 男というものと
きちんと向き合うことがあるのかも すべてはわからない。
けれど そのすべては わたしのいま の何かで
わたしのにんげんとしての優劣をあらわしているものではないのだ
と いうこと。 そういうことが ようやく
わたしの深いところに ふっと落ちてきたというのかしら。
腑に落ちたというのかしら。
またひとつわたしは解き放たれたとおもいます。
恋人ができたらいいなああああああ とおもう。
けど できないわたしも ダメじゃなくて それもまたたのしい。
これからは本気で そう感じで暮らしてゆけそうであります。
たまにはさみしくなるとおもうけど。でもそれすらも いまの課題。
あぁすべてはわたしのものだ。
中2だな。想像よりずっと かっこわるい四十路だけれど
これがわたしの人生だ。 貪欲にすべてをやり尽くそう。
その思いは変わらない。
という作業をしている時点で まだまだだなおれ
てな具合なんである。
けれども こうしてブログを再開してから
の わたしのいろいろな気付きとか内的な変容とか
そういったものは とてもめまぐるしく
記しておかないと みたいなこころもちにさせられるのであって
こういうあたりも 見るひとが見たら
ひとりで抱えられないダメなぶぶん になるのかもなぁ
などと思いながらも でもやっぱりいまのわたしは
記さずにはおれないのである。
とかいう言い訳みたいなことからはじめてて
全然解き放たれていないわけですが。てへ。
わたしはじぶんに対して
認めなければならないこと というか
あぁこれまで確実にそう考えてきていたな
ということがあります。
それは お互いを必要としあえるパートナーに
一度も出会えていないひとは それなりの理由があって
それは そのひとがダメであるからだ と
いう考えを持っていた ということです。
つまり わたしはじぶんを ダメな人間だ と
ずっとおもっていた(つい今の今まで) ということです。
バカ。
いや これを バカ とは言わないひともいるだろう と
わかっています。 そのとおりじゃん て。 でも。
わたしにきちんと向き合えるパートナーができないのは
わたしがきちんとしていないからだ というのは
ある程度のところまでは その通りなのだけれど
じゃあ 世の中のきちんと向き合えるパートナーと
出会えたひとは みんなそのようにすばらしいひとで
その資格があるから そうなった ということなのだろうか
というと どうですか? そうなんでしょうか。
どうでしょう 出会っているみなさん。
いや あの 出会ったパートナーときちんと向き合い
そしてみずからと向き合い関係を続けてゆく
ということは ものすごい努力と工夫が必要である と
わたしは(想像だけど)知っています(続けられたこと
ないから)。
なので そういうパートナーと関係を続けているひと
出会っているひと は 出会いの機会をきちんとつかみ
そして 努力も続けているわけで すばらしい と
思います。 そして わたしは そうではないじぶん は
そういうひとたち とくらべて 劣っている と
思っていました。正直なところ。 てことはつまり
望みつつも彼氏ができない とか 彼女ができない
という人に対しても おなじように思っていたところがある
わけですね。それは否めません。ださいけど。傲慢だけど。
けれど すばらしいにんげんのしるし として
パートナーが現れるわけでは ないのですよね。
そういうことではなくて ともかく
いまの人生の課題が何であるか ということによって
パートナーがあらわれたり あらわれなかったりするだけ
なのですよね。 がんばったご褒美 とかそういうものじゃない。
出会ったら出会ったで その課題があるし。
まぁともかく。
わたしはほんとうに ついさっきまで
どこかで パートナーができないわたしはダメな人間だ
と思い、その意味でも焦っていたのだろう。
まえに 因果律でものをかんがえそうになっていた と書きました。
このことも そのひとつなのだと思います。 それこそがいかん。
ていうか わたしのわたしとしての可能性をつぶす考え方だわ。
と 思ったのです。
わたしはまだ 恋とかめんどうだし とか
男がいなくてもいいわこの先
なんていう境地には達していないし
この先達するのかもわからないし
それなのに恋ができるのかも 男というものと
きちんと向き合うことがあるのかも すべてはわからない。
けれど そのすべては わたしのいま の何かで
わたしのにんげんとしての優劣をあらわしているものではないのだ
と いうこと。 そういうことが ようやく
わたしの深いところに ふっと落ちてきたというのかしら。
腑に落ちたというのかしら。
またひとつわたしは解き放たれたとおもいます。
恋人ができたらいいなああああああ とおもう。
けど できないわたしも ダメじゃなくて それもまたたのしい。
これからは本気で そう感じで暮らしてゆけそうであります。
たまにはさみしくなるとおもうけど。でもそれすらも いまの課題。
あぁすべてはわたしのものだ。
中2だな。想像よりずっと かっこわるい四十路だけれど
これがわたしの人生だ。 貪欲にすべてをやり尽くそう。
その思いは変わらない。
2013年2月2日土曜日
不合格のあとで
さて。ほんじつは残念ながら検定を不合格になった
という そういうおはなしです。
フラを習い始めて1年。年末あたりからは
検定 なるものを俄然受け始め
順調に1回の受験ごとに1級ずつクリア
てな調子ですすむことができて
1月までにわたくしは8級のひとになっておりました。
きょう受けた7級は うちの教室では
ひとまえで踊る とか 教室特製パウスカートの購入
とかいう権利を得ることができる いわば
節目の級でして わたしの当面の目標は
この7級に合格することだったのです。
で 結果撃沈。 いやぁ もうね 何回やっても
言われた通りに腕が動かない というそういうのがあったり
腰がはやく動いちゃう とか そんなんだったりとかして
はいもう一回 と。
ものすごく悔しいしへこむし あぁもうわたし
ダメなんちゃうか 一生受かれへんのちゃうか とか
思ったりしそうになったのですけれど でも よく考えたら
わたしはそもそも 運動神経もわるく
バレエを習っていた幼稚園のときも ひときわ身体が硬く
中学校のときは体育教師に「ほんっとリズム感ないよね〜」と
鼻で笑われ などという そういうにんげんであったわけで
そのわたしが そんな順調に まぁ上手♡ なんてことに
なるわけがない。 人並みよりもあゆみがのろくても
それは あたりまえ のことなのだと思い至りました。
先輩のみなさんに「わたしも何度も落ちたよ〜」とか
励まされて帰ってきたわけですが ほんと そうなのですよね。
あの いま上手に踊ってる先輩が落ちたことがある なら
わたしが落ちないわけがないじゃないか。
わたしは先生にとっても あまり覚えのいい生徒でも
筋のいい生徒でもないわけで でも いまこの教室にいて
キレイに踊りたい というふうに思っていて
そして そこには遠いとしても ともかく たのしい
と思って踊ることができているのであって もうそのことが
奇跡みたいなことなんだよなぁ と。
そう思ったらまた がんばろ。 でも悔しいから
来月は合格しよ。 と 思ったのでした。
来週レッスン行ったら また受けます! と宣言して
そして じぶんなりに練習したのを見ていただいて
またキレイに踊るヒントをいただこう とそのように思っています。
そもそも 前向き とか がんばる とか
そういうのが死ぬほどキライで 「前向きにがんばる(キラッ)」
だなんてもうそんな激烈なダブルパンチの世話になるくらいだったら
この人生から百恵みたいにマイク置いて引退する
くらいの そういうわたしだったんですけれども
人生って わからないものですね。 ていうかこのたとえはいかがか。
わたしはこの先も ものすごく上手 なひとにはならないとおもう。
ステージに出られるようになっても はしっこで こそっ と
みたいな そういうポジションになるだろう とおもう。
それでも わたしがたのしい とおもうことを
わたしのペースで努力して上達させる ということを
こうしておこなってゆこうとおもえることが ほんとうにうれしい。
そしてあたらしい。 すごくすごく あたらしいことです。
これからのわたしはActiveに。より能動的に。貪欲に。
そういう暮らしを と思ったら 前向き も がんばる も
素直にわたしのこころに入ってきたようにおもいます。
ま だからってやっぱり「それが大事」が好き♡ てひととは
一生仲良くなれないとおもうけれどもな。
それでは またね。
という そういうおはなしです。
フラを習い始めて1年。年末あたりからは
検定 なるものを俄然受け始め
順調に1回の受験ごとに1級ずつクリア
てな調子ですすむことができて
1月までにわたくしは8級のひとになっておりました。
きょう受けた7級は うちの教室では
ひとまえで踊る とか 教室特製パウスカートの購入
とかいう権利を得ることができる いわば
節目の級でして わたしの当面の目標は
この7級に合格することだったのです。
で 結果撃沈。 いやぁ もうね 何回やっても
言われた通りに腕が動かない というそういうのがあったり
腰がはやく動いちゃう とか そんなんだったりとかして
はいもう一回 と。
ものすごく悔しいしへこむし あぁもうわたし
ダメなんちゃうか 一生受かれへんのちゃうか とか
思ったりしそうになったのですけれど でも よく考えたら
わたしはそもそも 運動神経もわるく
バレエを習っていた幼稚園のときも ひときわ身体が硬く
中学校のときは体育教師に「ほんっとリズム感ないよね〜」と
鼻で笑われ などという そういうにんげんであったわけで
そのわたしが そんな順調に まぁ上手♡ なんてことに
なるわけがない。 人並みよりもあゆみがのろくても
それは あたりまえ のことなのだと思い至りました。
先輩のみなさんに「わたしも何度も落ちたよ〜」とか
励まされて帰ってきたわけですが ほんと そうなのですよね。
あの いま上手に踊ってる先輩が落ちたことがある なら
わたしが落ちないわけがないじゃないか。
わたしは先生にとっても あまり覚えのいい生徒でも
筋のいい生徒でもないわけで でも いまこの教室にいて
キレイに踊りたい というふうに思っていて
そして そこには遠いとしても ともかく たのしい
と思って踊ることができているのであって もうそのことが
奇跡みたいなことなんだよなぁ と。
そう思ったらまた がんばろ。 でも悔しいから
来月は合格しよ。 と 思ったのでした。
来週レッスン行ったら また受けます! と宣言して
そして じぶんなりに練習したのを見ていただいて
またキレイに踊るヒントをいただこう とそのように思っています。
そもそも 前向き とか がんばる とか
そういうのが死ぬほどキライで 「前向きにがんばる(キラッ)」
だなんてもうそんな激烈なダブルパンチの世話になるくらいだったら
この人生から百恵みたいにマイク置いて引退する
くらいの そういうわたしだったんですけれども
人生って わからないものですね。 ていうかこのたとえはいかがか。
わたしはこの先も ものすごく上手 なひとにはならないとおもう。
ステージに出られるようになっても はしっこで こそっ と
みたいな そういうポジションになるだろう とおもう。
それでも わたしがたのしい とおもうことを
わたしのペースで努力して上達させる ということを
こうしておこなってゆこうとおもえることが ほんとうにうれしい。
そしてあたらしい。 すごくすごく あたらしいことです。
これからのわたしはActiveに。より能動的に。貪欲に。
そういう暮らしを と思ったら 前向き も がんばる も
素直にわたしのこころに入ってきたようにおもいます。
ま だからってやっぱり「それが大事」が好き♡ てひととは
一生仲良くなれないとおもうけれどもな。
それでは またね。
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