2014年12月31日水曜日

とてもシアワセな

 はいどうも。大晦日です。2014年もとうとう。
わたしがいまのわたしのように感じることができるようになった
そのこと自体がクリスマスプレゼントみたいなものですよ
とかここにも書いた10日前だったのだけれど。

 その後10日でまさかこんなことになるとか
想像だにしていなかったけど 起きるときには起きるのね。

 冬至で新月で という19年に1度しかないその日に出会ったひとと 
わたしはそののち おつきあいすることに。
きゃー。

 こんな冗談みたいなシチュエーションで
わたし騙されてるんじゃ? とか考えたりすべきかな
とも思ったけど、何かが走り出すときの
いいタイミングでことが起きる流れとか 
そういう感じのほうを 
一緒にいてイヤじゃない むしろ ちょっと知ってみたい 
と思ったその感じを
わたしは信じてみよう と思った。

 しかも。こんなことははじめてだけど
彼はわたしの笑顔にやられたそうだ。
(これはさすがのおれもBlogにしか書けない(照))
これまでのわたしは ネットが何らかのかたちで
介在したツールによって知り合ったひととばかり
つきあっていたから、わたしを気に入るルートは ことば
だった。 それが。 はじめて ことば ではないところから
わたしを知ったひとに いいな と思っていただけたというのが
ほんとにうれしかったし 斬新! なことなのだった。
わたしも ことば からのたたずまいではなくて
そのひと本体からのたたずまいを気に入って そのひとと
つきあってみよう とおもうことができたわけで
そのことも 斬新! なことなのだった。

 もうひとついうと わたしにとって
うまれてはじめての近距離恋愛で、たぶん徒歩10分以内のところに
彼は住んでいる。近すぎて大丈夫か? とちょっと思ったけど
うまいぐあいに仕事の休みがわたしと違っているから
徐々に仲良くなってゆくこともできそうだし
ほんとに仲良くなったら 休みが違っていても
近さを活かして 会いたいときに会うこともできそう
というなんだかちょうどいい感じなのだった。

 
 冬至で新月で あぁほんとうにこれからあたらしい年
と思っていたら そのタイミングでこういうことがあって
だから わたしはこの縁を大事に育ててみよう とおもう。

 フラを中心に というのは変わらないんだろうな
とおもうけど、このひととの関係が わたしのフラに
プラスになるようにもおもうし
きっといまこうなったからには こうなるなりの何か が
あるのだと思えるから。

 ひさしぶりにちょっと浮かれてます。うれしい。しあわせ。

 2014年のしめくくりにこんなことがあって
名実ともに ほんとうにシアワセないちねんになりました。
ありがとうございました。

 2015年も引き続きどうぞごひいきに。よろしくおねがいいたします。




 
 

2014年12月29日月曜日

誰かの何か その後

 トモダチのBlogを読んでいると
生じている出来事や、実際の物理的な動き方 というのは
もちろん違っているけれど、人生でやっている課題とか
そういうのがとても似ている と思ったりすることがある。

とてもはげみになるし じぶんを顧みるときの
別の視点を提示してもらったみたいな気持ちにもなるので
ありがたいな とおもう。 それぞれのことは
それぞれにしかわかりえない としても。

 人生がラクになったのは 相手に求めるぶん
じぶんをがちがちにする ということがなくなったからだろう
とおもう。

 あなたは求めてばかりの最低なにんげんだ というようなことを
言われたことがあって、そのときはただただ傷ついたし
でも そうなのかな と思うところもあって 
これを認めないといけないのかな と思ったり
でもこれって 言ってるほうも
わたしにそれを求めてるんですよね と分析してみたりもして
ぐずぐずしたとおもう。

 それが。やっぱりフラがわたしをしらないあいだに
ここに連れてきてくれた とおもう。そこで出会った人々や
踊るときのこと。 その日々を過ごしているうちに
わたしはそこからだいぶ抜けたのだ。

 わたしは誰かの何かになりたかったのと同時に
誰かにわたしの何かになってほしかったんだろう。

 けれど。 わたしがわたしでいさえすれば。
わたしがわたしでいさえすればなんでも ってむかしから
口では言っていたけれど そのほんとうのところに
わたしは気がついていなかったのだろう とおもう。

 誰かの何か というところが 知らない間に
気にならなくなっていた。ここまでくるのに
最低のにんげんだ ということを言われないといけなかったなんて
返す返すも情けない感じだけれど。 言ったひとも
とてもとても傷ついただろうから こういうことは
なかったほうがいい出来事だけれど でも 起きてしまった。
起きてしまったのなら そこからわたしは学ぶしかないのだし
そうしなかったらそれこそどうしようもないんだろう とおもう。

 
 なんて。そのあたりがすっきりしてきたら
なんだかいろいろ動き出している ようにおもう。
ひさしぶりのきもちにも なりつつある。ふふふ。

 なんてすばらしいまいにちなのでしょう。

2014年12月20日土曜日

もうすぐクリスマス

 そんな題にしてみたんであるけれども ことしほど クリスマスだ!
ということを感じていない年もなかろう というくらいには
クリスマス感のない年の瀬である。

 一昨年クリスマスの日に親指の甲を包丁で削いだのに続き
この時期の何か として ことしは ぎっくり腰 をやらかした。
ずいぶんと ぎっくり腰そのものではない と思おうとしたけど無理で
結局のところは 中程度のぎっくり腰ですね と言われるような
そんなアレだった。1週間痛かった。 特に月曜日あたりは
もうどうしようかっていうくらい。月〜水のおれ GJ。お仕事だって
月と水は半日ずつ休ませていただいたほどだったのだから
よく耐えました。がんばりました。仕事よりねっしんに
整骨院に通った1週間。 フラをはじめてから練習をしない日が
5日も続いた はじめての期間。

 ことしもわたしにとってはかなりいいいちねんだったとおもうし
去年よりさらにわたしはじぶんの顔が好きになったし
てことで このまますっと終わらせてくれてもよかったと思うのだけど
そうは問屋が卸さないのがおれクオリティ。 やっぱりびしっと
どこか振り返らざるを得ないようにできているのだ。


 ところで。 最近Blogにもあまり書くことがなくなって
というのは むかしTwitterをしていたころには
顔本 と呼んで非常に恐れていたFacebookに いまや
わたしはすっかりなじみ、あらゆる知り合いのいるそこに
わたしをすっかり提示することを厭わなくなり
そうしたら ここでこそ書けること ここでこそ書かねばならぬこと
のようなものはなくなってきた という感じなのである。

 もちろん これでいい ということはなく
きっとまだまだこれからいろいろあるし
いろんなことが変わってゆくのだとおもう。

 わたしがFacebookを怖がっていたのは
いわゆるリアルの 現実世界でじぶんがなじめているのか
いつも不安だったから だし 裏を返せば
じぶんをトクベツに価値あるものと思いたくて
現実世界となじめないもの に仕立て上げようとしていたから
とも言えるとおもう。 いや、もちろん(?)なんていうか
生きにくさ のようなものはあったかもしれないけれど
それはわたし自身が作り出したそれ だったような気がするのだ。
わたしは残念ながら そんなにトクベツではなく
しかしまた同時に そういうこととは関係なく トクベツな
たったひとりのわたし であるのだ。 あたりまえだけど。

 わたしの場合は 世の中の多くの人ががんばって営んでいる生活に
がんばって追いつくことをしなかった。 がんばってもできなかったら
という気持ちもあっただろうし そこになじんでしまって
じぶんの価値が見えなくなるのが怖かった。 それで
なじめないのだ ということにして努力をしない方法を選んだところがある。
おそらく その方法のなかでもがんばってきたこと
やりたい とおもった仕事に就くためのこととか そういうのは
やってきたけれど でも わたしはどこか
生きにくいひとプレイ をしていただけなのではないか
という気もしているのだ。

 今となっては プレイであってもわたしの本質のようなものと
わかちがたくなっていることがたくさんあって
本気で いい! と思うものがちょっと一般的ではなかったり
などのこともあるけれど でもそれは 表面的な
ほんの瑣末なことなのではないか と思うのだ。

 わたしはどうしたって 非凡ではないわたし を
認める必要があったのだとおもう。これまではそういう道のりで
だから わたしの一見非凡そう というか 変わってそう
に見えるところに飛びついた人たちとは 別れなければならなかった。
かなり ひどいかたちで。

 もうわたしは わたしのことを 変わっているね とか
変わっているその仲間だよね というかたちでおもうひとと
付き合うことはないのかもしれない とおもう。
そういう観点からの付き合いのあったひとが 実はここ数年で
みんないなくなってしまったようにおもう。

 わたしがわたしをトクベツに思いたかったばかりに
傷つけたり 同時に傷つけられたりしたことが たくさんあって
そのことはずっと痛みとして残るだろうけれど。

 
 よくわからないけれど 去年行った占いのひとが言う感じからすると
わたしのあんまりよくない運気 みたいなのは
ことしあたりで終わって 次からはまた はじまっていくとき
なのだとおもう。 長い長い何かが ほんとうに終わったのだとおもう。

 こんなことを思えているのが ある意味
クリスマスプレゼントみたいなものだよなぁ とおもう。
ほんとうにありがとうございます。

 
 さて。 わたしがここまでくるのに
BlogなりTwitterなりFacebookなり
ことば を使うツールにはほんとうにお世話になったとおもう。
わたしはあとにまで残ることばを紡ぐことは生業にしていないけれど
そろそろもうすこし ことば をいたわって
こうしてお世話になった ことば に感謝するような
そんな文章を書けたらいい とおもう。

 て、言うても文章が急にうまくなるわけもないし
程度は知れているわけですが でも わたしのことば として
もうすこしていねいに ここには発信 というか
表現できたらいいな と思っている。ことばのために。

 ありがとう2014、ていうかここ数年。 
しにものぐるいでそういってた2年前3年前とは
ぜんぜん違うこころもちで やっぱり 人生はミラクル! と
わたしは言います。