2015年2月27日金曜日

これからの人生

 その後 びっくりするくらいあっさりと 
ふたりを育ててくれたひとたちが
わたしたちが一緒に生きてゆく公的な約束をしよう
としていることに賛成してくれたのだった。

 あと半年くらいのうちに わたしはきっと
みょうじがかわったり 住むところがかわったり
などしていることだろう。

 誰かを信じる ということは
じぶんを信じる ということと ほぼ同義なのだな
ということを思った。

 たった2ヶ月だけれど 彼と関わる生活を送るなかで
それは確信となった。 わたしがわたしを信じられなくて
どうして相手を信じることができるだろうか。

 誰かを愛ししかもそのひとに愛される というのは
トクベツなことだと思っていたけれど
それがいまわたしの人生にほんとうに生じていて
と わたしは思うことができている。

 これまでつきあってきたひとに
わたしはほんとうに申し訳なかったな
とおもうくらい じぶんに自信がなく
だから それを補償してくれたらいいのに
と期待して失敗したのかな とおもう。

 失敗っていうか ただ単に
縁がなかったんだろうけど。

 出会うときにちゃんと出会えたいまのひとと
いろんなたいへんなことがこれからあっても
ちゃんと関係を築いていきたい。 それができるわたしになって
出会うことができたのだ とおもう。

 ありがとう。ほんとうに。

2015年2月16日月曜日

ふたたびの でも はじめての

 わたしたちはこれから一緒に生きていこうと
そういうふうにむかっていこうと
ふたりだけの約束をした。

 その翌日であるきょうのわたしの笑顔は
きのうまでよりすこし やわらかくなっているだろうか。


 こういうことを誰かと話すのは
はじめてではないけれど
でも こんなにじぶんのなかに
見て見ぬふりをしているものがない
なにかにせきたてられているわけではない感じで
そういう話ができているのは
はじめてで
だから はじめてのこころもちで
まっさらなところにそれは伝わってきて
わたしはうれしかった。

 
 彼はわたしにわかるように
わたしにむけて 言ってくれた。


 わたしはそう遠くない将来、
だいすきなひとの およめさんに なるのだ。
まわりのたいせつなひとたちや
お互いをそだててくれたひとたちが
こころから それはすばらしいことだね と
笑顔になってくださるかどうかは まだわからないけれど。
最終的にそうなっていただけるようなところにむかっていこう
と そう 話すことができたのだ。


2015年2月7日土曜日

おおきくうごく

 漠然と感じていたけれど、それは 単に日が浅くて
だから 最初の勢いのようなものに
すっぽりつつまれているからなのだろうな 
と思っていた。 この1ヶ月。

 でも その勢いみたいなものは 不思議とわたしにとって
地に足がついている感覚があったし、それでもちゃんと育って
ふたりのあいだにはいろんなことがあって
そうしたら わたしの人生はこれから 見たところの動きが
とてもとても大きくなりそうな感じのところにきている。

 もうそんなふうに。 大丈夫なのかな と思っていたけど
どうやら大丈夫みたい。 わたしの奥のほうが感じていることは
不安にゆらぐよりもずっと 最初の直観を支持することばかりで
安心はこうして育てていくのだ という思いが強くなる。

 神様(のようなもの) わたしをいまに連れて来てくれて
お互いがお互いを見つけることを こんなかたちでとりはからってくれて
そのタイミングを お互いが逃さないでいられるようにしてくれて
ほんとうにありがとう。

 何があっても いまのこの感じをわたしはきっと思い出すし
出会った日のことを思い出すだろう。
そんなご褒美みたいなことが結びつけてくれてつながれたのだから
お互いにむけてきちんと真摯にある努力を(もちろん無理ではなく)
していける とおもう。