突然に気づいたんですけど。
アンパンマン、キライでした。すごく。もうほんと なんなのあれ、てほどに。
しかしお子たちには爆発的人気。てか、あれがだいすきな時期をみんな通る し、
その後もキライになるひとは少ないだろう。熱愛、までにはならずとも。
が、わたしはずっと大キライだった。アンパンマンが。
たぶん最初にアンパンマンに違和感を持ったのは
元ネタの絵本を読んだ小学生の頃
だ(とおもうんだよ)。
「さぁ ぼくをお食べ。」
お腹のすいたひとに何の躊躇もなく顔を差し出すアンパンマン。
えええええええええ
って。なんだそれって。おもったのよ。
でも、わたしがそこに えええええええええ とか思ったのも
アレをキライやと思い続けていたのも
わたしにああいう しぜんとわきでる
自己犠牲の精神みたいなもの 利他の精神みたいなもの
が全然なくて、ないだけでなく、
その ないこと を にがにがしく思ってる なんてことも認めたくなくて
で、なんやねんあいつキライ
てなってたのかなー とおもう。
めんどくせえ。てか、ほんと、ひととしてどうよ、おれ。
まぁそんなこんなで
おもいやりというものがないよね
口先だけでは何とでも言うけどひどいひとだよね
と 言い放たれてしまうに至ったのでしょうなぁ。
てまた他人事みたいに書いちゃうけど。
ごめんね。そんなこと ほんとは口に(文字に)したくもなかったし、思いたくもなかったよね。わたしにそういうのを言い放ったみなさん。わたしのことがほんとうにキライでこれ以上つきあいたくない とか思ってしまったみなさん。
と、いうところにたどりついたところで
突如としておもいやりあふれるひとになるわけではなく
ここからはわたしの努力と心がけがすべて
なのだろう。 …とか言ってることが青年期。バカ。
さて。
それでもまわりにいてくださるひとに 媚びるのではなく
びくびくするのではなく
ただ どう在るわたしを還してゆくのか
という。そういうことなのよね。
ずっと長いこと
わたしはほんとはダメにんげんで、いつかそのことがバレるのでは
とびくびく過ごしていたために、1度目の結婚生活はそのままのものになったし、
その後も自信のなさから触媒みたいに生きる感じを長年やめられずにいた。
で、次に そこから抜けつつあったここ数年、今度は爆発的にひとから嫌われるなどのことに見舞われ、
それは 触媒ではないわたし や
職業的知見を引き出せないわたし には価値がない
とわたしが思っていた ということだけでなく
ほんとは自己犠牲の精神なんてあんまりないわたし を
認めてなかったこと にもあるのだろうな。
ああなんてながいみちのり。
もうほんとの意味でじぶんを認めたいし、自己犠牲の精神 ていうか 利他の精神 をなんとか少しずつでも
じぶんに植毛するみたいにちまちまとでも植えつけたい。
ともかくそんなきもちです。
だいすき にはならないけど、もう大キライではないよ アンパンマン。
顔を食べてもらう人生も、顔をみんなが力を合わせてリフレッシュしてくれる人生も、
あるよね、としんからおもう。