2015年1月18日日曜日

4週間

 まだ存在を知って4週間なんだけれど。
もうずっとまえから知ってるみたいになじんでいて
こんなことあるんだなぁ とあらためて思っている
そんな今日この頃なのだけれど。

 このたびの彼は ちゃんと気持ちをあらわしてくれるし
わたしはその気持ちを素直に受け取ることができているし
信じることができている。
そうしたら 会わないでいるあいだに
いろんなことをいちいちなんでも報告、とかしないでもいられるし、
もちろん思い出すけど、それだけで満たされているような感じがする。

 これまでの恋愛では わたしは気持ちを伝えたくてしかたなくて
なかば必死にいろんなことを言っていた。返事はいいからといって
たくさんのことを それこそ 垂れ流すかのように。
けれど いまはそういう感じがいまあまりなくて 
わたしは必死になっていないし ほっとして過ごすことができている。
ただ 会いたいな とか 一緒に食べたいな とか 一緒に見たいな 
とか 一緒に行きたいな そういうことを思うだけで。
そういういまになって これまでいかに  
相手やじぶんを信じることができない恋愛ばかりしてきたか 
ということが 実感としてわかるようになった。

 わたしが必死に相手にメールをしたり 
頻繁に手紙を書いたりしていたのは
遠距離だったから というだけではなく
やっぱり 相手がわたしのほうをそこまで向いていない と知っていて
だからこそできていたのだな とほんとうにおもう。



 たったの4週間で何言っちゃってんの と思われるかもしれないけど。
でも わたしはこの4週間で いままで知らなかったことをたくさん知ったし 
気持ちをむけていただけるしあわせを
はじめて受け止めて 感じることができたから
だから このきもちはたいせつにしよう とおもう。

 なーんていう思春期みたいな。
でも 思春期じゃなくていまだから わたしはいま生じていることに
わたしをゆだねることができているのだろう とおもう。
ありがとうかみさま(のようなもの)。


2015年1月16日金曜日

足りぬ想像力

 まぁタイトルからもわかるように。やっぱりね
浮かれているとね それ相応の戒め的何か というのが
ちゃんと表に出てくるのですよね。 て、このたび浮かれているから
何かがあったんじゃなくて 浮かれた状況になったことをきっかけに
指摘されることにあいなった ていうことなのですけれども。
それは かつて 思いやりがない と
一刀両断された部分についてのお話でございました。

 ずっと仲良くしている と思っていた彼女の様子が
ちょっとへんだな と思っていたここ数ヶ月。でも 何やろうか
とずっとひっかかっていたところ。

「なかなか相談しないわたしが父親との不仲を相談していて
そのことを知っているはずなのに、家族で仲良さそうな写真とか
見せられて傷ついた」
「恋愛にはほとほと疲れているのに そのことは知っているはずなのに
占いのことをみんなに言って 一緒に募集中みたいに言われてしんどかった」

 ということを言ってくれたのでした。 ねぇ。あの。
もうわたしの 想像力と思いやりがない 以外のなにものでもなく。

 もちろん わたしは家族仲がいいことはないし でも
いまのたのしい生活みたいなのがあって 
ようやくここまではできるようになった という背景などもある
けど それは彼女にあまり話していないことだし
それぞれの家のこと というようにはならないことだったのだろう。

 募集中 の話については、彼女も合コンの話などを受けていたし
というところがあって考えなしに言っていたけど、いま思えば
元カレについてどうなんだろう ということをうすらぼんやり感じていて
その直観みたいなのをもっと丁寧に扱うべきだった ということで。

 彼女のほうも「うずちゃんならあまり言わなくてもわかってくれる
と思ってて、そんな期待があったからじぶんも悪いんだけど」みたいに
言っていたけれど でもそんな期待をさせたのはきっとわたしだし
どちらにせよ 思っていたのと違う が限度を越してしまい
態度を変えざるをえなかったのだろうし、
指摘せずにはいられなかったのだろうし、
その根本に わたしの想像力と思いやりが足りない という
歴然とした ひととしてどうかとおもう と彼女が思ったであろう部分があり
きっと彼女は わたしを責めている 怒っている のではなく
わたしを見切ったけどもうこれ以上この部分で傷つけないで
という発信をしてきた ということなのだろう と思った。

 期待を引き受けてそしてがっかりさせる という
今まで通りのパターンが生じた ということだ。

 ほんとうにこれは わたしが謙虚にあらねばということを
示してくれている出来事とおもう。 これから彼女も含め
みんなと作り上げていくことになる大きなステージもあるし
わたしにはきっと ただオープンにすることだけでなく
謙虚に立ち返ることが これから必要となるのだとおもう。

 彼女たちがわたしをそのまま受け入れてくれたことで
わたしはいまのわたしになったというのは まぎれもない事実だ。
その彼女に こんな思いをさせていた というのは悔しい。
わたしは 自由にしてていい と甘えすぎていたのだろう。きっと。
まわりのひとがどうであるか にあわせすぎるような
それに応じたじぶんであろう とはもう思わないけれど
わたしにはもっと 周囲への感謝とかそういったことが
必要だったのだと思う。そういうことを こんなかたちで
知ることになってしまった。

 思いやりがない 最低 と言われたわけではないけれど
過去にそう言われたときに 学びきれていなかった何かがあって
それがはっきり出てきたのだろう とおもう。

 わたしばかりが悪い と反省しすぎるのは違うとおもうけれど
わたしはほんとうの謙虚さを身につけていきたい 
想像力と思いやりを身につけていきたい とこころからおもった。

2015年1月7日水曜日

トラ

 わたしのあたらしい彼は ばななちゃんの『なんくるない』に
出てくる トラ みたいな感じだ。もちろん彼とトラとは違うけど
でも あの素直にまっすぐに来る感じはまさに小説のトラみたいだし
それをちゃんと受け止めてみよう とわたしが思えているのも
なんだかほんとうにあの小説に書いてあることみたいなのだ。 

 むかしあの小説をはじめて読んだとき ステキ と思ったけど
わたしの人生にこんなことは「絶対に」あり得ない ともおもった。
これは小説だから。世の中のなにかのエッセンスを
煮詰めてひろいあげて象徴化した お話 だから と。
それなのに。起きてしまった。めのまえで。

 わたしにとって トクベツなおはなしとして
これからも残るのだとおもう。 わたしがわたしの感じを
ひらいてここに在るようになったら ちゃんと見てくれるひとと
出会うものなんだなぁ なんて。 まだはやいかもだけど。
とか 言う必要もほんとはないんだとおもう。
わたしが感じているいまのこの感じをちゃんと味わおう。
それだけ。それが彼にもじぶんにも誠実であることなのだろう
とおもう。

2015年1月3日土曜日

あけまして2015ねん

 あけましておめでとうございます。
じっさいなんかめでたいです。浮かれてます。
けど、なんていうのか ほんの2週間まえまでは
まったくの知らないひとであったところのひとと
これからいろいろ知り合っていきましょう と
約束した関係にあるということが
ちょっと不思議で まだたまに あれなんだろうこれ
みたいにおもうことがある、その感じすらたのしい。

 でも全然知らないひとだったはずなのに
緊張しなきゃならないようなところや
いいとこ見せねば というふうに思う瞬間がなく
ただ恋のはじまりの 勢いみたいなものだけが感じられて
ちょっとくすぐったい感じで うれしくなる。

 最初は手探りで このひとは何のつもりで?
とか 実際のところはどうなの? と
思わないわけではなかったけれど
その不安のようなものを すこしずつ解消するようなことを
たぶん そうとは思わずにしてくれているのが
とてもうれしかった。

 こんなふうにはじまることもあるんだなぁ
というのが正直な感想で それは 予感があるとかじゃなくて
ただほんとうに そのとき がきてはじまるんだなぁ
といまは感じている。

 まぁいうても10日あちこちですからね。
これから重ねていくものがあるんだな ということが
たのしみ。いまがいまになって ほんとうによかった。
そして このいまのわたしを みつけてくれてありがとう。


 で。このたびはこういうひとができて
いまから仲良くなっていくところです ということを
両親に思いきって話してみたところ
はじめてよろこんでくれた。両親とも。 
まぁ母はちょっとだけ 無理をしていたとおもうけれど。
でも わたしがたのしくいられるひとならいい と
父が言ってくれて よかったじゃない という感じで言ってくれて
わたしはやっぱり 親に認めてもらいたいんだな と思ったのだった。
わたしがどう感じているか がもちろんいちばんだけれど
やっぱり認めてもらえるとうれしい。
なにより この関係を 安心して育てていこう
と思えるのが ほんとうにうれしかった。


 そんな2015ねん。 この関係も だいすきなフラも 仕事も
わたし自身の成長も ぜんぶぜんぶ ここはそれこそ貪欲にがんばろう
とおもう。 ありがとうかみさま(のようなもの)。