2013年7月30日火曜日

そろそろほんとに

 さて。もうすこしすると世の中は8月になりますね。本格的に夏です。
まぁ 夏なんですけれども。すでに。

 きょうは午前中ボランティア出勤して会議、
で 帰ってきてついつい昼酒を飲んでいるわけです。
だって暑いし。がんばったし。


 先日はぐずぐずと発作を起こしたりしたものでしたが
すでに復活。 もちろん思うところはいろいろありますけれども
でも いまある人生こそがわたくしの いま であり
通るべきみちであり そのあたりはもう なるようにしか
ならないのであるし いま のこの瞬間をどう過ごすか だけが
今後につながっているので もうほんと いまをいかに生きるか
ということになるのですね。 えぇ。酔ってますとも。


 とはいえ、酔っているかどうか ということで見解が変わる
ということはあまりないわたくしです。 これはきっと
酔いがさめたところで おまえなにかいてくれとんねんぼけかす
てことにはならない とおもうのですよ。


 なーんて。 とどのつまり 酔っていようといまいと
まだ いまこの瞬間が とかいうことを 
ここにわざわざ書かなきゃならないくらいに
わたしはすこし 頼りないんだ ということだとおもいます。

 何度も言うようですけど ほんとにそろそろ
恋愛したいんですけどね。



2013年7月26日金曜日

発作のよる

 たまに 波がおしよせるみたいに
なにかの発作みたいにやってくる 
さみしくて 気が狂いそうな夜。

 きょうがその日だ。

 ちゃんとだいすきな趣味があって
あしたもレッスンで そのあとには
だいすきなトモダチと飲みに出かける予定だってある。

 あたらしいなかまとの あたらしいひろがりだって。


 それなのに。


 あとからあとからおそいかかってくる
でもあんたひとりじゃん という声。
活き活きしてるとか言われていい気になってるかもしれないけど
だれもあんたと一緒に生きたいっておもうひとがあらわれないじゃん 
それが現実なんだよ? という声。

 たったひとりのひとの肩に
すこしだけよりかかりたいような 
甘えたじぶんが顔を出す夜。

 そんなこと思ってもどーしようもないのは
わかっているのですし。 たまにくるこれは
まぁ プレイの一環だな ということも。


 きょうはいっぱい泣いて 
あしたからまた
わたしがわたしであることに
いまあるひかりにフォーカスして
くらしていこう。

 
 

 



 

2013年7月18日木曜日

いまここに在る

 だいすきなトモダチが
もんのすごいこころの旅を 実際の旅も通しながらやって
彼女にしかわからない 彼女の いま の場所にいることを
わたしはとてもうれしくおもう。
 
 わたしはそのトモダチのようなストイックさはないし
まだまだ とても俗っぽい わ、なにそれー みたいな場所にいるけど
でも そんなわたしにとっても 世界はきびしい優しさで
そこに厳然として たしかに在る。 すごいよ。


 わたしはいま ここにいる。


 いまのこの場所や わたしのいまのたたずまいは
あるひとにとっては とてもつまらない あるいは
とてもイヤな感じのする そういうものであるのかもしれない
ということを思うけれど でも それは
そのひとそのひとで 在る場所や ステージが違うので
そのように感じられても仕方のないことだ。

 とか いちいち書いてしまうくらいには
わたしは俗物だけれど でも。 それでも。
最近ほんとうに わたしがわたしになっていってること
そして わたしは いまここ に在る ということばかり
そればかりを感じるのだった。


 

2013年7月15日月曜日

すばらしい旅

 ハーフマラソンの大会に出たんである。

 去年の10月、その大会に出たことのある友だちが
たのしい大会だよ〜 みんなで出ようよ〜
とかFacebookで誘ってくれてね それで
高校時代の同級生5名+マネージャー参加1名 の
計6名で 小布施に集まりまして それで
走ってきたわけですよ。 いやぁ たのしかった。

 大会自体も まちのひとたちがみんなで
タイムよりランを楽しめるように随所に工夫してくださっている
というのが感じられる、ランナーにとって至れり尽くせりなものでした。
コスプレして走るひとも大勢いて いくらの軍艦巻き とか
シャア専用ザク とか そんな「それで走れるん?」みたいな格好で
完走しちゃうような そういうのが許される とてもとても
こころあたたまる大会なのでした。さらに途中
マラソン大会なのにワインが飲めちゃうコーナーもあったりして
そこもまた魅力!

 これまで10kmとか5kmの大会には何度か出たことがあったけれど
スタート前もみんなタイムとか完走できるかを考えて緊張してる、
みたいなそういうぴりぴり感、どうも落ち着かない感じ というのが
あったのだけれど、そんなのがまったくない、
出場するひと全員が とにかくたのしもう! としている
そういう大会でした。 それってものすごいことだとおもうのよ。


 今回は 高校時代1度たりとも話したことがなかった
というひともいたし というか 高校生当時は
仲が悪かった とは言わないまでも あまり接点がなかった
というような そういうひとたちだったりもして
どうなるのだろうか とも思っていたわけですが
それがねぇ なんかもう たいへんにきもちよく
走って 食べて 飲んで 話して つまり
すばらしい旅をすることができたのでしたよ。
ほんとうにほんとうにすばらしいことでした。

 みんなでお揃いのオリジナルTシャツを着て
ふりふりのランスカ履いて みんながそれぞれのペースで
笑いながら走って さいごしんどくなったところもあったけど
でも笑ってゴールできて とてもとてもとても
さわやかなこころもちになれました。


 さらにさらに。

 このたびは非常に もんのすごく スペシャルな逢瀬も
用意されていたのです。

 それは!!

 わたしがかつて うずまきのながれ というブログを
みちみちと書いていた頃からのブログ友だち
鯖猫さん と! とうとう! ついに! 会うことが! できたのです!!

 鯖猫さんは わたしがこの大会に出る というのを知って
大会にボランティアとして参加してくださったのです。
あぁ なんてステキなんでしょう。

 そしてそして。 はじめてお目にかかった鯖猫さんは
実にキュートで かわいらしい女性で わたくしはそのことにも
大感激!! 笑顔がやわらかくて ほわん としてて
ひとめ見て さらにだいすきなひと になりました。

 さらに。 ゴール後のわたしたちのために
よなよなエールいろいろ を差し入れてくださり
酒好きのわたしたちは きゃっきゃいいながら
そのびーるで祝杯をあげることができたのです。
朝の10時にもならない頃に(笑)。

 
 近ごろ すばらしいことがたくさんあるんだな人生には
って思えるような こんなことがちりばめられていて
ますます 生きてゆくのはやめられないなぁ と感じています。


 ありがとう。ほんとうにありがとう。


 また会う日まで。 このたびの旅は
一生 わたしのこころの栄養として 活躍してくれるのだろう
とおもいます。


2013年7月7日日曜日

わらってくれないか

 疲れて家に帰ってきて あたまがぼんやりして
もうあんまりまともなことも考えられない って感じで
そしたら お祭りが終わりに向かっていた 一昨年の年末から
お祭りが終わったあとの しけた花火みたいなことしの正月までの
その一連の出来事がまた思い出されて
なさけねーなー という気持ちでいっぱいになってしまい
ちょっと泣いた。

 どうしてわたしは かっこよくいい思い出にすることが
できなかったんだろうな。 こんなこと言っても どうしようもないと
わかっているけれど。 そして もうこれは
何度でも反芻して もう噛んでも噛んでも 味が出ないくらい
やりつくしたことだったはずだったのに。


 わかっていることは 次に同じようなことがあったとしたら
このたびのような 振り返ったとき ただのかっこうわるい
後味のわるい そういう思い出になってしまうような始末の付け方は
なるべくしたくない しないようにしたい とうことと
そうなのだけれども それでも でもやっぱり
そのときになってみないと じぶんがどんなこころもちになるかなんて
ちっともわからない ということだけだ。


 がんばろ。 とにかく。 なさけない けど。
でも これがただの つまらんプレイに
なりさがらないようにしながら。 しょうがないねぇほんと。


しょうがねぇなほんとに って だれかわたしをわらってくれないかな。
しょうがないんだよほんとに って言いながら 泣かせてくれないかな。


 て それもぜんぶ じぶんでやることだって わかってるよ。

 七夕の日になにを言ってるんだろね。 41歳まであとひと月と23日。
思春期まっただなか。 長いわ。


2013年7月6日土曜日

やわらかにひらく

 さてみなさん。(浜村淳風)
て いまや じぶん相手に忘備録みたいにして書いてるこのブログ
読者を想定していないのにこのはじまり方。 どうしてかって?
なぜなら!きょうは!いろんなひとに!自慢したいくらい!
うれしいことが!あったから!!

 まぁ 何って 通ってるフラ教室の ハラウ内検定4級 に
合格した っていう そういうことなのですけれども。ええ。
うふ。うふふふ。

 なんだか時間が経つごとにじんわりひろがるよろこび。
と、同時に ほんとうに? とか だいじょうぶか? も
あるわけですが。

 この検定 もちろんうちのハラウにしか通用しないものなのですけれども
10級から1級まであって 7級に合格すると ハラウ特製パウを買う権利
4級に合格すると アドバンスクラスのレッスンを受ける権利 を得る
とかなどのことがあるわけです。 最終的に1級に合格すると
インストラクターもできるよ みたいな。そういうね。

 てことで 検定があるんだー と知った去年の秋口くらいにおける目標は
7級に合格してパウを買う! だったし 7級に合格したのちの目標は
4級に合格してアドバンスクラスのレッスンを受ける! だったわけです。
特に 4級に合格する というのは じぶんのなかでも
かなり大きな節目と思っていたことで なので とてもとてもとてもとても
うれしいのです。


 もちろん 合格させていただいてるけれど わたしの踊りは
まだまだ初心者のそれで、実際アドバンスクラスにいる先輩たちの
うっとりするようなうつくしい動きにはほどとおいです。 が。
なんか やっと 入り口にきた というか。 そういう気持ちで。
あの いつもためいきつきながら見ていた あのすばらしい踊りに
すこしずつでも 近づくことができるための その入り口。
わたしも そこを目指してもいいんだ という その入り口。

 身体も硬いし運動音痴なわたしが ここに立たせていただける
なんて 去年のお正月に やっぱりほんとにフラやろう って
決心したときには 思いもしなかったのに。





 きょう 検定のときせんせいに「うずちゃんは正確にしっかり
やってくるひとだから ステップもちゃんとしてる。あとは
遊びの部分。それができるようになるともっとキレイになるよ」と
言っていただきました。 正確にしっかり なんだなぁ。
まえにも やわらかさがない とせんせいには言われていますが
ほんとうにわたしの人生の課題はそこなのだなぁ とおもうの。

 優等生ぽいところが どうしてもある。
世の中への構えなのだろうか。 がちがちになるところ。

 そういうところは むかしよりずっと
よくなってきた とおもうけど、まだまだ より 開いていける
ということなのだろう とおもうのよ。 
そういう やわらかな より しなやかな在り方 へのレッスンを
フラを通してもおこなっているのだな といつも感じます。

 ふわりとしたものを じぶんのものにしたい。
わたしがもともと持つ たたずまいのようなものに
もっとそうしたものが 加わってゆきますように。

 そしてそして わたしが外側に出している
些末な(まぁたいせつなことではあるけど)好みとか
興味とか そういったものではなくて 
もともと持っている奥のたたずまいが もっともっと
世界に対して開いて流れてゆけますように。
お互いのそういう部分たいせつにおもいあえるひとと 
めぐりあいますように。

 

 

2013年7月1日月曜日

こころをひらくこと

 7月! てことで2013年も半分終わって後半戦。
て 闘ってるわけじゃないけれども。

 最近思ったこと。

 わたしはたぶん ちょっとだけはかわってるけど
でも そこまでかわってなくて
若い頃 世の中とうまくいかなかったのは
うまくいきたくなかったから なんじゃないか
とおもう。 そういうふうにして じぶんのアイデンティティ
みたいなものを確立した気になりたかっただけ なんじゃないかな
とおもう。 わぁかっこわるい。

 なんでそういうふうに思ったか というと
最近のわたしは たとえば EX○LEがすき♡ って言ってるような
そういうジョシともちゃんといろんな話をしたりだとか
いわゆるジョシ ジョシの極み みたいなティールームで
きゃっきゃして茶を選ぶ とか そういうことも
意外とできてしまっているし できてる というだけでなく
そういう世界の中にたまにお邪魔するようなことも
こころから楽しめることに気付いたから なのだった。

 つめにきのこやふくろうや太陽の塔やかたつむりを描いてもらおう
とするようなひとは そういうひとたちの中にはいないけど
わたしが そういう感じを楽しんでいることを
そこまで冷ややかな目でみているひとは 案外いないものだったし
たとえば わたしはEXI○Eのよさはわからないかもしれないけど
別に押し付けられさえしなければ否定するほどキライでもないし
そのあたりの趣味の違いを越えて 話せる部分 というのは
これまで思っていた以上に ある のだった。


 と 思えるようになったのは フラをやるようになったから
だとおもう。 フラの仲間といまたのしくいられるのは
表に出ているもの よりもうすこし奥のところを 
フラというものを通して みんな ちょっと開いているような
そういうひとたちだからじゃないか と感じる。

 というか 自然と開くようになっていて
そうしたら むこうも開いていて むかしからそうだったみたいに
開いていて そうしたら これまで避けてきたような
いろんなことも 意外にもたのしかったり
そこを越えて話ができたりするようにもなっていた
というような そんな感じなのだ。


 かわってる ところが じぶんに ない とは言えないけど
でも わたしは意外と いろんな場でたのしむことが
いまや できていて かわってる と言われるようなところなんて
実は わたしの芯のところとは あんまり関係ないどうでもいいような
そういうところなのかもしれない と思うようになった。

 趣味がかわった とかいうのとも違うし
わたしがいい とおもうものは やっぱり わたし が
そうおもう そう感じる ものであって
そこはかわらないけど でも なんていうのか
わたしのたたずまいは わたし というにんげんの
芯とか核とかのところは そんなものとは関係ないところに
あるんだなぁ って。 


 わぁ。ほんとうにすごい。 こんなことおもうようになるなんて。


 世界はパーフェクトだね。 わたしはもっと
いろんなところで開いていけるとおもう。

 わかってくれるひとがちょっとしかいない というのも
プレイだったな と いまはそう感じていて
その感じがとても 新鮮だ。