2014年3月31日月曜日

年度末に。

 きょうは3月31日で あしたからは新年度がはじまるのですね。
つまり春。ずいぶん時が流れたけれど 2年前の必死だった春のことは
はっきりと思い出せる。

 ことしはあの頃とちがう春。去年ともまたちがう春。
必死だった日々を支えてくれたひとたちと
わたしの至らなさでお別れしたりもしたけれど
それもまた なんだかもう わたしが通り抜けるべき
そこを越えないとどうにもならない何か なのだ。


 2年前のあの頃よりずっとずっと
わたしの生活に根ざしてきたのがフラで
そのおかげでずいぶんといろんなところが解放されたし
つらいことがあってもじぶんを肯定していたられるのは
フラがあるからこそ だとおもう。

 何度か書いているけど、わたしの通うフラ教室には
検定 というものがあって、1年くらいしたころから
わたしもぼちぼち受けるようになっている。
このたび2級に合格することができて
そのこともほんとうに感慨深い。

 運動ができなくて 身体もかたくて 動きもかたい
どーしようもないわたしもここまで来ることができた。
そしてそれは ひとえにまわりのひとたちのおかげで
わたしはここで じぶんのひらきかた のようなものを
ほんとうにたくさん学ぶことができたとおもう。

 
 この先も じぶんを残念におもってがっかりすることや
つらいことや 誤解や行き違いもあるだろうけれど
こういうことをいまおこなえている そのことは
ずっとずっと わたしを支え続けるとおもう。

 


 

2014年3月22日土曜日

げんざいの課題

 これでいい みたいなことをおもいそうになると
いつだってちゃんと つぎのこと が起きるし
放っておいたら これまたいつだってちゃんと
そこに向き合うまで 何度でもおなじことが
起こりつづけるのであった。

 主体性のなさ みたいなことをまえに書いたけれど
主体性のなさ と わたしがわたしが てやることは
実は同時に起こることができてしまって
というか 同時に体現しているのがわたくしの現在なのだった。

 相手とともにあるときに 相手の思いを無意識に汲み取って
そこを増幅させてじぶんのものかのように見せてみる
というようなことをするのがわたしは得意だったし(触媒体質)
そこが主体性のなさ のようなものと結びつくことが
多かったようにおもう。

 と 同時に、(まぁこんなBlog書いてる時点で
まるわかりなんだけど)わたしは じぶん語り みたいなことが
だいすきで 語り まで言わずとも
なにした これした あれみた 的なことを
みてみて!きいてきいて! と ちびっこだけだよ
それが許されるの てな方法でふりまいてしまうのだった。
ちょっと仲良くなると。

 で、あぁ言っちゃったけどこういうのがダメなんだよ〜、
と 言ったあとで気付いて、でもどこかで甘えているから
そういうひとなんだよなぁわたし みたいにちょっとごまかして
終わらせていたりもしてきて、そうるすと
いつまでもいつまでも ひやっ とすることが起きつづける。



 すばらしい仲間とせっかく出会えて
これからもつないでいこう とするそのときに
わたしは知らない間に甘えを全開にしてしまうのだろうな。
これはずっとまえに書いた 天真爛漫 みたいなこととも
つながるけど、そこをわかってよ! とか
だから仕方ないよね! みたいにして たいせつななにかを
とりこぼしてしまう。 気がつけば 甘えよう と
してしまう というのに近い。 それはなんかダメだろう。

 わたしがわたしのままであってほしい
わたしをのびやかに出してほしい 
とか 言ってくれたひともいたけれど
でもやっぱり それをやろうとしたところで 
だいたい間髪入れず ひどい! と言われることが多かった。
甘えようとする という 素 も出るからだろう。
適切に頼る というのではない、べっちゃりした甘え。
それは決して求められていない部分だし、
そんなもの誰だって向けられたくない。わたしもイヤだ。

 乗り越えるべきはやはりそこで。
いろんなことががらっと変わってしまったいま
わたしを劈く ということが
すこしずつわかりはじめたいまだからこそ
ここはわたしの正念場なのだろう とおもう。

 

 

2014年3月11日火曜日

母の子であり しかし わたしはわたしである わたし

 かつて母親に猛烈に説教したことがあった。

 うちの母は 天真爛漫 を絵に描いたようなひとで
そのことで得も苦労も両方してきたんじゃないかな とおもう。
そして わたしはその天真爛漫さがうらやましく
同時に憎く わたしはそのせいでしっかりしなければならないじゃないか
とか勝手なことを思ってきたのだった。

 説教をしたのは その 天真爛漫さ ゆえのずるさというか
「だってわたしよくわからないから言われたとおりにしてるもん。
なのにどうしてそんなにおこるの?どうしたらいいの?」
みたいな その態度のことだった。

 母はそのころ、周囲の友人たちとあまりうまくいかなかったようで
その愚痴?をわたしにこぼしていたのだ。 
そのときに母の口から出たのが上記のようなことで
要約すると「怒ってるみたいだから言われたとおりにしたのに
もっと怒られて意味わからない」というようなことだったのだ。

 わたしはそれを聞いて、その「わたし悪くないもん」
「言われた通りにしてるよ?よくわかんないけど」
みたいな態度が相手を猛烈に怒らせているんだろうなぁ
というのがわかって それを説教したのだ。
母にはいつもそういうところがあった。 
わたしはアタマがわるいからよくわからない、から
言われた通りにしてますよくわかんないけど ていう。

 相手のひとは 母のその主体性のなさ や
天真爛漫ゆえに多くのひとに大目に見られたり
かわいがられてしまう感じ が腹立たしくて仕方がなかったのだろう
とおもう。 うらやましい も入っていたのではないか。
それはわたしも同じだったとおもう。
母のその感じが腹立たしかった。 そしてすこし
うらやましくもあった。

 が。 わたしにも同じようなところがある と
あるときから気付いてしまった。

 まえにも書いた 触媒ぽいところ というのは
そのあたりでもある。 わたしは思ったより容易にその相手の感じと
するする溶け込んで 感じを増幅させてあらわすことに
たけているのだとおもう。 そして それは同時に
かなりの主体性のなさ でもあったのだろう とおもう。

 わたしも同じようにしていたのだろう。
母とは出し方がすこしちがっているけれど。
相手の出してきたなにか を増幅させてあらわしてゆく。

 なので 最初のころはいいのだそれで。 でもそのうち
わたしのその感じが とても腹立たしく思えてきたり
するのではないかな と。 相手のなにか をあらわしているからでもあり
それをあらわしうる わたしの主体性のなさそのもの が
感じられるからでもあり。

 

 言われた通りにしただけなのに怒られた
みたいな かつて母がわたしに訴えたことと
おなじようなことをわたしは思いそうになったりしていた。

 でもそのこと自体がわたしが反省すべき点であるのだ。

 あ。でももちろん(とか言っちゃうあたりがじぶんに甘い
のだとおもうけど) 相手の課題もあって
その投影である部分も あるとはおもっているんだけど。


 ともかく。必要なぶんだけきっちり反省して
在り方を改善していきたい。 母がすでに警告してくれていた何かを
わたしは活かすことができなかった ともいえるし。

 あとから思えば 伏線だらけだけど でも
わたしがほんとうに気付く準備ができたときでなければ
気付くことができないのだものなぁ。

 母に似ているところは ある。 
でも 母は母だし わたしはわたしだ。 
だから わたしはわたしで しっかりこのことを
わたしの性質を これからも点検して気付いて
ほんとうにわたしのものに していこう。


 

2014年3月6日木曜日

かなしみとそのつぎの。

 あからさまな無視 みたいなことは
歳をとるとなかなかうけることはないのですが
それに近いようなことを何度か経験しているし
話し合ったりなんだりを一切おこなえないまま
もう無理 とか言われたり言われずとも態度に示されたりして
一方的に嫌われる ということが
なんだかんだで生じている というのは
わたしがそれだけ未熟で 至らないからなのだろう 
とは おもう。

 この書き方からもわかるように
わたしは 全面的にじぶんがわるい と思っていないし、
けれど それは関係各方面のみなさんにとっては 
それはそれは苦々しくそして
ほら やっぱりあのひと全然ダメだよわかってないよ
とか そういうふうに感じられることなのだろう と思うし
しかしながら その関係各方面のみなさん というのは
わたしにとっても それなりにその時々で
大きな意味をもつ関わりをしてきたひとたちであるので
そういうふうにしか思えないわたしがダメなんだろうかな
という不安もあったりはする。

 でも。

 それぞれに それぞれの道を通って なぜか出会って
強烈にひかれあって仲良くなって いろいろなことを経て
そうして 時が終わってしまった ということなのだ
と いうことも同時に おもう。 そういうことを
思えるようになったことが わたしの以前とは 
違っているところだとおもう。

 それでも。

 やっぱりそういうことが起きたからには
わたしが気付き 乗り越えねばならない課題があるので
そのことはちゃんと作業したい。

 時が終わった という以外のなにものでもないにしても
先方に ものすごくイヤな思いとか 悲しい思いとか
腹立たしい思いを感じさせてしまった というのは
事実だから。

 そんなわたしでも いま あたらしい関係
なつかしい関係 ながく続く関係 その他いろいろな関係を
紡いでゆくことができていて だから やっぱり
わたしはこの世界を信じる。

 そして 関係が残念なことになった あのひとたちも
同じように 世界を信じる とおもって
すばらしく生きている ということを決して忘れない。





 

2014年3月1日土曜日

3月のわたくし

 3月です。じっさいの気温はともかくとして(いやきょうは
あたたかいけれども) 3月 ていう響きだけでなんだか春。
弥生っていうと たいへんな春めき を感じます。 はるるるるる。

 3月にはひなまつりという行事があるからか
ジョシぽい何か を感じます。わたしの中で
3月と4月はどこか ジョシ ってイメージで。

 これまでの40年にわたるじんせいで
じぶんがジョシであること についてまったく自信がなかった時代が
30年以上あって あぁじぶんはジョシだわね ということを
ようやく受け入れられるようになってからはまだ数年。
でも いわゆるジョシ みたいなことは無理〜 て
思っていたのだけれど そのへんの仮面?のようなものも
よーやくはずれてきたようでね。

 ざんねんながら かわいい という様子からは
ものすごくかけはなれた外見でもってこの世にうまれてきてしまったし
おんなである ということについてちょっと否定的なかんがえかたを
たくさん言い聞かされて育った(て、わたしの捉え方の問題も
おおいに関係していたのだろうけど)のもあって
ジョシぽさ みたいなものは 極力身に付けないように
極力遠ざけるように もし そうしたとしても きもちわるい
って思われるから気をつけよう とかそんなこと思って
暮らしていたのでした。 わたしとは関係のないことだ と。

 でもねー さいきんになって気がついてきたのは
わたしは意外と ていうか かなりのところジョシだ
ていうことなんですよね 奥さん。奥さんて誰だ。

 「来ちゃった♡」て素で言えるか言えないかでいえば
言えないタイプ ていうか 言うことを想像すらできないタイプ
と思っていたけども やるかやらないかは別にしたら
わたし意外と 言うタイプ なんじゃないかな っていうんかな。
まぁ実際には言わないだろうとしても。そういうところもあるよ
ていうね。 

 そういう なんかしらんけどジョシやな みたいなとこを
これからは受け入れていこ アリにしていこ と
しみじみおもっているわけです。

 いわゆるジョシかそうでないか とか 
ふつうか変わってるか とか アタマいいか悪いか とか
そういう 二分法でのものごとの切り取り方 に
これまでだいぶ しらないあいだにとてもとても
縛られてきていたのだなぁ と思います。かっこわるいけど。
そうではないものの見方の訓練は 仕事上でたくさんしてきていたけど
わたしの在り方生き方としては できていなかったなぁ とおもう。
わたしはわたしなのだから ということを お祭りのあたりから
すこしずつ ほんとうのところで気がついてきて いまになり。

 またひとつ なにか から解き放たれて
わたしはわたしに気がついてゆく。 その感じは
とてもわくわくするし 同時に すこしかなしい。

 大きな出来事なんてなくても わたしの中には大きな何かが起こりうる。
わたしのことは わたしにしかわからないところと
わたしより他の人のほうがよくわかっているところと
まだだれにもわかっていないところとあって
そのぜんぶを いろいろにして発見していって
よろこんだりがっかりしたりにやりとしたりおどろいたり
そんなふうにしていくんだとおもうの。

 あーこのわたしのいまの感じはいましかなくて。
なんてすばらしい 2014年3月。 



                      もうすぐ咲きます てね。きょほほ。