2012年12月31日月曜日

ありがとう

 きょうで2012年が終わる。

 あの 実はもう だいぶ 酔っていたり とかします。
おいしいワインを 通販で頼んで ひとりですでに 
ハーフボトル分くらい あけているのであります。
おいしいですね ワイン。

 など 思えるのも ことしがすばらしかったから
だと思います。 ほんとうにミラクルでした。2012年。

 物理的に 何かミラクルが起きた とは言えないと思います。
実際 動いたのは自分自身で フラダンスを習い始めたり
東京に長めに行ったり
ハワイに行こう と トモダチと計画を立てて 
たゆをシッターさんにお願いしてまで 行ってみたり
誘われたら東京に行く とかしてみたり
やたらと 買い物をいっぱい してみたり(ここ2週間)
という そういういちねんだったのです。

 去年のきょう わたしはいまのように
酔っぱらって 残念なことに 別れた彼に
もう人生で最後のメールだとおもう とかいって
メールをしてみたり(もちろん返事はなく)
など ほんとうに情けない状態にありました。

 来年のいまごろ もう いまのことは
すっかり忘れて あたらしい恋をして
シアワセになっている とか 思ったりして。


 
 一年たっていま。

 わたしは新しい恋も していないし
恋愛に関しては どちらかといえば
情けなさの上塗りをしたような そういういちねんでした。

 好意を寄せてもらっていた とてつもなく若いひとに
わたしのほうが散々頼って 結果
きっと彼からしたら 好意を寄せたことすら
なかったことにしたいような
そういう 残念な思い出になってしまったであろう道を
通らざるをえなかったり。

 猛烈にかっこわるかったけれど
でも そのいろいろな過程ひとつひとつ すべてが
わたしがこれまで避けてきたけれど いつかは必ず
経験すべきであった そういうものであったし
わたしのこころ全部で やりつくすことができました。

 つらかった。 くるしかった。
でも とっても 充実していました。


 2012年のことを わたしは一生 忘れないと思います。

 それほどに ミラクルで わたし自身が
本気で変容した そういういちねんでした。

 ありがとうございました。
ことしの経験はきっと 無駄にならないし
わたしはこれからも わたしとして生きてゆくことができます。

 いまのこのわたしで 来年は恋をします。
踊ります。 走ります。 働きます。

 

2012年12月29日土曜日

うごかない瞳

 とある方向の とある考え方のひとたち というのは
たしかにたしかに いわゆる 美人さん といわれるような
整った顔立ちのひとが多い と思う。 

 のだけれど どうしてもそれが ある一定の
動かない感じの 瞳の輝きがある一種類しかない感じの
そういう ある種 平坦な顔 に見えてしまう と
いうのがある。

 もちろん そういったひとたちを 写真でしか
ほぼ 見たことがないし
そういう とある方向 のひとたちでも
決して 平坦な顔 ではない ひとたちもいて
そういうひとたちはきっと ホンモノなんだろうな
と思ったりするのだけれど。

 などという ちょっと上からな書き方をしてしまっているけど
わたしは とある方向 の 考え方や ものの見方が
キライなわけではない。 けど やっぱり とある方向 に
固まっている感じなのは確かで わたしはそのことがおそろしい
のだとおもう。

 とある方向 のひとたちからみたら
気づいていないひとたち というのは
とてもかわいそうで ざんねんなひとたち ということに
なるのだろうか。

 でもまぁ わたしが 彼女たちを こわい
とおもうのも その逆みたいなもので
なので それもまた然り であるとおもう。




 だれもが シアワセになりたい と思うものだ。
が わたしはいろんな瞳を いろんな感情を
いろんな状況を すべて経験できるような
そういう人生でありたい。 
 
 それこそが わたしにとってのシアワセ である
とおもう。 そういいながらも 絵に描いたような
おとぎ話のような そういうシアワセ が
降ってきたらいいのにぃ とか たまには思ってしまうくらいには
まだまだ甘いわたしなのだけれど。 

 固まってしまいたくない。

2012年12月26日水曜日

ひとりで立つ

 きょうはこれから忘年会。
トモダチ というのは元同僚で 3年わたしの職場で勤めていた
年下のかっこいい女性で 職場のひと という枠をこえて
ずいぶんと仲良くなり 彼女が別の職場に移った4月からも
ちょこちょこ約束しては飲んだくれている という
そういう仲なのである。

 というようなひとがたまたまうちの職場にきてくれてた
とか それだけを考えても まぁほんとうに
よくできた人生だ とおもう。

 これまでも そのようなことばかり 実は起きていて
人生はほんとうにすばらしい。

 わたしは甘ったれで ちょっとしたことに対しても
実はかなり動揺したりして すぐに わー とか
大騒ぎをして(たとえばここに書くとかもそのひとつだ)
頼りないことこのうえない。 とおもう。
特に去年くらいまでは わたしはまだまだ そういう性質が
ばんばん表に出ていて でもそのことに
じぶんでも 気づいているようで その実 あんまり
実感として深く感じ入ることなく 過ごしてきていて
そうしたら やっぱり恋愛はうまくいかなかったのであった。

 それでもなお わたしにはそばにいてくれたトモダチがいて
長々と話を聞いてくれたり 温泉やハワイにまで一緒に行ってくれたり
いつも気にかけてくれたり していたのだ。

 いまさらだけど そのことを思うと泣けてくる。

 まだまだ わたし という主語の文章ばかりを
こうして書き連ねてしまう。こういう外向きのツールにむかって。

 わたし至上主義 はこれからもあんまりかわらないけど
じぶんの分は きっかりじぶんで引き受ける そういうことを
きっちりやったうえで そう胸をはりたい。

 ありがとう世界。 来年はきっと わたしはもっとわたしになる。
これからずっと そうやっていける。

2012年12月25日火曜日

外科でクリスマス

 よもやクリスマスなきょう 外科に行くはめになるとは
いちみりたりとも 予想していなかった。

 ついつい通販で買っちゃったいろいろ が午前中に
続々と届き これで掃除もちゃんとやろう(スチームクリーナーをね つい)
と頷いてみたり(つまりやってない) 新しい下着をひろげて
やっぱりかわいい と頷いてみたり(購入の正当化)
あといくつ届く予定のものがあるんだろう と遠い目になってみたりしながら
年賀状を書き上げ、 午後にはそれを投函しがてら 
風邪もよくなってきたし とお散歩に出て 近所のカフェで
おいしいランチを食べて 明日トモダチのおうちで忘年会をするのに
持って行くチーズを買ってみたり などしてごきげんで帰宅したのだ。

 で 明日持って行こう と大根餅をうきうき作り始め
大根をおろし 大根を千切りにし ているところで悲劇は起きた。

 左手の 親指の 甲側を びしっと 削いで しまい。

 嗚呼。けっこう深い。 これ、絆創膏でなんとかならんかな
とおもうけどどくどくあふれる血。 よみがえる数年前の悪夢。
(数年前のやはり今時期。まだケッコンしていた頃だったが
わたしはちょっと酔ってて なんとバカなことに ケーキの入ってた箱を
帽子のようにしてアタマにかぶり うかれて炒飯を作ろう として
包丁立ての横にあった塩を取ろうとして 立ててあった包丁で こう
同じく左手親指の甲側を ざくっと→救急で市民病院→何針か縫う)

 ということで 慌てて外科を探し そして行ってきたのだ。
とりあえずみせて と言われて看護師さんにみせたら
「あ これなら縫わなくてだいじょうぶでしょ。順番待っててねー」
とガーゼをあてがわれただけで処置室を出され
そこから待合室で1時間半。 じっとがまんの子で待っておりました。

 よーやく呼ばれて 診察。 「なに千切りとかしてたのかな。
考え事してた?」 いえ。そんなすごいかんじじゃないです。
「まぁたぶんこれくっつくと思うんだけどね 1週間くらい
留めときますね。お正月明けくらいで まぁどうなってるかなぁ」
とかだいたいなことを言われ 消毒液でがんがん攻められ
ぐおおおお と思っているうちにテープを貼られて終了。
「明日も一応消毒にきてね」 はい。また1時間半待つんでしょうか。
待ちます。待ちますとも。

 で その後また数十分待って会計。その後薬局に行って
またちょっと待って会計。 いやぁ 長かった。

 とはいえ。 まぁこのたびは縫わずに済んでほっといたしました。

 前回は厄年で もうリコンに向けてお互いもう 逃れられない道にあって
(なのにアタマにケーキの箱をかぶるおれ) でも なんだか
厄落としみたいになってくれた出来事だったとおもう。

 今回も ほんとうにもういろいろあって なんなら今日散歩の際に
いつもお世話になっている2カ所の神社に 両方いちねんありがとう 的な
挨拶をしてきたところで で これ。

 厄落としなのだろう とおもう。 もうなんか 何が起きても
起こるべくして起こってる としか思えないから。 まぁ もうちょっと
気をひきしめて過ごしなさいよ ていうかみさま的なものからの声
であるとも おもうのだけれど。

 でも こうしてひととおり 書いてしまった。
ちょっとは動揺したので ゆるしてください。

 にしても わたしの左手の親指は どうしてこんなに運が悪いんだろうか。
いつもあなたばかりを傷つけてごめんなさいね。 いちばん痛くない場所
のような気もしている。 厄落としのためにそれこそ身を削ってくれて
どうもありがとう。 もう傷つけなくてもいいように がんばるからね。

 ということで 40歳になった2012年の締めくくりは怪我。
でもまだ1週間ほどあるから 最後 もっとあからさまにシアワセなことで
締めくくりたい。締めくくります。決定。



2012年12月24日月曜日

クリスマスの夜

 クリスマスイブなんである。
世の中のみなさんは ご家族で 恋人同士で お友達同士で
鶏を食したり まるいケーキをおいしいケーキ屋さんで注文して食したり
おいしいワインを堪能したり などして きゃほーい
てな具合に過ごす そういう日なんである。

 もちろん ひとりで過ごしている。

 きょうのきょうまで ことしはクリスマスがどう
とかそういうことはほとんど 気に留まらないまま
きていたのだけれど なんだか今日はちょっとだけまた
さみしいこころもちになった。

 だってー きょう誰ともしゃべってない どころか
メールすらも 誰からもないんですものー。

 て わたしも誰にもメールしてないんだからしょうがないわけですが。

 キリスト教の 善と悪がぱっきり という 白か黒か
的世界観にはあまりなじめない と日頃から思っているわけなので
クリスマスとかべつに と言うべきなのだろうけれども。

 おそらく 冬休みに入ったとたん ちょっとまえにかかって
そして治ったはずの風邪にまたかかって喉が腫れ
走るのも出かけるのもままならず 家の中でひたすら寝たり
せいぜいフラの練習をするのが関の山で
という そういう感じがまた さみしいよぅ とかいう
弱気なわたしをひっぱりだしてきたのだろう とおもう。

 なので これは明日以降 きっとあっというまに
よくなるのだろうとおもう。 明後日は忘年会第何弾めか、もあるし。

 あしたは明後日の忘年会に持って行くために
ホットケーキミックスを使って炊飯器でつくる
カンタンなりんごとさつまいものケーキを作ったり
大根餅を作ったり 近所のカフェにひるごはん食べにお散歩にいったり
などのことをしてすごそうとおもいます。





 メリークリスマス。 みんなしあわせでありますように。

2012年12月22日土曜日

このいちねんの。

 きのうが仕事納めで きょうはフラのレッスンが年内最終日だった。
あれこれが ことし最後の日 を迎えているのであった。
ほんとうにほんとうに ことしはわたしにとって とても大きな意味を持つ
そういういちねんとなった。 まだ終わってないけどね。

 仕事の面では まいとし どうするよこれ みたいなことが起こって
工夫とか努力とか そういうものが一生ひつようなのだな ということを
アタマにもカラダにも叩き込まれる感じがあるので ことしもまぁ
それと同じといえば同じなのだけれど しかし 起こることは すべてが
そのときならでは の あたらしい 唯一のものであったし、
プライベートでは 歯を食いしばるようにして過ごした春ころまでと
ぐらぐらした夏までと そして ハワイにだいすきなトモダチと行って
ほんとうにわたしが次のステージにいこうとしていることを実感できるような
すばらしい体験をすることができた夏と 
過去との決別を意味する(と わたしが感じるような)
具体的な作業をいくつかすることになった秋から冬にかけてが続いた
そういういちねんであった。

 あぁかみさま(というふうに便宜上名付けておくしかないような
超越したなにか) わたしはここまできました。 現実には
1ねんまえに思い描いていたようなわかりやすくステキで都合のいいこと 
なんて ほぼ 起こらなかったけど それでも わたしを取り巻く世界への
わたしの解釈や わたしのたたずまいや わたしのこころもちは
ほんとうに 1ねんまえとは大きく変容した。 
そして わたしはたぶん 親戚のおばさんに 人生ではじめて
「まぁうず子(仮)ちゃん キレイになって」と言われた 
ことしの正月より いまもっとキレイになっている
とおもう(とか まだこういうところで言っちゃうくらいには 
わたし自身に 自信のないところがあるのかもしれないけれど)。

 ところで 近ごろフラ教室のなかまのひとたちに
踊りのことについて
「うず子(仮)ちゃんは努力のひとだから」 だとか 
「うず子(仮)ちゃんはちゃんとやってるもの」だとか
そういうたぐいのことを言われるようになった。

 わたしはじぶんのことを いいかげんでテキトウ と自己分析しているし
実際 わたしの中途半端さかげん は まじめでいろいろなことを
根詰めておこなうタイプのトモダチにひょうばんになるほどだ(て
どんなだ)。 それが フラ教室ではこのようなことを言われているのだ。
 
 さいしょは ええええええええ?! などと思ったものだが
よくよく考えてみれば わたしはまいにち 練習しているし
レッスンのときに まったく動けない のがイヤで
教えていただいたときにできなかったことも それなり には
かたちにしてレッスンの日を迎えるようにしているから
それをそのように言われるのは わからないでもない。

 しかし それが続いているのも 踊るのがたのしい と
思えるからに他ならない。そうでなかったら ここまで続いていないだろう。
もともとは 身体を動かす才能 みたいなものが ほとんどないからこそ
の練習であって レッスンで恥をかきたくない みたいなことが
いちばん大きな原動力だったかもしれないな とおもうけれど
いまでは たのしい とおもうきもちが いちばんの原動力だ。

 踊っているときのじぶん も いちねんでだいぶ 変容したとおもうし
わたしの 踊りを習う ということに関してのこういったプロセスは
おそらく わたしがことし 地道におこなってきた 
じぶん自身のための作業のプロセス と重なるところが大きいのではないか
と感じる。

 ここまで言っていいかわからないけれど わたしはたぶん
このいちねんで わたし というものの扱い方を
おどろくほどに身につけた とおもうし それに応えて
わたし自身 は おどろくほどに変容した。
努力のひと といわれるようなわたしも たしかにたしかに
わたしのなかには 存在していたのだ。




 さて。 現実場面において あたらしい彼氏がまだいない どころか
いいな とおもうような男子と知り合ってすらいない というのは
少々こころにすきま風 なのだけれど、 いまのこの感じ は
不器用なわたしにとって 恋愛をしながら では
得ることができなかったであろう そういうたぐいのもの
ではないだろうか とおもう。 

 くどくど書いているけれど とにもかくにも
わたしはいまのわたしであることを ほんとうにうれしくおもうし
この先 なにがどうあっても わたしはどんどんわたしになるだけで
恋愛をするとか ケッコンをするとか ということは
それに付随して ひつようなら起こる みたいなことにすぎない と
こころのそこから 感じることができるように ようやく なったのである。

 あぁ ほんとうにながいみちのりだった。
これからもまたみちのりはつづく。 わたしはもっと キレイになる。

 



 

2012年12月15日土曜日

踊りの目標

 わたしがかよっているフラダンスの教室には
教室内検定 というものが存在していて
10級から1級まで それぞれに知識と実技の課題がある。
7級以上になると 百貨店なんかでたまにやっている
ハワイフェア みたいなののステージで ひとまえで踊ることが
許されるようになっていて 4級以上になると
上級者のレッスンクラスに加わることができる という
そういうしくみになっている。

 まえにも 踊ることがとてもたのしくなっている
ということについては書いているけれど
それはほんとうで うまくできなくて もー などとなっても
やっぱり身体を音楽に合わせてうごかすのは
とてもきもちのいいものなのだ。

 そして 教室のパーティの際に 舞台のようなところで踊るたのしみ
みたいなのも垣間見てしまったこともあり
わたしは俄然 ひとまえで踊りたい と思うようになっている。

 検定を受けよう とはじめて思ったときは
じっさいのところ もうすこしくらいはじぶんはきちんと踊れていて
もうすこしくらいカンタンに合格できる などと
おもっていたわたしだったのだけれど
受けてみたらそれはとんでもない話で
わたしはだいぶ 残念な踊りしかできていないのだ ということを
びしびし叩き付けられるという そういう現実が
待っていたのだった。

 少々へこみはしたけれど それでイヤになる ということはなく
また地道にがんばろう などと殊勝なことを思うことができる
という時点で わたしが感じている 踊ることのたのしさ は
ほんものなんだろうなぁ とおもう。

 とはいえ。

 わたしはいま めらめらと 悔しい みたいなこころもちをも
感じているのだった。 思ったように身体が動いていなかったり
じぶんの動きが実はあんまりうつくしくない ということについて。

 それと じぶんのなかにまたほんのすこし 優等生でいたい感じ も
あって その感じが悔しさをちょっと増しているところもある。
(そしてたぶんだけど わたしは先生にあんまり気に入られている生徒ではない
 ということも感じているのだけれど でももうそのことも いまや 
 踊るということが わたしのため である以上 なかばどうでもいいこと でもあるのだった。)

 けれども もう 優等生でいたい部分 が 全面に出ることは
なくなっていて なので わたしはおそらく 踊ること や
検定を受けようとすること を イヤになることは
そうそうないのではないか と思っている。 そのあたりはだいぶ
たのもしくなったなぁ などと感じる。

 来年の目標は ひとまえで踊れるようになること。

 さらにもう1年くらい先を見ての目標は
上級者のレッスンに加わることができるようになること。

 目標は具体的だけれど その奥に フラをしっかりやっていたら
じぶんのこころもちやたたずまいが より わたし となる方向に
はたらく助けになるだろう という思いがある。
だからこそ 続けたいのだと思う。



 じぶんが踊ってたのしく ひとが見て うつくしい 
と感じるような そういう踊りができるひとになりたい。
 

2012年12月11日火曜日

変わってゆくもの

 言ってみればまぁぐあいの悪い感じの
そういうことではあるのだけれども それでもあえて
言わせていただくならば 最近のわたしは 以前とくらべて
鏡を見る時間が増えたのではないだろうか とおもう。

 前にも言ったように かつてわたしはわたしの顔を
ふためと見れない不細工 と思っていたこともあって
じぶんの顔がイヤで仕方がなく 鏡を見ては
ましに見える角度ってあるんかな くらいのことしか思えず
なんともこう 残念なこころもちになって終了
という感じだった。

 が。 もちろん 当社比 ではあるけれど
近ごろはわたしはわたしの顔がましになってきた
と感じるようになっていて そんなわけで
鏡を見る時間が増えたようにおもう。
正確に言うと 鏡を見てイヤな気分にならないぶん
長く見ているような気がする というところなのだけれど。

 思春期のこじらせてるような年頃に
こういうのはほんとうは終わらせてるのだろうけれど
なんていうんですかね じぶんの顔がまぁまし(じぶん的に)
と思えるというのは とてもきもちがよく
こころもちがあかるくなるものなのですね。

 そういうわけで 今後もこのようにじぶんの顔を
このましく感じていられるような そういう暮らしぶりでいたい
と せつにせつに 願うし そのためのあれこれを
地道にやっていこう とおもうのだった。 

 つまりそれは わたしがもっと わたしになってゆくこと。
顔って 変わるのだな とじぶんの顔で感じる人生。
なかなかにたのしくなってきた。 うそ。かなりたのしい。



2012年12月9日日曜日

すばらしい会合

 土曜日曜ととうきょうに行って いろいろなひとたちと会ってきた。

 土曜日にフラのレッスンのあと いそいそと準備をして
飛行機に乗って羽田に飛んだあと わたしは久しぶりに
四ッ谷のまちにむかった。

 大学時代のサークルの先輩後輩および同期のみなさんと
忘年会のようなものをおこなったのだった。

 ほんとうにひさしぶりだったけれど 会いたくてもなかなか会えない
そういうひとたちと会えて あと 当時ものすごくお互い苦手だった先輩と
だいぶたのしく話すことができて あぁ 当時からこのひとはおそらく
こういう感じだったのを わたしはこころが狭くてちっとも許せなかったんだなー
などと感じ入ったりして とても有意義だった。 さらには
お会計のときに 同期の男子2人が 「うず子(仮)の分はおれらで」
とかすらっと言って出してくれちゃったりとかして なんかもう
きみらはそんなステキなオトナ男子に成長しててうれしい などと
姉か母かのようなこころもちになって というどころか
なんならちょっとときめいたほどに 非常に感激してしまった。 
そういうことを当たり前にできるのって
実はなかなかにすごいことなんじゃないか とおもうのだ。
そういうひとが同期だなんて ほんとにほんとにうれしくてほこらしい。



 明けて日曜日。 朝からだいすきなトモダチのやっている鍼灸院にお邪魔して
顔から身体までがっつり施術していただき つるんとなって(しかも小顔になって)
2人して羽田にむかい、そこでもうひとりのだいすきなトモダチと合流して
昼から酒を飲みつつ会合をおこなった。

 わたしたち3人の出会いは偶然のような必然で 
わたしは 今日会った彼女らと あと この夏にハワイに一緒にいったトモダチと
このように知り合ってつながることができている ということで
世界のしくみをこころから信じよう というきもちになることができた
といっても過言ではない という そのくらいの つながりなのだ。

 そのくらいのつながりなものだから
このたびはとうとう うちひとりとは姉妹だと間違えられる始末。
顔やたたずまいまで似てきているらしい。

 これまでも 2人とはそれぞれといろいろ話してはきたけれど
会えることは限られていて さらには 3人で会う となると
なかなか機会がなく 知り合ってもう8年くらい経つのに
3人そろって会ったのは 実はまだ2回目なのだった。
しかしながら それが感じられないくらい 会えないあいだも
がっつりつながっていて そのつながりをより強固にしたのが
このたびの会合であった とはっきり言える。

 あんまり言うと すばらしさが出ていっちゃいそうだから
このくらいにしておこう。 ほんとうにすばらしかったし
わたしはじぶんがまたちょっと すきになった。 
加えてじぶんの顔も。 ありがとうありがとう。

 ということですばらしい週末だったので 明日からもまた
わたしは地道に目の前のことをおこないます。

2012年12月6日木曜日

Shall we dance?

 風邪をひいているあいだも
どうしてもなにか 身体を動かしたいようなきもちはあって
でももちろん 走るわけにはいかないし さすがに
走りたい とまでは思わなかったのだけれど
踊りたい とは思って 実はだるい間であっても
まいにちほんのすこしずつ 踊っていたのだった。

 とはいえ そういうときの踊りは いつもよりも
ちょっとばかり投げやりというか 気を配らないもの に
なってしまっていたようにもおもうけれど
ともかく ハワイアンミュージックにのせて
フラを踊る というのが わたしにとっては
とても心地のいいもの としてインプットされているらしい。

 まさか そういうふうにすきになるとは思っていなかったけれど
中学とか高校とかでむりくりやらされた創作ダンスとか
運動会のお遊戯の思い出より よほどたのしく感じられていて
そのことが とてもうれしい。

 幼稚園のころ バレエ教室が幼稚園の一室を借りておこなわれていた
という関係で わたしの通った某カトレア幼稚園のジョシのあいだでは
バレエを習うことがトレンドだった。

 わたしも例に漏れず途中からその教室に通ったのだけれど
天性の身体の硬さとリズム感のなさ みたいなものが災いして
結局たのしくなくなってしまって 2年くらいは続けたはずだけれど
その後の壁が越えられず やめてしまった。
のだが、習い始めて まだ そんなに身体の硬さがどうこう問題にならず
ともかく音楽に合わせた振り付けがあって みたいなとき
わたしはとてもたのしく踊っていたような気がする。

 幼稚園のお遊戯会でも ひとり桁違いな笑みを浮かべて踊っている写真 が
残っているし どうやら わたしはそもそも 踊る ということが
すきだったらしい。 



 上達しようと思えば たのしいだけ ではすまされず
それなりの努力を重ねる必要があるし
持って生まれた素質 のようなものはいかんともしがたいので
じぶんが 踊りの名手 のようなものには
どうしたってなれないことは わかっている。

 わかっているのだけれど わたしはもうすこし
この 踊るたのしさ 踊るよろこび というものに
じぶんをゆだねていくのがいいのだろう という気がしてならないし
そのための 多少の努力 みたいなものも
いまだからこそ できるのかもしれない とおもう。

 ちびっこのころは 自尊心とか できないじぶんを認められないきもち
のようなものが全面にでてしまっていたけれど
いまは じぶんのできなさ加減 のようなものがよくわかっていて
だから あゆみの遅いじぶん をそこまで残念に思わずにすむ。

 そこまで上達しそうにもないのにやたら熱心に検定受けたりして
ちょっとめんどうくさい生徒 かもしれないけれど
そうやって じぶんなりに課題に挑戦していきながら
じぶんなりに 上達して 踊り をもっとたのしめるようになりたい。

 やっぱり 来年の目標は ひとまえで踊れるようになること だ。


 走ること 以外に 続けたいことが増えた。 
続けたいふたつのことが 両方とも 身体を動かすこと
だなんて いったい 誰が想像しえただろう。

 もっともっと開きたい。

2012年12月3日月曜日

かぜをひいた意味

 ひさしぶりに猛烈にのどがはれてしまって
きょうは仕事を早退させていただいて 病院にいってきた。
高熱が出るでもなく 食欲も まったく 衰えていないうえに
なぜか王将の焼き飯が食べたくてどうしようもなくて買って帰り
晩ごはんに食べたほどで なので
はやめに対処できているぶん すぐに治るだろう と思われる
そういう風邪だ。

 とはいえ。

 これは病院に行かないと治らないよなー というレベルにまで
のどがはれてしまったのは 数年ぶり だとおもうし
体調管理には気を配っていた(つもりだった)だけに
衝撃は大きかった。

 そんなこんなで このたびの風邪の意味 をきちんと考えようとおもう。
なぜいま このタイミングで風邪をひいたのか ということを。

 そうでないと きょうはちょっと 仕事にも影響を出してしまったし
(早退した ということだけでなく)これはなんとなく
ただ寒かったし とかそういうことではすまされない感じがするのだ。




 正直 いまわたしは これまでのじぶんのやりかた のようなものから
あたらしく 引き受けてやっていくやりかた のようなものへの
移行期にあって じぶん自身を否定したくなくて仕方がない みたいな
ちょっとだだをこねるような部分がある。

 あたらしいやり方でやっていこう とすることは
これまでのじぶんが情けなくてどーしようもない ということを
認めることになるのではないか というような
そんな それこそどーでもいいようなことをつい
思っているように感じることがある。

 けれど もうわたしは わたしの全体が求めている
そして 起こる出来事がすべて指し示している 次の 
あたらしい 引き受ける というやりかたをやらざるを得ないことも
わかっているのだ。

 わかっているのに これまでのじぶんを認めたくないわたしが
上から押し付けるような態度を一瞬でも持ち出してきたのだし
それが出やすくなるような こういう体調をもたらしたのだ とおもう。

 もうあたらしいわたしに わたしをすっかり 明け渡さなくては。
せっかく もうだいぶ わたしはあたらしいわたしへと変わっているのに。
その作業をがんばった というところも このたびの体調には
関係しているとおもうけれど そのことよりも これまでのわたし の
最後の抵抗 のように感じられる。

 これまでのわたし が きちんと成仏できるように。
あたらしいわたしに しっかり根付いて変容していけるうように。
すべてを丁寧に さいごまで見届けようとおもう。

2012年11月30日金曜日

Be active!

 ここのところ職場で読んでいた本があって(こんなことについての
あぁ これは いま読むべきように できていたのだな とおもった。

 その一連の本は 去年から職場にあって そのうち読みたい
と思いつつ ずっとあとまわしにしていたのだ。 けれど ここ1週間くらいで
なんだか読まなきゃ というこころもちになって読み始めたところ。
あぁもう これだ。わたしにもうひとつ足りないのは というか
これからの(去年からはじまっていたけれど)課題はここだ 
というようなものを ちから強くつきつけられた。

 能動的に。 アクティヴに。 

 ずっと若い頃のわたしが いつ 現実的に危ういもの に
遭遇してもおかしくない という方法でばかり いろいろなものを
処理していたのは わたしがいつも こころの事態に対して
パッシヴになっていた という側面も大きかったのではないか。

 かろうじて残された アクティヴなうごきを求める部分が
ゲド戦記 を読むようにしむけたり なんてことをしていて
そういうところでなんとかかんとか わたしはただ
パッシヴになって現実の危うさに巻き込まれることを
まぬかれていたのかもしれない。 が それでも あまりにわたしは
わたし自身が引き受けて経験すること をやらなさすぎていたとおもう。




 去年の失恋以降のいろいろは わたしがはじめて
アクティヴに経験してきたのに近い過程だった。
が それでもまだ わたしはパッシヴになってしまうことがある。
いや それに気づかないふりをしているところがあった。

 そのことに きっちりとどめをさしてきたのが 
このたびの読書であったとおもう。

 仕事のために読んだはずの本だったけれど
これはどう考えても わたしの人生の過程にとって
大きな意味を持つものだろう。

 わたしはもっともっと 目を凝らして 耳をすまして
そうして見たもの 聴いたもの 感じ取ったものを
きちんと経験し尽くす必要があるのだ。 
なんとなく やっていては ダメなんだろうとおもう。
それを アタマでだけでなく やる必要がある。

 すこしでも あれ? と思ったことごとを
ひろいあげてゆくこの作業は その入り口として
やはり必要なことのようにおもう。

 ますます 身体を使うことはやめられない。

*読んだ本の内容のことをそのままやる というのではなく 
 ともかく アクティヴであれ というメッセージをうけとったので
 そのことを記しました。

2012年11月27日火曜日

ジョナサンおじさん

 ところで わたしは ジョナサン・ケイナーおじさんのうらない  が
かなりすきで、まいにち見ている。 なにがいいかって
うらないっぽくないところがいい。 じんせいに起こる ほんとうのことを
そのひとのよいところが伸びるように そのひとがきちんとじぶんを
整えて生活していれば これだけのことが感じられるかもしれませんよ
ということを 提示してくれる感じがあるところが とてもすきだ。

 きょうのおとめ座のうらないのところには

「昨日の占いでは、人生における最も重要な変化が瞬間的に起こるということはま ずない、
といささかはっきりお伝えしました。ただ、魔法のような瞬間など存在 しない
という意味でそう言ったのではありません。もちろん、私たちが心を開い ているかぎり、
人生には深遠で素晴らしい、急激な変化が何度でも起こり得ま す。
しかしそれでも、最高の変化はゆっくりと起こります。」

とさいしょに書いてあって、これはべつに 
おとめ座に限ったはなしではないことは すぐにわかる。




 わたしはいま 内的にはいちねんまえと まったくちがうところにいて
けれど 目に見える変化 ていうか はっきりいえば 次の恋愛 みたいなのが
まったく見当たらないことに 少々(かなり)がっかりしたり
焦りそうになったりもしていて そういうがっかりしてるじぶんにがっかり
という感じでいる。

 そういう状態のときにこれを読んで。

 わたしはじぶんの浅はかさと でも きちんとやってきたよ という自負と
だから これからもこうやって地道に生きてくしかないじゃん ていう
そういうことを しみじみとかみしめて またほんのすこしだけ
らせん階段をのぼるのであった。 そして がっかりしなくても
いまじぶんが じゅうぶん 開けてきて すばらしい場所にいることを
何度でも 確認するのだ。

2012年11月26日月曜日

あこがれのひと

 フラ教室に とってもステキな笑顔の(もともとだいぶんびじんさんだが)
あこがれの先輩 みたいな方がいらして、わたしはそのひとの踊りを見て
なんだかフラダンスってほんとうにたのしそうだし キレイなんだなぁ
あんなふうに踊れるようになるかしら などと妄想することができて 
それが 続けよう と思った理由のひとつでもあった。

 そのひとは もう上手なひとのクラスなのだけれど たまに
わたしがいる 初心者のクラスにもレッスンにきていて
そのときに踊りを拝見できるのを ひそかにたのしみにしていたのだ。

 それが ここ最近、めったにこられなくなって
どうしたのかなぁ と思っていた。

 きのう パーティにはいらっしゃっていて、ひさしぶりに
踊るところをみて やっぱりとてもキレイな笑顔で楽しそうに
踊っておられたので わたしはうれしくなって
話しかけにいき、一緒に写真も撮っていただいた。

 メアドを交換して 撮った写真を送ったら
きょう 返事がきていて なんと いろいろ思うところがあって
今月でいまの教室を辞め あたらしいところに変わられる ということが
書いてあった。 きのうは 話したら気持ちがあふれてしまいそうで と。

 とてもさみしかったけれど 勇気をだして話しかけて
写真も一緒に撮っていただけて よかったなぁ とおもった。

 ちゃんとそうして つながるひととは つながってゆくことができるのだ。

 わたしはなんだか 大丈夫みたいだ。



2012年11月25日日曜日

おどる

 1月から通っているフラダンス教室のクリスマスパーティがあって
だいじょうぶだろうか と思いつつ参加してきた。

 そもそも 教室でお友達がたくさんできたりするタイプでもなく
にもかかわらず じぶんが通っている曜日のひとが先生以外誰もいない
というかなりアウェイな状態だったので どうなることやらと
不安に思いつつ の参加であった。

 結果 そんなに親しくいろいろなひとと というのは
すこしハードルが高かったものの 習った曲がかかれば
みなさんと前に出て踊る などのことを わたしとしては
積極的にやってきた。 初心者なのに図々しい と
言われるほどの感じで。 どう思われたかはしらないけど
わたしはたのしかったからいい。

 踊る というのは なんだかとてもいい効果のあることなのだな
ということをあらためて知った。 上手じゃないのにどんどんひとまえで
踊ろうとするのは いかがか という話ではあるのだけれど
きょうは 踊ることがたのしい と思えたので
そのことがうれしかった。

 これまでも レッスンや 家での練習もたのしかったし
だから続いてきたのだとおもうけれど なんだか
舞台 という場所が とてもきもちのいいものであったのだ。

 それから 上手なひとたちが踊るのを見て
わたしもいつか あんなふうに踊れたらいいのになぁ と
思ったりもできたので それもなんだか いいことだとおもった。

 小学生の作文みたいなことしか言っていないけれど
きょうはそういういちにちだった。 図々しく前に出ることができて
歳を取ってよかったな とおもった。


2012年11月23日金曜日

そーいうところ

 きのうはぐすぐすさみしがるプレイにひたって
6kgがひざに乗ってくることすら感激したりとかしているうちに
トモダチから電話がかかってきて いろいろと話した。

 このトモダチはいつもほんとうのことしか言わないのだけれど
そのときに わたしの「目の前の課題に対して」容赦ない。 
つまりそれは わたしのすすむ速度とか いまいる場所を
なぜか感じとってくれている ということであるとおもう。  

 もし ほんとうのことを言われたとしても
それが 目の前の課題 でなければ わたしはただただ 
傷つくだけで終わるだろうし もっといえば
もしかすると それが課題であることにすら 気づかないかもしれない。

 わたしのいまの課題は いちばん荒々しく言えば
甘えんじゃねぇよ というところであるが
別の言い方をすれば もっとじぶんのちからを信じてやれ
ということである と思っている。

 きのうの どうしてひとりなんだろうぐすぐす という
その原因について きょうのわたしから言わせてもらえば
それは そういうこと言っちゃうおまえのそういうところだよ
ということにほかならない。

 まぁ半分プレイとしての さみしがり であったとはいえ
わたしはもう ひとりでもうすこし いろんなことができるわたし
なのだろうとおもう。

 ひとりで お店で飲むことが できたみたいに。


***************
 
 わたしがここで書き募っていることや
Twitterをしていたころに書き募っていたいろいろのような
そういうこころの作業は それが作業のすべてではないとしても
世の中のひとたちは そういった作業を どこにももらさずに 
ひとりでなんとかしているのかもしれない ということに 
本格的に思い至ったのは 残念ながらつい最近だ。

 なぜ その当たり前のことができずに生きてきたのか
なぜ そのようなわたしが いま 先のトモダチのような
愛をもって接してくれるひとのいる世界に存在できているのか
不思議におもうこともある。

 わたしはその当たり前のこと と もしかすると
その先の そうできたあとにしかあり得ない 
誰かときちんと向き合って生きること が恐ろしくて
いろいろなものを勝手にかかえこんでいたのではないか とおもう。
むかし見た ほかのひとの人生の物語をわたしが次々と作成している
という夢がそのことをよくあらわしている。 

 いろんなひとの物語は そのひと自身にしか作ることはできず
その物語同士が出会うところに尊さがあるし そこにまた
すばらしい物語の展開があるのだと わたしは誰よりも知っていなければならない
そういう仕事にも就いているし 実際 そのことを仕事でたくさん
経験してきた。





 わたしが手放さなければならないものは
わたし以外のものすべて なのだろうとおもう。



 
 

2012年11月22日木曜日

さみしいよる

 びっくりするくらい さみしくなった。

・・・・なんて ウソ。 きょうはさみしくなるだろう と
わかっていた。 それで どうせならおもいきり さみしがってやる
くらいのことをおもって さみしいきもちでいる。

 どうしていまひとりなんだろうわたし。

 どうしてだいすきだったひとたちとはなれてしまったんだろう。

 ぐすぐす。

 とか思っていたら たゆがおともなく近づいてきて
6kgでわたしの脚のうえにまるくなってねてしまった。



2012年11月20日火曜日

からだとともに

 比較的がんばって走るようになって5ヶ月くらいが経って
そうすると たしかに身体はきちんと反応して 変わってくれている。
したはらにくのぷにり具合はなかなかとれないけど まぁ
そこは ジョシだし 歳だし てことで大目に見ることにして
それ以外の。 走っているときの感じとか 身体で感じる調子とか
そういうことが。

 あっというまにいちねんが経って
とても苦しかった最初の数ヶ月のことは
思い出すことはできるけれど もう 遠い痛みで
わたしはあの日々を きのうのことのよう には
感じることができなくなった。

 そのあとの じぶんでもびっくりするしかなかった
失恋のついでにさらに重ねた別の失恋(といっていいだろう)
のほうが わたしにとって 大きい意味を持ったかもしれない。

 おもてだった苦しみや かなしみ のようなものは
もちろん 去年の失恋のほうがずっと大きかったけれど
わたしがじぶんの未熟さや それだからこそ
かもしれないエネルギーや きもちの動き方というものを
まざまざと見せつけられることになったのは 
あとのことによるものだった。




 思っていたよりもずっと 好意に甘えていたし
あぐらをかいていたし 支えにしていたのだな
ということには あとになってから気づいた。

 そんなものだ。

 そういう じわじわとした衝撃への作業を
わたしは身体を動かすこととともに やってきたのだとおもう。

 あぁもう次こそは こころに出てくるすべてのことに
きちんと向き合うような そういうふうなわたしのままで
だれかとともにいることをやっていきたい。 
身体をうごかしながら暮らすことは そのためにもおそらく
必要なことなのだろう。

 もし だれかといることが わたしの課題として
ふさわしいことであるならば。

 ひとりでいるのが課題だとしても 
やっぱり 必要なことなのだろうけれど。

 ねぇ。 時は流れてゆくし ほんとうに
時がくると ものごとは ただ 終わってしまうんだね。

 なんていう ぐずぐずしたわたしも まだいるのがわかる。
でも 相手への執着 ではなくて これはもう
思っているじぶんへの執着 のようだ。 あとすこし。


2012年11月18日日曜日

とけだしてゆく

 じゅうぶんに身体を動かした日は
やはり こころもちが とても軽くなる。

 走ったり 踊ったりしているときに
要らないものが勝手に溶け出していってくれているのでは
と 思わざるをえない。 さるをえない。きーきー。



 ちょうどそういうタイミングで
わたしが仕事で書いたものを読んでくださった先輩から
ちょっとした感想のようなものがメールで届き
それが好意的なものであったことで
さらにさらに わたしのこころもちは軽くなる。

 わたしがわたしとして生きること
わたしとしてきちんと感じ 考え 反応し
そうやって暮らしていくこと。

 それができていれば わたしはきっと 大丈夫なのだ。




どーにも

 休みの日の朝 が苦手になっている。
ここ数ヶ月の話ではあるのだけれど どーにも休みの日の朝
すっきりと起きることができなくなってしまっている。

 数年前までたしかに いつも休みは昼過ぎまでぐずぐず寝て
という生活をしていたわけだが そのときの感じ というか
そのときのような 起きてもいいけど寝る じゃなくて
起きるのがつらい という そういうような雰囲気になっている。

 疲れがたまっているのかなぁ とも思うけれど
なんだかちょっと この状態がさみしい。

 きょうもむりやり10時に起きたけれど いままた
カラダが横にならせろ と要求してきているのだ。
12時にして。


*************


 夏やすみにハワイにいって 
わたしはじぶんの一部をそこに開け放ってきた という
そういう感覚があって 世界はこれから
もっと開かれたものに感じられるだろう と思った。

 開かれた世界 というのはつまり 開かれたじぶん
ということなのだけれど これまで 世界に 流れに
わたしの深いところに わたし自身を開いて過ごしてきたか
と言われると そうではなく その 長い年月のやり方は
そうカンタンには 離れてくれないのだなぁ とも感じている。

 春のあの 新しくはじまってゆく感覚と
夏の わたしを投げ出す 開け放す 解き放つ感じという
それらは わたしのこれからのやり方として
身についてゆくものかもしれない。 夏以降のわたしの日々は
そのやり方をわたしが身につけてゆくための
修行のような そういう日々であるのだろう と思ったりもする。

 わたしは世界に 流れに わたし自身に 
わたしを開け放すということを やっている と
思い込もうとしてきたけれど でもやっぱり などと
じぶんを引き止める 不安におもうところも
どうしてもあるのだった。

 アタマでは わたしがこれから先 ひとりで生きるのであろうと
だれかと出会ってともに生きるのであろうと
それはすべて 起こるべくして起こることで 
わたしがわたしになってゆくために必要な過程であるのだ
とわかっている。 わかっているけれども
ひとりかもしれない と思うと まだまだおそろしい
と思ってしまうのだ。 

 ほんとうは おそろしくともなんともない
わたしのための過程でしか ないのにね。
解き放てば そのぶん かえってくる そういう世界であるのにね。


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 ということで、わたしはその あたらしい作業を
している途中で 休みの日にねむいのは 
この作業をやっている という そのしるしなのかな
なんて じぶんを甘やかしてみたり しているのである。

 もっともっと 開け放して 解き放ってゆけますように。