2013年4月30日火曜日

ステージ上におけるわたくし

 きのうは ならいはじめて1年3ヶ月ほどになるフラの
はじめてのステージで ひとまえで踊ってきたのです。

 最初の曲は緊張して間違えまくったし ちょっと(だいぶ)
残念な感じだったけれど でも 屋外のステージで
いいお天気のもとで トモダチが何人かきてくれてて
という中で踊るのは なんだかとても 気持ちがよくて
たのしくて 気分が高揚した2つめの曲は
ほぼ間違えず たーのーしーいー!!! っていう
ただそれだけで踊れたような 気がするのでした。

 そして そのステージにあがるにあたって
わたしはもちろん 盛りに盛った化粧をすることになったわけで。

 そう。四十路にしてはじめてのつけまつげに
ぐりぐりのアイライン という もうね それはそれはね。

 で。 その つけまつげと上のアイラインは 
じぶんで準備してから家を出る、ということだったので
そうしていったわけです。 そうしたならば。
待ち合わせの最寄駅で会った仲間はじめ
ハーラウのメンバー全員から
「わー 一瞬誰かわからんかった!すごい!」
と驚かれる という たいへんたのしいことに相成りまして。

 とあるちびっこにママが「わかる?うずちゃんだよ?」と言ったところ
ちびっこには「うん。わかる。だってあいほんにねこがついてる」
ていう 顔じゃないところで判断され、見に来てくれたトモダチの中には
最後までわたしがどれかわからんまま見てた というひとまでいたりなど
それはそれは わたくしの顔は違ったものになったのですよ。
つけまつげとアイラインと付け毛で!!

 そのおかげで、「わー きれいー なんか付け毛も似合ってるし
フラの大御所みたいだよ」 とか言われたりして
うれしかったけど! でも! いまのわたしの踊りでそれは!!! 泣

 ということで。 舞台に向けた化粧その他を施すと
なんだかいいものにかわってしまうらしい というのは
うれしいことでもあり でも ちょっと このままでは恥ずかしい
というか もっともっと練習をがんばって上手にならないとみっともないな
と 心底思ったのでした。

 そもそも うちのハーラウのひとたちはステージで他所よりずっと
上手に踊るので あしを引っ張ってはならん! というきもちも
ずっとありますし それに加え みずからの変貌ぶり。 
ますます恥ずかしくない踊りを身につけねば とこころに誓いました。



 えーと。 すごく変わったのがうれしくてはしゃいじゃって
いろんなひとに写真を送りつけてみたりなどして 
とても迷惑なばばあになってましたけれども でもね
そのくらい じぶんの顔が派手にかわって あらゆるひとに
キレイねぇ ってためいきついてもらえたのなんて ほんとにはじめてで
うれしかったの。

 とかいう 思春期か! みたいなことを書いて
きょうはおしまい! フラやっててほんとによかった。
もっとがんばろ。もっとキレイになろうとおもいます。


2013年4月27日土曜日

やわらかなもの

 やわらかさ というものが足りないんである。

 身体はうまれつき非常にかたいのだけれども
それは ある程度のところ わたしの在りよう
みたいなものとリンクしていると思われ、
これまでもいろいろなところで かたさ を
指摘されてきたのだった。

 きょう フラ教室で
「うずちゃんにあと足りないのはやわらかさ」
と せんせいに言われたのだ。 
わたしは比較的 言われたことを忠実に
なんとかこなそう とするタイプで なので
学んだ振り付けは次回までに(だいたい)覚えていくし
まぁ カンタンに言えば ちゃんとしたい 感じ
がすごく表に出ているのだろう とおもう。

 そもそも しなやかに動く とか やわらかく動かす 
みたいなことは とてもとても苦手で
それは アタマでっかち という性質とあいまって
わたしの まじめそう な かたくるしい雰囲気
の もとになっている何か なのだろう とおもう。





 中途半端な性質であるのにもかかわらずかたくるしい
という これまた中途半端な何かが満載のわたしだけれど
やっぱり とても残念ながら存在している ちゃんとしたい
という 優等生的気質 みたいなものがあって
それが わたしと世界との壁を作っている何か にも
なっているし 今後わたしは そのあたりをとっぱらう作業 を
やっていくことになるのだろう とおもう。

 要するに やわらかさ そして しなやかさ。
わたしがこれから 身につけてゆく在りよう。
動きだけでなく 性質としても。
ゆらゆらとたゆたう感じの。 ながれるような。
ふわりとしているような。

 フラと出会ってほんとうによかった。
ちょうどいいときにはじめられて ほんとうによかった。
これまでのつらかったことも たのしかったことも もろもろすべて
それらを通り抜けて やっといま わたしは やわらかさ のテーマに
本格的に取り組み始めるのだとおもう。

 そしてこれは わたしの人生をかけたテーマなのだろう
とおもう。 ようやくようやく はじめられる。

2013年4月23日火曜日

何度でも

 もうごくたまに にはなったけれど じつのところ
前に別れたひとの 別れ方のひどさを思い出して
あのような目にあわなければならなかったのはどうしてだろう
そんな目にあって当然の 価値のないにんげんなのかもしれない
というような考えがあたまをかすめてしまって
ひゅっ というへんな音のする呼吸になってしまうようなことが
あるのだった。

 もちろん そんな目にあってしまったからには
そんな目にあうだけの何か がわたしの側にもあったのだろう
とはおもうけれど そこだけがどんどん迫ってきて
ひどい扱い方をされたことだけに意識が集中して
打ちのめされてしまうのだ。 この感じは
別れた直後にはものすごく強くあって わたしはわたしの無価値ぶりに
相当落胆したし、だからこそ そこから這い上がりたくて
歯を食いしばってがんばったし
トモダチが投げかけてくれる愛とひかりを 必死になって
わたし自身のなかに探そうとして そうやって ここまできたのだ。


 もう その そんな扱いをされなければならないようなところに
わたしはいない とわかっているけれど
そのときのことにほんとうに息苦しくなることが
残念ながらあるのだった。 

 というように 傷つきがほんとうに過去のもので
じぶんが無価値ではない ということを ほんとうに感じられる
そういうまいにちであっても 何かがくすぶって
出てきてしまうこと というのは どうしてもあるのだな
と このたびわたしはあらためて感じた。
でも そこにとどまってしまうのでは それはただのプレイだし
そんなプレイ わたしは全然たのしくないから
「あなたはもうそんなとこにいないし これからだれも
そんな扱いをしたりしないからね」 と
じぶんに言い聞かせてやって それで ラクに息をして
ひかりをまっすぐ見て 愛を感じるほうに 毎回
何度でも 丁寧に シフトするのだ。

 こういうこころの動きがひとにはあることを
わたしは忘れない。 真摯に作業をしていても
ときにこんな後戻りがあることがあっても
そのひとがそれに気付いて なかったことにせずに
いる限り 何度でも待つ姿勢を わたしは忘れないでいよう。
 


 

2013年4月17日水曜日

次の望み

 ひとつぬけたな とおもうと やっぱりすぐに
つぎのなにか というものに気付いて けれど
そういうしくみなのだ ということは ちょっと
知っていたから そこまであせることもないのだった。

 そして そういうふうに 次々何かは起きて
というか わたしのこころに響くなにかは
わたしがじぶんにウソをついたり ごまかしたりしないでいれば
いつでも生じて わたしはもっともっと わたしとして
の 在りようを深めてゆくことになるのだ。


 ということなのだけれど。
そういうことを どんどん感じるまいにちにあって
いま パートナーなり すきなひとなり が
いない日々でも じゅうぶんシアワセであったり
充実もしているし 生きていられるものだなぁ と
思うけれど ふと なんでもない時間を共有したり
くだらないことを言い合ったりできる
そういう男性がいたらいいのにな と思うことも
出てくるようになったし
もっといえば じぶんよりたいせつな存在がこの世にある
という いまのわたしには想像するしかない
じぶんの子がいる ということを
じぶんの子を育てる ということを
経験してゆきたい というようなきもちも
大きくなっているなぁ とおもう。

 もうあと4ヶ月もすれば41歳になるわたしにとって
子を産む ということは いますぐ妊娠したとしても
かなりのリスクを伴うのに まだ父親になってくれる
という候補となるような男性もいない。 にもかかわらず
こんなふうに思うようになったなんて ほんとうにほんとうに
遅すぎる。 あとたとえ 2年でも 1年でも 半年でも
はやくにこう 思えていたなら。 わたしがたとえば
あと2歳でも 1歳でも 半年であっても 若かったなら。

 けれど 40歳と8ヶ月弱のいま でないとわたしはこういうふうに
思うことができなかったのはどうにもできない事実であるし
そう思うようになったから じゃあそうして 子を産む
ということにつながるか というと そうなるかどうかは
ほんとうにわからなくて 子を育てたい と思うようになったのに
それが叶わない人生になり そのことを受け入れて
そのエネルギーを何かに還元してゆくことになるとしても
どうなっても それは わたしがわたしになってゆく過程のひとつ
となるのだ。

 しかしながら。 能動的に望んで何かを求めてゆく
ということを わたしはこれからの人生で もっとやってゆこう
としている。 そういうときにきている とこころからおもう。
ので、パートナーのことも子どものことも もっと望んで
そういうこころもちでいこう とおもう。
かっこわるく切羽詰まりたくない なんて 思わずに。

 わたし というにんげんの 人生の過程に
この先起きることを わたしはすべて わたしの手で
わたしのからだで わたしのこころで わたしのアタマで
すべてすべて わたしが経験して そうやって生きてゆく。





 

2013年4月16日火曜日

ひよっこ40

 ここしばらく まえにもアタマでは何度も考えたり
そうなんだよね と思ったりしていたことを
ことごとく こころのそこから もうそれはそれは
いろいろな思い(忸怩たる ていうようなしんどいのから 
爽快感 みたいなちょっといい感じのまであらゆるもの)とともに
そっかー ねぇ そういうことだったんだよねえええぇぇ
などと感じて 表にはわからない程度に感極まる ということが
とても多い。 という意味ではいそがしいです。きもちが。

 けども 平和です。 なぜなら フォーカスしてるのは
あくまでも わたし自身 だからなの。 わたしがわたしのために
考えたり 感じたり しているからなの。 そうすると
ほんとうにたいせつにしたい とおもうものが ふわっと
浮かび上がって 逆に もうこれはどうでもいい というか
こういうふうなものを近づけておくとしんどいな というものが
ぐっと沈んで見えて そこに無駄にエネルギーを割くことがなくなった
ように思うのよ。 

 ほんのすこし 前までのわたしだったら ちょっともやもやしてても 
もやもやはあとまわしにして 相手がイヤな思いをしないよう というより
相手にちょっとトクベツに思われよう という格好悪いことこのうえない
不純な動機で はなしを合わせて わたしの中にもすこしある何か を
ひっぱりだして それを増幅させて過ごしていた のではないか
とおもう。 そうじゃないこと もあったけど そうであること
が多かったんじゃないか とおもう。ださい。

 でも もう もやもやしたこと は もやもやする と
はっきりわかる。 わかったら それは テキトウにして
近づけなければいいだけだ。 心地よい空間や世界は
そうやって じぶんがきちんとじぶんと向き合って
わきあがるものを なかったこと にしないで
真摯に取り扱って 作ってゆくものなのだな。

 アタマではもちろんわかっていた。
けれど こんなにからだとこころにも沁みてわかったのは
はじめてのことだ。




 たとえアタマだけ であっても とにかくまずは
気付くことがたいせつだ とはおもう。 けど
じぶん自身が じぶん自身の経験(出来事を経る というだけでなく
ともかく みずからの何かをつかって経る というそのこと)を
通してでないと なにもほんとうにはわからないのだ。
し、 わかった と思っても そこからまた 次にすすんでいて
また あぁあのときはまだまだだった とか 
こんな深さがあったのか とか いろいろとまた
わかって ゆくのだろう とおもう。

 どうしたって どんどんあたらしく わかって ゆくのに
わたしはどうしてこれまで アタマ でわかったふりをして
たくさんのことに目をつむってきてしまったのだろう。
誰かの何か ばかりを目指してきてしまったのだろう。

 四十路ってまだひよっこだな。 て ひよっこじゃないと困る。
ひよっこだからこれからがたのしみ ともいえるんだもの。


2013年4月9日火曜日

Ha'aheo

 ぐずぐず考えそうになっていたことが
ほんとうにほんとうに 実にどうでもいいことだな
と感じ入っている今日この頃なのであった。

 そう感じられるいま かつてよりもずっと
見晴らしのいい場所から世の中を見ているようなこころもちになる。

 とかいう感じられ方はあまりにベタなんだけれど
ほんとうに あれ っていうくらい じぶんの切り口によって
世界はおもむきを変えるものなのだということが
こんなにびしびしと感じられたことは
これまでの人生にはなかったことなのではないか とおもう。

 同じようなことを 言っていたけど。
アタマでは わかっていたけど。


 わたしなんて と本気で思っていたむかし
実のところ その わたしなんて という考えにひそむ
ものすごいどろどろとした傲慢さに わたしはうすうす
気付いていたのかもしれない とおもう。

 わたしなんて と卑下することによって説明がつくことは
じぶんの身の回りにあまりに多すぎて それはそれは便利なのだ。

 カンタンかつつまらない言い訳だったな とおもう。
不細工だから というのとほぼ同じ言い訳なんだけど。
でも その言い訳のおかげで わたしは
こんなはずでは みたいな 思い通りにならないいろいろ を
やり過ごしてゆくことができていたのだろう。

 いまやもう その言い訳に頼る必要はない。

 思うに、わたしは じぶんの誇り方 というか
みずからをたいせつにする ということがほんとうに
わからなかったのだろう と感じる。

 わたしはみずからをあいすることを
たいせつにすることを すこしずつ 知ることができている。
そうしたら もう とらわれそうになっていたことごとが
ほんとうに遥か彼方に去っていってしまった。

 すこしだけ さみしいけど。

 でも もう二度と そちらには戻らない。



 



2013年4月4日木曜日

あたらしい場所

 さて。去年の今ごろとおなじように、ことしもわたしは
とうきょうに遊びに行ってきたのです。 まぁ去年のように
長居をするわけにはいかなかったので 2泊3日の旅でした。

 ことしは懐かしいひとたちにもたくさん会って
いろんなはなしをすることができて
あぁ オトナになるってすてきなことだな と
ほんとうに感じることができました。 きっと
これが5年まえだったら わたしはまだまだ
今回のようには みんなと話ができなかったかもしれない。



 何人かのひとに あれ当時より明るくなった感じがする
みたいなことを言われたりもしました。
むかしから わたしはほんとうに口数が多くて
よくしゃべるひとではあったけれども
なにしろいろいろこじらせていたので
かもしだす雰囲気とか性質とか そういったものは
どちらかといえば いまよりもちょっと どろっとした
なにやらめんどうくさい感じが満載のもであったのだろう
と思ったりしたのです。

 それが。 いまはこんなふうに話ができて。
すごいことだなぁ。 会いたいひとと 会いたいとおもったときに
そのタイミングで会うことが こんなにたのしいことであると
わたしはいままで知らなかったように思います。

 そういうことを楽しめるようになったからか
さらには ひとりで何かをする ということに
さほど抵抗がなくなっている ということにも
わたしは気付きました。
  
 きっとこれからは ひとりでだいたいどこにでも
行くことができるんじゃないかな という感じがとてもしていて
その感覚は わたしをとても わくわくさせるのです。

 
 ちょっとまえに 世界がわたしに開いたとおもうけど
それは わたしが世界に対して開いたからだろう 
というようなことを書いたけれど このたびもほんとうに
そういうことを感じました。

 たくさんのひとと会ったのに むかしだったらきっと感じたような
おかしな疲れ方を わたしはこのたび していないのです。

 ほんとうに わたしのいま の感じで みんなと会うことができたなぁ
と思います。 相手にある程度合わせることができる(合わせてしまう)
ということ込みで。 もう そのことすらわたしの一部なのです。
かつてそれは わたしが何かに対して構えているから
そうなってしまっていました。 誰かの何かに なりたかったから。
けれど いまは そうではありません。 わたしはわたしの何かに
というか わたしになりたい という そのことが中心にあって
そうすると
合わせながらわたしを出す ということは
誰かにいい顔をするためのものではなく あくまでも
わたしがまわりと関わるときの やり方であるだけで
ごくごく自然なことなのだな みたいなことを 感じたのですよ。

 ということで とてもとても 印象的な旅でした。

 ちびっこも含めると10人のトモダチに わたしはこの旅で会いました。
みんなありがとう。 ありがとう世界。 またわたしの
あたらしいステージがほんとうにはじまったことを 
たくさん感じることができました。

2013年4月1日月曜日

わたしのしごと

 人生には だいたい必要なことが起きて というか
それを必要だ と思えるかどうか というところに
生きるこつ みたいなのがあるのかもしれないなぁ 
などということを感じたのだった。

 運命は決まっていて そして同時に自由である
という 甲野せんせいのことばを くりかえしくりかえし
別の言い方とか じぶんのタイミングで気付きなおしているだけ
ともいえるのだけれど。

 ほんとうにこれこそが 人生の真髄なのだろう とおもう。

 そんなことを考えているうちに
たとえばスピリチュアルなんちゃら とかによくある
(ほんもののスピリチュアルはそういうことは言わないので
それとは違う ということは断っておきますけれど)
1回のカウンセリングみたいなのでそのひとの何かを解き明かす
とか そういうことにじぶんが向いていかないのはなぜか
ということにもちょっと思い当たったりもしたのだった。

 だいたい そういうのをやってるひとのうたい文句に多いのが
じぶん自身もその考え方に救われたからそれを広めたいと思い
みたいな そういうやつ。

 あのさー そりゃね 当てはまるかもしれないけども。
その考え方で救われるひと というのは いるかもしれないけれども。
これは わたしの性質の問題かもしれないけれど
そういうはじまりだと わたしはどうしても じぶんを上の立場において
その活動をしてしまうとおもうのよ。わたしはいまとってもシアワセ。
だからあなたにも! ていうようなね。 何様や いうねん。
て なってしまいそうでね。

 わたしが考える ほんとうにそのひととともにある というのは
その立ち位置では 絶対にできないことなんだ。
ともにそこに身を置こうとし 苦しみをわかろうとし
そのひとだけの そのひと自身の そこから抜けてゆく道を
ともに見つけてゆこう とすること。 それが わたしの求める
わたしの目指す在り方で だから
「わたしがシアワセになった考え方をもとに さあ!」っていうのは
もう根本的に受け付けられない感じがあるのだった。

 もちろん そういうのでシアワセになられる方もおられるだろうし
それはそれでいい。そういうのがあってもいい とは思う。
が わたしはそういうやり方で 誰かとともに ということを
おこなうことは どうしてもどうしても できない。

 わたしは自らを ある程度 心身ともに健康な状態に保ちつつ
そのうえで 相手のひとの そのひとだけの在り方 を
ともに在ろうとしながら ともに感じ模索すること をよしとする。

 だから 1回の何か ですべてが晴れるような そういうものを
提供することはできないのだ とおもう。 わたしの仕事は
教え導くことではない。 あくまでも ともに在ること だ。
しかし ただともに在る のではなく 少し先を見通す努力 を
常に常にしながらともに在る ことが仕事で、
そこにわたしの専門性があるのだ、とおもう。

 ま、その感じ(1回でなんとか)のひととは役割分担 
みたいなことなんだろうけどね。
その感じがいいひとはその感じのところにいくし
それでもどうにもならないひとは わたしのようなひとのところにくる。
ただそれだけのことなんだけど。

 でも だからこそ わたしはわたしの立ち位置を
わたしの在り方をたいせつにしよう とあらためて思いました。
これからもこつこつといきます。