2014年11月29日土曜日

言い訳としての

 ここ数年ですっかり変わってしまった
というようなはなしばかり ここではしていて
でも もちろん 変わらないこと もたくさんある。
あたりまえだけど。 そして すっかり変わってしまった
というようなことも ある日突然 がらがらと
という変わり方とは違っていたとおもう。
がらがらと音を立てて と言いたくなるくらい
短いあいだに気付いた変化であったとしても。

 変わったり 変わらなかったり で 全般的には
わたしがその時々に そうあるしかないわたし
となっていくわけで。 そうしたときに 変わる
ということにわたしはかつて とても抵抗を感じていた。
すっかり変わる ということがおそろしく
うそくさい感じがして わたしはこれまでずっと連綿とあったわたし
を 見失いたくないとばかり思っていた。

 でも なぜ抵抗していたのかといえば
変わるのがおそろしい というよりも 変わる勇気や
変わるまえとしての いまのじぶん を動かす勇気がなかった
というほうが強かったのでは と思うのだ。

  動くこと をおこなわない言い訳 というのかな。
動こうと動くまいと どうしたって何かは変わっていくし
なるようになっていくのにね。

 動くときには動いてみるようになって
あたらしいことがたくさんあって わたしがいまのようになって
こわがらなくても わたしはずっとわたしだとわかったし
変わる ということを目の敵にすることはない
ともわかった。

 かといって 変わろう とするわけでもないし
わたしはとにかく 目の前のことを感じたり考えたりおこなったり
そうすると 変わったり変わらなかったりして
結果 わたしはある意味ちゃんと わたし になるという方向に
変わるのだ。

 あぁわかりにくい日本語。 でも そうなのよ。
変わったり変わらなかったり なにがあっても
ちゃんと わたしはわたしだ。

2014年11月16日日曜日

そだつ人間関係

 気がついたらもう11月も半ばだったりして
最近 長文を書く欲求 がそんなに生じないなぁ
という感じなんである。

 言いたいことはそこそこ ふだんすでに言えてる
みたいなところがだいぶ強くなっている のと
いまは感じたことをアウトプットするまでもなく
とりあえず体験しとけ っていう そういうときだ 
ていうのと両方あるのかな とおもう。


 さて。フラのステージがこれから半年くらいのあいだに
大きいのが3つあって それに全部出ることにしていて
そんなじぶんにびっくりなのだけれど
それはともかく そういうわけであたらしい人間関係も
ちょっとずつ育ってきているなぁ というところなんである。

 あたらしい人間関係がつくられてゆくとき
ものすごい勢いで変わってしまって終了しちゃったひとたちとの関係を
ちょっとだけ思い出してしまったりする。 職業とかがかぶっていて
そうすると共感のしかたみたいなところが似ていて
またおなじようになったりしちゃうのかな などと思って
ひやっ としたりするのだけれど でも 似ていることがあっても
違うのですよねあたりまえだけど。

 そしてなにより もうわたしの在り方が変わっていて
だから どうしたっておなじにはなり得ないのだ とほんとうにおもう。
わたしの職業による知識に惹かれるひとは  きっといまでもいるけど
でも それはわたしの本質ではないし わたしはもう
わたしの職業による知識を盗もうとするひとと付き合うことはないだろう。
ようやく そのことをわたしのウリにしなくてもよくなっているのだから。
(この書き方にはちょっと語弊があるけど、なんていうのか
知識を必要とされたときに そこがよくて付き合われているのだ
と卑屈になる必要はない ということに近いかもしれない。)


 ともかくやはり わたしがフラをはじめてから学んだことは
おのれのひらき方 というものだとおもう。 ひらく ということを
ほんとうの意味で 流れにゆだねるということを
わたしはすこしずつ ほんとうにじぶんのものにしてきている とおもう。

 人生はこうしてすすんでいくのですね。