2014年7月27日日曜日

いまよりもっと

 いろいろ考える。 
いままでのこと いまのこと これからのこと。

とくに わたし的に最近の懸案事項である 恋愛のこと。


 残念ながら わたしはとても惚れっぽくて
ちょっといいな と思ったら まぁなるようになってもいいか
とか思ってしまいがちだし 実際ちょっと強引なひとが相手だったら
痛いことになってしまってもおかしくない。
たまたま わたしがあんまり遊びが得意じゃなさそうな見た目だから
という理由で そこまで面倒なことになってないだけで。

 このたび もう縁はないんだろうな とおもいながら
メールだけで続いてたひとと いちどようやくふたりで会ってみて
会ってみたら わたしとしては ふたりで会うまえより
印象はよかったんだけれど でもきっと 先方としては
そこまでわたしにいい印象を持ってるわけではないんだろうな
とも感じていて でも だから 切ってしまう みたいなこともできず
潔くないわたし。

 お互いオトナだから めんどうなものは切ってくれるだろう
という考え方もあるけど オトナだから めんどうでも
とにかく失礼のないように というふうにする という考え方もある。

 きっと先方は 失礼のないようにフェイドアウトできたら っていう
そういう感じなんだろうなぁ なんて 思うんだけど。

 ちょっとだけ さみしい。 でも こんなかんじで
ちょっとだけ ときめいたのもほんとうで
そういうじぶんがいることは すこしだけ うれしい。
さみしくかなしくざんねんである裏で。

 言ってることが四十路じゃないよねこれでは
と思います。おもうけど でも もうこれがいまのわたしだ。


 きっと 何をどうしたところで
縁のあるひととしか 縁があるようにはならないし
縁があるひととは どうころんだって
最終的には 何らかのことになるんだろう と わかっているの。

 だから。

 いまのこれは いましかないから いま感じていることを
いちみりだって 見逃さずに いま 味わいたい。


 バカでしょ。 いいねんそれで。
でも わたしはもっとキレイになりたいし なるんだ とおもう。



2014年7月25日金曜日

くりかえすこと

海の日の連休に 去年も参加した ハーフマラソン大会があって
ことしも高校時代の友人たちと参加してきたのだった。

月のはじめのほうにあった台風のせいで橋が落ちた
とかで、わたしは予定のルートをかえて
現地まで向かわねばならなくなったりしたけど、
なんだかものごとはうまくできていて、
お金がたくさんかかった
ということ以外は いろいろなことがうまくいった。

去年よりずっと、走るのがたのしかったし、友人たちともいろんな話ができた。

まぁ、自由にしすぎてイヤな思いをさせる
というお決まりぽいパターンのことが生じたりも
したのだけれど。

お決まりのパターン というのは、
この場合のことに限らずたくさんあって、
わたしにはまだまだ
抜け切れてない課題が多いのだな とわかる。

昔より軽くなったこと、解放されたことはたくさんあるけど、
たぶんそのことをまだあまり信用できなくて、
ちょっと卑屈なところが顔を出したり、
それとは逆に、気を許したところで思いやりや気遣いが
極端に足りなくなったりすることがあるのだ。

でも、わたしに生じたきもちは、わたしのものでしかなく、
だからやはり、これらをすべて、なかったことにせず
やってゆくしかないのだとおもう。

わたしはもっと、自覚すべきことを自覚して
よりわたしを劈いてゆかなければならいな とおもう。

2014年7月17日木曜日

もたれたいのは

 エネルギーをつかう というのはこういうことなのだな
と実感せざるをえないことがここのところ 仕事ではっきりとあって
そうなると ますますいろいろなことを考え 感じ
わたしの機能を決して停止させてはならない という
そういうこころもちになるのだった。

 どういうことかというと。

 わたしの仕事において エネルギーをつかっている のは
自明のことであるけれど(わたしの仕事に限らずだがな)
わたしの仕事でも多くの場合は、
わたしがこれまで勉強してきたことや
重ねてきた経験といった そういうものの中に
かなりおさまっていて、なので ひとつ終わったときに
ほっとひといきついてあめちゃんをいただく とか
帰りにくだらないこと考える とか なにかそういう
日常的なことでじゅうぶん回復できるくらいの
そういう つかいかた なのだとおもう。

 でも そうはいかないもの というのがたまにある。
知識や経験 をつかうというだけでなく、
わたしの在り方 みたいなものを アタマをフル回転させたうえで
しかもこころを総動員してうごかしてぶつける
みたいなことが必要になることが あるのだ。

 そういった仕事をしたあとは あれだけ覚醒していたはずなのに
もうぐったり という感じだし こころは浮遊するし
目はしょぼしょぼするし 身体もほんとうに重たくなって
わたしはもう 現世にいるだけで必死 みたいな
そういう状態になるのであった。

 こういう状態になることで防げているもの
守れているもの 感じられるもの もあるし
そのくらい やっている という感じもあるけれど
でも そこで思考停止してしまうと わたし を終わらせてしまうと
もうそれは 単なる自己満足で なにひとつ
相手に通じる回路が残らないような そういう事態に
どんどんなっていくのだろう とおもう。

 わたしの在り方 わたしの全存在 をつかうことがあるときは
いつも以上に わたしの機能 を止めてはならない とおもう。
知識と経験の範囲を超えているから わたしはわたしのメンテナンスを
わたしのいま を これまで以上に つねに感じ続け そして考え
流れのなかをゆくことが求められる。

 苦しいけれど わたしはこれを選んだ。

 あぁもうだからなのかな
わたしはちょっといま だれかの肩にもたれたい。
こんなとき すこしだけ そういう時間を持つことができる
愛するひととつながりたい と ほんとうに思っている。

 そうしてもっと わたしがわたしになることに
相手が相手になることに そのことにちからを使える
サウイフモノニワタシハナリタイ。





2014年7月12日土曜日

つきがちかくに

 きょうは満月。 しかも 月がとってもちかくに来る
そういう満月なんだって。

 満月とか 新月とか そういう自然のながれや
おおきなうごきのようなものに じぶんのこころもちも
ある程度あわせてうごいているんだなぁ 
ということに実感とともに気付きだしたのはここ数年で
わたしの場合は 新月のときと満月のときの
違いはそんなにわからなくて どちらにしても
いつも以上に感情が揺れ動くことが多くなる というような
そういう感じがする。 新月のときのほうが
ぐっと重たく沈み込む感じなのかも ということくらいで。

 4年前?くらいにTwitterをはじめて
あのあたりからわたしの人生はどんどん変わっていって
その時期を過ぎて いまがある。

 Twitterで思ったことを細かくなんでもことばにして
なんでも言っていたとき わたしは必死だった。
わたしはわたしであることを 必死で確認しようとしていた。

 けれどもう わたしはそんなことしなくてもわたしだ。

 まだゆらゆらすることもある。
じぶんを運命に 世界に ゆだねて劈ききることは
まだできていないとおもうけれど
確実にそういう方向に わたしは動いているとおもう。


2014年7月10日木曜日

つめをきりすぎたときみたい(いたみだすのはいつもあとから)

 ま いっか みたいなことを言ってたら
たぶん あっけなく 終〜了〜 ってことになったとおもう。

 はんぶんは テキトウに扱われてるってわかってるよ
と言うことで いまの状況をそのままにしたことの 
言い訳をした という ただそれだけのこと。

 わたしはいまや わたしのよさ みたいなものとか
ひとなみくらいには 残念ではない容姿とか
でも すごくいい とまでは判断されない程度のことだ
とか そういうのをわかってて だから
わたしがわたしでいれば わたしのいまに見合ったひとと
知り合ったり 関係をつくったりしていけるとおもう。

 だから ちゃんとすすむよ。
へにゃへにゃになったりなんか しない。

 題にした 美里ちゃんのうたの歌詞のように
あとから痛むことが あるとしても。


2014年7月9日水曜日

恋とALOHAと

 とんとん拍子でうまくいく みたいなことが最近まったくない。 
あ。恋愛ぽいことの話ね。 なんとなくいい感じかな と思っても
そうカンタンに話がすすまず、じゃあ縁がなかったのかな切れるかな
と思うと あんまりカンタンに切れるわけでもなく
まぁ 最後には切れたりするんだけど ただ勢いよくすぱーん
とかじゃない感じになる。しばらくの間、どうなの?
どうなるの?って 見極めつかない感じのことがあってから
フェイドアウトしていく(あるいは、していくだろう)。 
ということが続いている。

 これまで うまくいくときは タイミングその他ぴったりで
ぜんぶすごい流れに乗る みたいなことが多かったし
いまの感じは はっきりいって 脈があるかないか でいうと
ない と思うんだけど でも 積極的に切られてないんだったら
こっちから切らなくてもいいか って感じでいる。

 別にわたしのことをすごく知ろうとされてる気もしない
し これはアレか もし万が一タイミングがあって
次にふたりで会うことができたりすることがあったら
お手軽にあわよくばなことになりそうリスト にわたしが入ってて
それで切らないように でもだから わたしがいろいろ本気で恋愛ぽい
モードに入らないように そういう感じに扱われてるんかな
と 思ったりもする。 でも 40にもなってそんな面倒なことする?
とも思ったりして なんて こんなこと思ってる時点で
わたしは軽く 状況的には恋に落ちているんだろうとおもう。

 だからといって すがりつく感じ にもならずにいられるし
こんな思春期みたいな 駆け引きにも入らないような
そんなことをやってるじぶんがちょっとおもしろいから
しばらくこのままでいよう と思っているみたいわたし。

 きっと何もなく ふたたび会うこともなく
「台風心配だね」とか「きょうもおつかれさま」とか
「走ってきたよ」とか そんなことだけ
1日1回 あいほん越しに言い合うだけのことをして 
そのうち消えて行くんだろうけど。

 この 本格的なじぶんのバカさをも
もうやりつくしちゃうしかないもんね って おもってる。


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 ていう バカな感じをたのしめるじぶんを支えているのは
フラであり、そこを通して知り合った仲間との関係であり、
そうしているうちに気付いた周囲のひとたちとのすばらしいもの
であり、愛としか呼べない何か なのだとおもう。

 あぁほんとうに ありがたいな。
わたしはバカをやりつくしても バカなだけで終わらないのだ。
踊っていれば。 ALOHAのこころをいつも忘れないようにしよう
とおもうことが できてさえ いれば。

 

2014年7月7日月曜日

七夕のよる

 きょうは世の中は七夕で おねがいごとを短冊に書いたりして
星を見上げたりして ちょっとだけ ロマンチックな感じですごしたり
しなくもない そういう日なんだとおもう。

 ↑ てずいぶん遠回しな言い方で書いちゃったけど。

 ここでも じぶんを低く見積もるような行動はやめとこう
的なことは散々書いてるし ほんとそうだよなぁ と思うんだけど
でも やっぱりある程度 これたぶんやっちゃいけない方向のことだよね
ということも 試みている。
そして そういうのを試みてるとき というのは
相手にされていないことが実はわかっているとき でもある
というおそろしい現実。

 そういうじぶんとの逢瀬 的な七夕。
なのか?

 でも じぶんのやってることの 感じ や 成り立ち
みたいなことが 以前よりずっと じぶんにわかって
だからそこから抜けつつあるんだろう というのも
ちょっとわかるから
わたしのペースでいろいろべんきょうさせてください。
ちゃんとじぶんのことは責任とるからさ。

 

2014年7月2日水曜日

後半開始2014

 はいどうもー。7月に入りましたよ。ねぇ。
2014年もあと半分であります。 出だしが はいどうもー
なのはアレです。 水曜どうでしょう副音声の見過ぎです。

 てのはともかく。 いろいろと振り返ったりなんだり
てことをしてて思うのは ほんとうになんかこう
自由になったな という感じがすること であります。
もちろん ながーいあいだ じぶんをかんじがらめにしてきた諸々
というのが そうカンタンに スパっ と抜けることはないので
いろいろと揺れ動いたりもするわけですけども
基本的に じぶんがほんとに思ってること とか
じぶんの情けないところ みたいなことを
ことしはずっとずっと 受け入れて だよねぇ って
おもってあげられている という感じがするのでした。

 これからどんなふうに劈けてゆくのかなぁ
と 本格的にたのしみにできる、この感じ。
もうわたしは むかしのわたしでもって深刻にわたしを縛らなくていい。

 
 それにともない、 もーほんとにバカなの? みたいな
そういうこともたくさんやるんだろうけど、そういったたぐいのことも
すべて実感をともなっていればそれでいい と思います。
解離してなきゃそれでいいです。アリです。

 ということでね。 後半もこうやっていきます。
わたしに立ちのぼる わたしにわきおこる わたしのこころもち に
いつも真摯に。ね。

 それは同時に 周囲にいてくれているひとたち いま在るこの場に
いつも感謝してゆく ということをも同時におこなわれてこそ
なのであって。 でも じぶんに真摯になろうとすると
そこももちろん ついてくるよなぁ と。

 後半もわたしはわたしとして生きよう。