2014年7月17日木曜日

もたれたいのは

 エネルギーをつかう というのはこういうことなのだな
と実感せざるをえないことがここのところ 仕事ではっきりとあって
そうなると ますますいろいろなことを考え 感じ
わたしの機能を決して停止させてはならない という
そういうこころもちになるのだった。

 どういうことかというと。

 わたしの仕事において エネルギーをつかっている のは
自明のことであるけれど(わたしの仕事に限らずだがな)
わたしの仕事でも多くの場合は、
わたしがこれまで勉強してきたことや
重ねてきた経験といった そういうものの中に
かなりおさまっていて、なので ひとつ終わったときに
ほっとひといきついてあめちゃんをいただく とか
帰りにくだらないこと考える とか なにかそういう
日常的なことでじゅうぶん回復できるくらいの
そういう つかいかた なのだとおもう。

 でも そうはいかないもの というのがたまにある。
知識や経験 をつかうというだけでなく、
わたしの在り方 みたいなものを アタマをフル回転させたうえで
しかもこころを総動員してうごかしてぶつける
みたいなことが必要になることが あるのだ。

 そういった仕事をしたあとは あれだけ覚醒していたはずなのに
もうぐったり という感じだし こころは浮遊するし
目はしょぼしょぼするし 身体もほんとうに重たくなって
わたしはもう 現世にいるだけで必死 みたいな
そういう状態になるのであった。

 こういう状態になることで防げているもの
守れているもの 感じられるもの もあるし
そのくらい やっている という感じもあるけれど
でも そこで思考停止してしまうと わたし を終わらせてしまうと
もうそれは 単なる自己満足で なにひとつ
相手に通じる回路が残らないような そういう事態に
どんどんなっていくのだろう とおもう。

 わたしの在り方 わたしの全存在 をつかうことがあるときは
いつも以上に わたしの機能 を止めてはならない とおもう。
知識と経験の範囲を超えているから わたしはわたしのメンテナンスを
わたしのいま を これまで以上に つねに感じ続け そして考え
流れのなかをゆくことが求められる。

 苦しいけれど わたしはこれを選んだ。

 あぁもうだからなのかな
わたしはちょっといま だれかの肩にもたれたい。
こんなとき すこしだけ そういう時間を持つことができる
愛するひととつながりたい と ほんとうに思っている。

 そうしてもっと わたしがわたしになることに
相手が相手になることに そのことにちからを使える
サウイフモノニワタシハナリタイ。





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