2012年10月31日水曜日

まほうのじゅもんのような

 若いときは 不細工だからしょうがない という
まほうのじゅもんみたいな 万能のいいわけを わたしは常にしていた。

 でかいから と 不細工だから は モテないじぶんをこころやすらかに
その場所にとどめておいてくれる かなしいけれどほかになにも考えなくてすむ
とてもべんりないいわけだった。

 大学生のとき 1度だけいった合コンで 気に入ってくれたひとがいた
ということに 猛烈に衝撃をうけて ゴハンが食べられなくなり(超かわいい
最終的に7キロくらい痩せて まぁいまくらいの体重になったんだけれども
そうして 背はでかいけどからだがでかいわけではない そこそこ
スタイルがいい と言ってもいい状態のカラダになってしまったとき
わたしは うれしかったけれど でも これまで万能だったいいわけの
一端が崩れてしまったことに気づいて 落ち着かないこころもちにもなった。

 スタイルがよくなったところで 特にまわりからの扱いは変わらず
特にモテもしなかったので どうやらこれは わたしのこころばえが
問題なのだろう という ほんとうのことに ちょっと近づいてしまったのだ。

 しかしながら こころばえの根本的な問題を改善するとか
じぶんの自信のなさとプライドの高さのアンバランスさにもっと意識的に
目を向けて直面することが 当時のわたしにはまだできなくて
それで 不細工だから といういいわけにすべてを託してしまったような
そんなところがある。

 スタイルがよかろうと それなりにトモダチが多かろうと
不細工だから すべてが台無し。 ということに たぶんしていたとおもうし
不細工であること を 申し訳なく思うことで もう思考が停止していた
とおもう。




 いま もうそのいいわけを使うことは もう かんぜんに なくなった。

いろいろともんだいなのは わたしのこころばえのほうであったのだし
そもそも 不細工 てことで思考停止していた その卑屈さがどうにもこうにも
だったのだろうとおもう。

 しかし いまは ちょっとまだ じぶんが 不細工ではない ということを
いちいちこうして確かめないといられないくらいには あたらしいじぶんに
慣れていないようだ。 いちいち書かなきゃならないことが すこし情けない。

 わたしはこれからももっと わたし になっていくのだけれど
そのことがじぶんの中ではっきりしたのはつい最近で なので
この過程がはじまったのは やっぱりつい最近のような気がしてしまう。
これまでのみちのりも わたし になるためのものだったのにもかかわらず。

 ともかく まだよちよちと歩いているようなきもちもある。
ので しばらくは この情けないブログのことも 許してあげよう とおもう。

 

2012年10月30日火曜日

わたくしの文章

 ブログを書き始めてみたら やっぱりまいにちに近いくらい
何か書いてしまって あぁあぁもうほんとうに ねぇ とか
そんなことを思っている。

 もともと ことばで表現すること はすきだとおもう。
けれども 上手ではない とおもう。

 むかしは勘違いしていて もちろん(!)じぶんはとても
文章を書くのが得意で上手で とか思っていたし
なんと! 思考力がある とすらおもっていたのだった。
バカ!なんてバカなの!

 まぁそこそこひとにそれなりに伝わるように繕った(よくいえば整った)
文章を書くことはできるとおもうし、受験生の頃は小論文が得意科目だった。
ということからくる勘違いだったわけだけれど
わたしは実は こころに生じたあれこれを 的確にことばにする
ということには まったく長けていない。

 ことば数も 口数も 両方多いので なんだかきちんと
いろんなことをことばにできているように見えるけど 
見えるだけで そんなに的確な表現はできていない とおもう。
おそらく 何かが伝わっているとしたら その ことば数なり
口数なり が かもしだす雰囲気 みたいなものがあって
それで なんとなく あぁこのひとはこんな感じなのかな というように
思ってもらえている という ただそれだけのことのような気がする。


                          ながいたゆ

 文章のプロのひとが しかもかなりのところ じぶんの気持ちに添って
正直に書いている文章のうつくしさとか 伝わりやすさ をみるにつけ
じぶんの文章について わー・・・残念 とおもう。
思えるようになっただけ ましなんだろうなぁ。

 わたしの文章は なんだかとても冗長で そして 的確 とか 端的 とか
そういうのからはほど遠い。 けれども。 残念だけれども
わたしはわたしの書く文章が キライではないのだった。 嗚呼これもまた
わたしの文章が残念にとどまっているおおきい要因だ。

 ということなので これからもこんなふうに書いていくんだろう とおもう。
いつか死ぬまでには 幸田文の1/100くらいはうつくしく胸をうつような
そんな文章を書いてみたい。 けどプロじゃないからいいか などという
なまけたこともおもう。 あいかわらず中途半端なわたくしなのだった。


2012年10月29日月曜日

ていねいでかろやかな

 ずっと途切れず密に とかいうこともなく
何年も間があいたりなんだりしつつ なのだけれど
縁のある後輩 というかいまや 男ともだち がいて
ここ数年は なぜかお互い関西にいる ということもあって
年に1〜2回は会うくらいの感じが続いている。

 そのともだちが ねこの寿命はどのくらいなのか と尋ねてきた。

 彼のトモダチの飼いねこが亡くなって でも 
とんちんかんななぐさめかたなんて したくないから
ということで 尋ねてきたのだった。

 そういう ちょっとしたこころづかいができるのって
いいなぁ とおもった。

 そういうふうなところがあるようなともだちと
なんとなく縁が続いているというのは なんだかいいことだなぁ
とおもうし そういうひとがそこそこちかくにいるじぶんも
なんだかいいものになったような気がするから
うれしいなぁ とおもう。


2012年10月28日日曜日

危険なメソッド

 Pinaシリーズ以来 ひさかたぶりに映画を観た。
フロイトとユングとシュピールラインの 例のアレ である。
トモダチがさそってくれて それで 観ることができた。

 映画がちょっぴり苦手なわたしは みずから映画について
調べることもないので テレビのない生活をしていると
いま世の中でどんな映画をやっているか ということを
ほぼ 知らずに過ごしてしまうのであった。



 にしても なんの前情報もないひとがアレを観たら
フロイトって すげー偉そうで権威主義的なじじいなんだな
(それはおそらくきっとそのとおりなんだろうけど)
ユングって 変態だったんだな
くらいの印象しか与えないんじゃないかね なんてはなしを
トモダチとした。 
まぁ わたしたちは 前情報がないひとたちではなかったので
よしとします。

 ユングはとりあえず映画の中でも 偶然はない と言っていて
それはともかく わたしたちは映画を観たあとで
しこたまワインを飲みながら 映画とは離れた話をしたのだけれど
彼女がわたしがちょっと考えてたようなことをテーマとして話したり
またはその逆のことがあったり と
いかにもこの映画を観たあとっぽいことが生じたのだった。

 なーんて。 いつでもそういうことが生じているのだろうけれど。

それから どんなにすばらしい発見も どんなに科学的に見える何かも
すべては 
にんげんの 泥くさい ナマの経験と体験の中からしか 生まれないんだな
ということも改めて感じた。

 そういう映画だった。

2012年10月27日土曜日

けっきょくのところ

 たいそうなアタマでっかちをなんとかしたい と思って
フラダンスを始めたのだった。

 まずは身体 とか思って。 そのうち 走っていることも
それについての役目も 果たしてくれているように
思うことも出てきて よしよし とか思っていたわけですが。

 フラをやっていると リズムに乗って 歌詞にうたわれていることがらを感じて
それらに身をまかせる、かのような雰囲気ももちろんあるのだけれど
アタマで考える というか 意識的にやらないとできないこと
というのがどうしても出てくるし 上手なひととか 先生とかは
そのような アタマで考えたり意識したり を散々やって 動きの基礎を
しっかりと身につけたうえで アタマではなくこころで あるいは 身体で
ということをやっているのだなぁ ということがよくわかってきた。

 何が言いたいかっていうと
アタマだけ ではダメだし こころだけ でもダメだし 身体だけ でもダメで
それぞれのプロフェッショナルは すべてに開いた何かをきちんと修行している
ということなのだった。




 なので たとえばいまわたしは走っているけど
ただ走るだけではきっとあんまり最終的には意味がなくて
多少なりとも 身体の使い方 みたいなのを意識しつつ
さらに それを アタマを超えた 身体の機能 みたいなのに
つなげていけるかも というところに 意味があるんだろう
とおもう。

 なに言ってんだわたし。

 ともかく すべてのバランスなんだな ということ。
どれかが突出していくには ほかのすべてについての感じを知らないと
どうしようもない ということ。

 心技体 とかよくいうけど まさにその通りで
どれが欠けても なんだろうな と思うのでした。
それでは またね。

じんせいはプレイ

 生きるというのは みんなそれぞれプレイをしているということなんだ
というようなはなしをよくとあるトモダチとしました。

「不器用なわたし」プレイ
「わかっているけどできないわたし」プレイ
「ふつうにとけ込めないわたし」プレイ

               などなどなどなど。

 じぶんのことをよく知っておくと なんだかご利益がある
とおもうけれど どれだけわたしがわたしのことを知っても
もっとその先に わたしのはかりしれないわたし がいて
思わぬときに 思わぬことをしでかしたり あらわしたりしてくれて
そういう瞬間が もしかすると 生きてる という感じを
強く感じさせてくれるのかもしれない。

 ていう 「俯瞰めいたことを言ってるわたし」プレイ。



 ともかく その奥にある わたしもはかりしれないわたし が
作り出している わたし という全体をまもるためのものが
いまこのときにあらわれている プレイをするわたし なのだろうな。

 まぁ説得力はない。

 「わけわからんこというわたし」プレイ。

てことでいまからわたしは 「身体を動かしてる意味を感じてるわたし」プレイ を
やりにいってきます。

2012年10月26日金曜日

ひかるものかがやくもの

 なにごとも そのひとが そのひとのペースで
そのひとのちょうどいいときに 経験しつくすしかないのである。

 ということを肝に銘じようなんて言いながら ついつい誰かに対して
えらそうに わかったような口をきいてしまうことがあって
じぶんでも ひやっ とすることがある。

 どんなに苦しくても どんなに悲しくても
そのひとがそのひととしての機能や そのひととしてのかたちを損なわない限り
わき起こる感情や そのときの身体感覚や そのときの思考や 見える景色や 
その他もろもろ すべて 経験しなければ
どうにもこうにも なのである。

 たとえば同じことをプレイかのように繰り返していたとしても
それは もうそのひとの在りようとして欠かせない通り道だし
わたしの信頼しているともだちは皆 多少繰り返したところで
そこから何かを学び取り変容し 厚みと深みを増してゆくちからを
もっているひとたちなのだった。




 えらそうに誰かから言われて避けられる苦しみや悲しみなんてないし
結局のところ 経験すべき何かはいつになっても経験すべきものとして
やってくるものなのである。

 わたしはそこになにも言うべきことはなく
ただ そのひとをイメージしたときに感じるあかるいものや
かがやくものだけを見て もし そのひとがそれを見失いそうになったときだけ
そっと見えているものについて伝えればいいのだろう とおもう。

 そのためには わたし自身が じぶんにあるはずのひかりを
かがやくものを 見失わないようにしていくことが肝要なのだろう。
わたし自身が 苦しみも悲しみも わき起こったものは避けずに
丁寧に作業して生きてゆくことが肝要なのだろう。


追記:おそらくこれは、わたし自身がじぶんがプレイかのようにやっている繰り返しや
   思考やらについて じぶんでもそこからなんとかひらいてゆくちからがある と思いたい ていう
   そういうはなしなんだな とおもう。ひとのことのようにいっていることは
   おしなべてじぶんのことですね。ほんとうに。 


2012年10月23日火曜日

笑ってあげる

 THE HIGH-LOWS のうたの題名である。

 「きみはわらわれた ことがないんだろ
  わらってあげる わらってあげる
  みけんにしわを よせてる きみを
  わらってあげる わらってあげる」

てな具合の歌詞が出てくる。

 わたしはかなり プライドが高くて
の わりに努力とかあんまりしないし たいそうな世間知らずで
まぁいわば こまったさん というような感じで生きてきたとおもう。

 まわりがどう思うか より じぶんがどう思うか ということに
いつだって興味の中心はあったけれど でも いつも
笑われたくない と おもっていたとおもう。
かなり強く。 とても 強く。

 けれども気がつけば 世間知らずだし言ってることはおかしいし
非常勤だしばついちだし子どももいないし愛だの恋だのいまだに言ってるし
で もうどこからどう扱っても痛い四十路のおばさんと相成っているのである。

 笑われたくなくて 格好つけて避けてきたようなことが
たくさんあって 机上の空論みたいなことや妄想だけで
切り抜けてきたことばかりが 積み重なっていた若い頃だった。

 なんとかそれでうまくやって 30代後半をむかえた ような
気持ちでいたけれど おまつりがやってきて
わたしは結局 避けてきたこと 笑われてしまうようなことを
ごっそり経験することになった。




 悪あがきをしたときも 笑われたくないとか 思っていた。
下手すると産めちゃうくらい若いあのひとに あのばばあ痛いとか
俺の若気の至りだった とかなんとかいって じぶんがやってることを
笑われたくない と どこかでうっすら思ったりもした。
やってることの意味を わかってほしいとかなんとか。
おかしいことじゃないといってほしいとかなんとか。

 が。

 笑われてももういいっていうか 笑われるくらい
突き抜けてやり抜くことが わたしには必要だったし
笑われてなんぼなんだろうないまこれは とも わかっていた。

 そんなわけで 笑ってあげる を聴くと
耳が痛い と同時に ちょっと清々しい。

 やっと笑われる勇気が出たじぶん という側面も
大いにあったのだから。 悪あがきには
そういう意味もあったとおもう。

 とか 書いて振り返ってまとめないといけないくらい
わたしにとっては 大きな出来事だったとおもう。

「日々の煩悩の なかで気づかなきゃ
 けっきょくなんにも わかりゃしないだろ」
「きみはわらわれた ことがないんだろ
 わらってあげる わらってあげる」 

2012年10月22日月曜日

アタマと身体とこころと

 最近比較的めきめきと走っている(もちろん当社比)。
2〜3日に1回は走っているだなんて わたくし的に
だいぶ上出来だろう とおもう(さっそく自画自賛)。

 むかーし。かつてブログをやっていた頃よりも ちょっと前。
わたしは もっとめきめき走る女 だった。
どのくらいかというと まいにち計10kmくらいを しかも
インターバルで走る みたいな そういう走り方で
なので よく大会にも出ていて 10kmは1時間以内くらいで
走っていたものだった。

 その当時 わたしはなんだか 土の上を走るのが苦手で
それは じぶんが土というより泥の汚いところをどんどん足から吸収してしまって
もうどうにもならないくらいに汚いにんげんになってしまう みたいな
そんな妄想でアタマがいっぱいになってしまうからだった。

 あの頃 わたしのアタマと身体とこころとは ものすごく乖離していて
あんなに走ったりしていたけど それでも全然足りなくて
アタマの感じと身体の感じとこころの感じとはずっとずっと遠いままで 
わたしはたぶん どうかしたら簡単に身を滅ぼしていたであろうような そういう
ちょっと 危ないことになっていた とおもう。

 走っても走っても わたしが浄化されることはなかった。
走ることはたのしかったけれど いつも何かから逃げたくて
それでも逃げられずに 走った。

 結果いまここにちゃんといるから 助かったのだけれども
でも ほんとうに危なかったとおもう。 その状態を
あれだけ走っても どうにもできなかったなんて ほんとうに身体に申し訳ない。
そして 走ってもどうにもならなかったから わたしはカンタンに
走ることをやめてしまった。



 いま。 10年経って わたしがふたたび走るようになったのは 
アタマと身体とこころが乖離してるのをどーにかしたい などという
半ば高尚に聞こえなくもない理由なんかではもちろんなくて 
(でもフラのほうはそれにごく近い理由ではじめたのだけれど)
40のばばあになるっていうことで 運動しておかないと
膝の内側などという若いときにはありえなかった場所に肉がむちむちついたり
体型が残念としか言いようのないことにすぐなりかねない という
必要に迫られた理由ではある。

 なのだけれどもしかし。

 このところ走っていて思うのは わたしのアタマと身体とこころとが
昔ほどは乖離していない ということだ。 走っていたら
身体がちゃんといろんなものを反映するし こころやアタマにたまった
どうでもいいようなことをうまいこと流すのを手伝ってくれたり
わたしのいまのほんとうに感じていることの中心 みたいなものを
見えやすくしてくれているように感じる。

 むかしと違って、走ることが アタマと身体とこころを近づける役割を
ちゃんと果たしてくれている という実感がある。

 そのおかげかどうかわからないけど たとえば 悪あがきなどをしていても
そりゃもちろんそんなんしないほうがいいのだけれど でも
わたしのアタマのはかりしれないところが爆発的にやってて
どーかすると身の破滅 みたいな実際の身体の動きを誘発してしまう のではなくて
わたしがちゃんと じぶんの責任というかなんというかにおいて
じぶんのこころとアタマをきちんと働かせて、それに身体も動員して
そうしてぜんぶつかって経験している と思えることをやっていたのであった。

 身体が動かすことで こころとアタマとがちゃんと連動して
流れてくれている とおもう。そういうふうにようやくわたしは
動けるようになったのだろう。

 という実感ができるようになったのがハワイから帰ってきてからで
だから それからのわたしのほうが 身体を動かすことを
たいせつにおもっている ように感じる。 フラダンスの練習をしていて
最初のころより ぐん と腰が動くようになったかな と
思えた時期ともたまたま一致したので余計に。
そうして 身体とこころとアタマのつながりを感じるようになったものだから
走ることにも 踊ることにも すこし 貪欲になっているのかもしれない。

 とはいえ。 そもそもの地力みたいなのがひとにはあって
わたしは身体を動かすことに向いているわけではない。そっちの能力はない。
だから、身体を使ってすごくはなれないけど でも わたし という存在を
うまく動かし機能させるにあたって 身体を動かすことは
必要なことなのだなぁ といまは深く感じることができている。

 それもこれも 10年前に 乖離しながらも必死に走って
そのときのちからが残っていたから それでできていることなのだな
ともおもう。 すべてはつながっていますね。

 わたしはこれからも 走るし 踊るし アタマ使うし こころも使って
そうやって生きていく。
 

2012年10月21日日曜日

いまのことがら

 経験すべきことが 経験すべきときに 経験すべきように
ただ 起きているだけなのだろう。 というか 意味なんてなくて
ともかく 起きる出来事 というのは もうどうしたって 起きてしまうのだ。

 Twitterをやっていた頃に 武道家の甲野善紀せんせいが
「運命は決まっていて それと同時に自由である」
ということを言っていて(このとおりに言ったかどうかは定かではないのだけど)
わたしはそのことばに非常に感銘を受けたのだった。

 なにがどうあっても どうしていたところで
いま目の前に起きていること いまここにある状況がすべてであって
もうそこにあることをこつこつやっていく以外に
わたしにできることはない。
そして だからこそ 起こる出来事がいくら決まっていても
自由なのだ。 目の前に起きていることを どうとらえて
どう感じて どう(内的に)作業するかは わたし以外の
誰にも決めることはできないのだ。

 起こった出来事はすべて もう どうしようもなく起こったことであって
特に わたしが選ばれしものだから でも 選ばれなかったものだから でも
どちらでもないのだ とおもう。

 ただただ 目の前のことに取り組むしかない。

 おそろしく孤独なこころもちになったり 実際 
こころから伝え合おうと思い合えるパートナーとなるひとと
この歳までいちども出会っていない というか 誰かとそういう関係を
築くことができないできたことに 絶望的な気持ちになることもある。
残念ながら まだそんなこころもちになることもある。

 けれども。 どうせ決まっているのなら
このいまのこの感じを 生起していることがらを 
わたしは経験しつくそう。



 ほんとうは 起こることに意味なんてない。

 そのことを知っているけれど でも 起こることには 流れがある
ということも 感じざるをえない。 

 その 意味なく起こる現実の出来事と わたしが わたしになろう とする
その動きによって 流れとか 意味とか そういうものが生まれている。

 誰かとともにする時間は そういう みんなそれぞれひとりひとりが持つ
流れや意味とも 出会う時間なのだろう。 それすらも 意味のない
起こるべくして起きているひとつの場面にすぎない。 けれど
やっぱり 生身のひとが関わっているから そこにまた
流れや意味が たちのぼってきてしまうし、それが人生の醍醐味なのだろう。

 何言ってるのかようわからん感じになっているけどともかく。
わたしは いま とてもさみしくて でも同時に とてもしあわせで
しんとしたこころもちで と同時に わくわくも している。

 いつでも来なさい次の出来事。 わたしはぜんぶを やりつくすから。




ふつかよいの名をかりて

 昨日の夜は しこたまに飲んだ。 トモダチが4人ほど家にやってきて
わたし含め酒飲み4人でワインをきっちり4本あけ、おまけにびーるもいただき
きぶんよく酔っぱらった。 途中もうひとりがちょっとだけ加わったけれど
すぐに遠いひとたちは終電の時間だなんだ となっておひらきとなったのだ。

 みんなでどうでもいいことばかりを話して とてもたのしかった。
こんなふうな時間がたまにはあるのもいいなぁ という感じで。

 で。 途中加わったもうひとり というのが
もう会うのは半年ぶり以上になるひとだった。
最後の悪あがきの相手になってもらったひとだった。
去年と一昨年にあったおまつりの 中心にちかいところに 
ほぼ 中心といっていいところに いたひとだった。

 数ヶ月まえにじぶんの満足のためのことをいろいろ投げかけて
おかげですっきりできたよ とは言わなかったけど
いろいろともうしわけなかったね と直接言えたので
そのことはよかったなぁ とおもう。
なんにしても 直接会って 言いたかったのだ。
手紙とか メールとか 電話ではなく。

 ほんとうは もうすこしいろいろと話したい気もしたけど
もう そのひとが 仕事(というか)的にも恋愛的にも
次の場所にいって ちゃんと進んでるんだなぁ という感じがしたので
いまさらむこうがおもっているであろう わたしに対しての物語の内容を
変更させても仕方ないなぁ というこころもちも すっと出てきたので
わたしもほんとうに次のところにきたんだなぁ とおもった。



 このひととは 将来 お互い自身に変容があったりなんだりして
何らかの縁がある可能性もあるだろう ないかもしれないけど
というような感じがした。もう二度と会うことがないかもしれないけど
会うことがあるかもしれないなぁ みたいな 開けた感じ。
先週3年ぶりに会った元恋人に対して
もう二度と会うことは一生絶対的にないなぁ と思ったのとは
だいぶ違う感じがした。

 先週のが締めくくりかとおもったけど
どっこいほんとうの締めくくりが待っていて
おかげできょうは まったく動けないいちにちになってしまった。
まぁあれだけ飲んだら まだ酔ってる というようになるのは当然だけれど
走りにいこう とかやる気満載だったのに ちっとも起き上がれず
まるいちにちずっと寝てることになってしまった。

 単なる二日酔い とおもうこともできるけど
わたし的に 大きい作業が終わったから とおもうこともできる。
そういう体調のにちようびでした。 


2012年10月18日木曜日

わたしのとくいわざ

 得意技は 自画自賛 です。

 ちかごろものすごく わたしえらい! みたいなことを
公言するようになってて それだけではあきたらず
ほめるといい気分になれるからみんなほめるといいよ! などと言って
周囲に ほめ を強要するなどの暴挙にまで出る という
そういううっとおしさを全面に押し出すようになりました。

 そんなわたくしですが、これまでを振り返ってみるに
別れた男子の皆さん(てサンプル数3だけど)には、
たいてい ものすごくキライになられる とか もうちょっとも会いたくもない とか
つきあいを続けるなんてイヤでしかたないと思われる とか つまり 振られる
というかたちで 別れているわけです。

 そのあたりの理由 みたいなのは もちろんそれぞれひとも違うし
状況も違うし それぞれなんだろうと思うけれど
だいたいねっこはおんなじだな ということに やっと
ほんとうに やっと! 深く深く思い至ったのでした。 おそい。

 その理由。 それはたぶん わかったふり にあったのではないかと
いまは思うのです。 もちろん ほんとうにある程度は 相手のひとは
わかってもらってる感 みたいなのを感じたことがあっただろうし
相手を理解しようとするわたしの姿勢にも うそはなかったと思います。

 でも。

 わたしは勝手に 相手をほかの誰よりもはやくそして深く理解し察するわたし 
でなければ 相手にとって意味がない というようなことを 思っていたなぁ
と 思います。 そんなこと 頼まれてもないし 相手がわたしをすきになったり
興味を持ったりしたのは まったく別の部分だったかもしれないのに
理解するわたし だけがわたしをわたしたらしめている くらいのことを
思っていたように思います。

 最初のうちは いいんですそれで。 でも だんだん それではうまく
いかなくなりますよね。 当たり前だけど。

 そこで登場するのが わかったふり。 アタマではわかっているけど
ほんとうには納得していないようなことも それが相手の状態である と思えば
それを優先している ようなことを表面的にはやるのです。 けれど
じぶんの思ってること 感じていること があって それを完全に押し殺せずに
だだ漏れにしながら やってる。 ので 相手にはなんだかものすごく
いやーな感じにメッセージが届きます。 うまくいってるあいだは
やってることと思ってることに齟齬はないことが多いけど
じぶんがネガティブなきもちを抱えているときには そのいやーな感じ は
ものすごいかたちであらわされていたに違いありません。 

 イヤだとおもうこと 不安におもうこと わからないこと は
素直にそう言って話し合ったり あらわしていくことを
わたしはほとんど しなかったと思います。 ものわかりのいいわたし を
演じてしまっていたなぁ と思います。

 そういうわたしが出てきていたのには じぶんへの自信のなさ が
大きく関係していました。 そりゃそうですね。自信があったら
わかったふり なんてしなくていいんだもの。
けれど じぶんを ふためと見られない不細工 と思っていた時代が
とてつもなく長かったこともあって 付き合う男子に対してどこかいつも
申し訳ない と思っていたり 理解と察しが速く深いわたしでないと
すきになってもらえない と思っていたのだろうなぁ と思います。
そしてそれが 相手のわがままやダメさをもどんどん引き出すことになる。
わーバカじゃないのー?
そして、その上にさらに ほんとうはわかってない という事実が醸し出す
いやーな感じ がどんどん積み重なっていってしまうわけです。

 ということで 相手が最終的にわたしのことをイヤで仕方なくなる
というのは 相手のわがままその他を最大限に引き出した
他ならぬわたしが招いた結果だった と。 そういうからくりだったのだろう
とおもいます。

 いま。 やっと どうやらじぶんは ふためと見られぬような不細工ではない
ということに 思い至るようになってしばらく経ちました。 そうしたところ、
こんな歳になって 父親に「うず子(仮)はキレイになったな」と言われたり 
後輩に「うず子さん(仮)大学のときそんなにキレイなひとでしたっけ?」
とか言われたりするようになっており じゃじゃじゃじゃあいちばんキレイであって
しかるべき若いころどんだけ汚かったんだ ていう話ですけれどもともかく
そういうことで いまたぶん わたしは今までの人生のなかで 
いちばんましな いい具合の容姿です(当社比)。 
もう 意味なく相手に申し訳なく思って
わからないのにわかったふりをしたり じぶんにたちあらわれる
ネガティブなきもちをへんなかたちに押し込めたりしなくてもいいだろうと
こう思うわけです。

 さ。どうなることかと思ったけど 戻ってきました。
容姿が!いままでで!いちばん!まし! っていう!自画自賛!!

 得意技は 自画自賛。 40年してようやく わたしはわたし。
これからもどんどん自画自賛していこうと こう思います。
そのほうが じぶんにもまわりにも いい空気をもたらすことに
きっと なるのだろう と思います。


 

2012年10月17日水曜日

まつりのあと

 まつりのあと なのである。 あとのまつり ではなくして。

 いまのわたしの感じをひとことであらわすと しつこいようだが
まつりのあと というのがぴったりくる。 

 ようやくようやく おまつりがおわって おちついたところ なのである。

 去年一昨年あたりの2年間が おまつりのようだった ということは
その日々が過ぎ去ってすぐに 比較的いろんなところでわたしは口に出していたのだ。

 これまでの人生でいちばん 恋愛面でも 対人関係でも 華やかなときだった。
年下の男子のみなさんと なぜだかとても縁があったりして
とてもいいきぶんにさせていただいたなぁ とおもう。

 その おまつりのような日々を わたしはなかなか 手放せなかった。
かっこわるいけど どうも そういうことだった。  
こころの奥では もうとっくに おまつりは終わっていて 
それぞれみんな わたしを置いて 次の場所に進んでいることに
気づいていながらにして
おまつりが ずっと続いたらいい 続いていてほしい とおもっていたのだった。




  おまつりが終わったことを わたしはほんとうに ようやくようやく
受け入れたのだ とおもう。 すこしまえに 夢がそのことを 知らせてくれた。

 けれど そうして夢に見るまでに わたしはいろんな悪あがきをした。
ほんとうにいろんなことを した。

 手紙を書いたり そしてまたそのことについて いろいろ思ったり
格好いい去り方は 決して できなかった。 どうしたら格好いいかくらい
わかっていたにもかかわらず。

 ぜんぶやりきった とおもう。

 やりきったうえで その 最後のことが もしかすると
日曜日に むかしの恋人に会ったこと なのだろう。

 いちみりもときめかなかったし じぶんのいるところがよくわかって
わたしはこころのそこから おまつりが終わったことを おおきいこえで
宣言できるようなきもちになった。

 というタイミングで。 きょうわたしは箱庭を作ってみた。
じぶんのいまの内面を ブログでさらけ出すってどうよ と思ったりもしたけれど
まつりのあとの 静かな感じと けれどうごいている いま が
とてもよくあらわれているように思ったので 写真も載せてみた。

 そしてさらに きょう まさにいま 父から電話で いいひとはいないのか 
と聞かれた。 父はわたしがこのままひとりなのではと 心配しているのだった。
その父に いいひとがいたらよろしく などとお見合いも辞さないこころもちを
明るく伝えることができた。

 そういういま。 まつりのあと。 たのしかった おまつりの あと。




2012年10月16日火曜日

さようならむかし

 このまえの日曜日に かつてブログやTwitterというツールをわたしに教えてくれた
とある人物と3年ぶりに会ってきたのだった。

 まぁそう書くとアレだけれども要するに かつて付き合っていた男性と
3年ぶりに会ってきたのだった。

 会ってどうするんだろう と思っていたのだけれど
もしかすると わたしがいまどこにいて どういうものの感じ方をするようになったのか
確認するいい機会になるかもしれない と思って その流れにのってみたのだ。

 会ってみたところ。 彼は思ったよりは老けていなくて
しかし 中身も驚くほどに変わっていなくて けれどもそのおかげで
わたしはわたしのいまの場所を とてもよく確認することができた。

 わたしにとっては 当時どうしたことかとおもうほどすきでたまらなかった
そういう相手だったけれど、相手にとっては ただの都合のいい しかし
ただ都合がいいにしてはそれなりな話もできて便利な という そういう存在であって
そのことがものすごく明らかになったタイミングで別れたのだ。

 当時激烈にじぶんに自信がなかったから、わたしは一応相手をしてくれている彼に
しがみついて 知らず知らずのうちに 彼の都合のいいように じぶんや相手や
ふたりの関係についての在り方を思い込んでつきあっていた。 

 ということが いまはわかる。 

 別れるときに彼が惜しんだのは わたし という存在ではなく
都合よくそこそこいろんな話を理解してくれる おかあさんのような
そういうものであったのだ。

 そして。 再会してすぐに 彼はわたしに
彼がした 誰にも言えなかった最近の恋のはなしをした。

 その恋が そのあきらめかたが やり方が
彼というものをものすごくよく あらわしていて
そこにかつてのわたしは わたしが特別になれるかもしれない という
期待を抱いたのだなぁ ということを深く理解したのだった。

 彼に会って感じたのは かつてのかわいそうなじぶんと
いまはもう そこにいないじぶんだった。

 30代までのわたしは なんてじぶんを粗末にしていたんだろうか。
けれど その期間を経なければ わたしはいまのわたしには
決してなれなかったのだということも とてもよくわかる。

 その彼と別れたあと つきあったひとがいて
そのひとともうまくいかなくて わたしは40歳の現在
あいかわらずひとりだけれど いまのわたしは
ようやく わたしはわたしであることに自信を持てるようになった。

 たまに さみしくなるけれど 結婚していたころよりも
リコンしたあと恋人がいたころよりも わたしはわたしが好ましい。

 に、してもブログっていうのはなんだかこう 気持ち悪い感じになりますね。
酔ってんじゃねぇよ 的な。 長文というのはおしなべてそんな感じになりがちで
しかし そんな場所があってもまぁいいじゃないか。 ということで
このたびは締めさせていただきます。

 さようならむかし。 いまがいまで ほんとうによかった。

ひさしぶりの

 ブログなんてもう書かないとおもっていた。

 もうTwitterでも言いたいことが思いつかなくなり
Facebookにupする現実のあれこれ くらいでじゅうぶんだ と。

 基本的にそれは変わらないなぁ とおもうし
こうして書き始めてみたところ やっぱり特に
なにかとても言いたいこと があるわけではなくて
その意味でも かつて まいにちのように800字から1200字の
小論文のようなエントリを書き募っていたあのころとは
何もかもが違っているいまなのだった。

 のだがしかし。 すこしだけ ここ最近のあれこれ を
整理してまとめるような そういう いつ何を書いてもいい場所
というのがあるのもいいのではないか とおもって
ブログページを登録してみることにした。

 懐かしいエキサイトブログで とも思ったのだけれど
あんまり懐かしいところに戻ることによさを感じなかったので
別のところに。このように。 とはいえ 題名としては
かつてのブログの題名がやっぱりしっくりきたので
そのまま使って 2 をつけるだけにした。

 うずまきはながれていくのです。これからもずっと。