2012年10月27日土曜日

けっきょくのところ

 たいそうなアタマでっかちをなんとかしたい と思って
フラダンスを始めたのだった。

 まずは身体 とか思って。 そのうち 走っていることも
それについての役目も 果たしてくれているように
思うことも出てきて よしよし とか思っていたわけですが。

 フラをやっていると リズムに乗って 歌詞にうたわれていることがらを感じて
それらに身をまかせる、かのような雰囲気ももちろんあるのだけれど
アタマで考える というか 意識的にやらないとできないこと
というのがどうしても出てくるし 上手なひととか 先生とかは
そのような アタマで考えたり意識したり を散々やって 動きの基礎を
しっかりと身につけたうえで アタマではなくこころで あるいは 身体で
ということをやっているのだなぁ ということがよくわかってきた。

 何が言いたいかっていうと
アタマだけ ではダメだし こころだけ でもダメだし 身体だけ でもダメで
それぞれのプロフェッショナルは すべてに開いた何かをきちんと修行している
ということなのだった。




 なので たとえばいまわたしは走っているけど
ただ走るだけではきっとあんまり最終的には意味がなくて
多少なりとも 身体の使い方 みたいなのを意識しつつ
さらに それを アタマを超えた 身体の機能 みたいなのに
つなげていけるかも というところに 意味があるんだろう
とおもう。

 なに言ってんだわたし。

 ともかく すべてのバランスなんだな ということ。
どれかが突出していくには ほかのすべてについての感じを知らないと
どうしようもない ということ。

 心技体 とかよくいうけど まさにその通りで
どれが欠けても なんだろうな と思うのでした。
それでは またね。

0 件のコメント:

コメントを投稿