2012年10月31日水曜日

まほうのじゅもんのような

 若いときは 不細工だからしょうがない という
まほうのじゅもんみたいな 万能のいいわけを わたしは常にしていた。

 でかいから と 不細工だから は モテないじぶんをこころやすらかに
その場所にとどめておいてくれる かなしいけれどほかになにも考えなくてすむ
とてもべんりないいわけだった。

 大学生のとき 1度だけいった合コンで 気に入ってくれたひとがいた
ということに 猛烈に衝撃をうけて ゴハンが食べられなくなり(超かわいい
最終的に7キロくらい痩せて まぁいまくらいの体重になったんだけれども
そうして 背はでかいけどからだがでかいわけではない そこそこ
スタイルがいい と言ってもいい状態のカラダになってしまったとき
わたしは うれしかったけれど でも これまで万能だったいいわけの
一端が崩れてしまったことに気づいて 落ち着かないこころもちにもなった。

 スタイルがよくなったところで 特にまわりからの扱いは変わらず
特にモテもしなかったので どうやらこれは わたしのこころばえが
問題なのだろう という ほんとうのことに ちょっと近づいてしまったのだ。

 しかしながら こころばえの根本的な問題を改善するとか
じぶんの自信のなさとプライドの高さのアンバランスさにもっと意識的に
目を向けて直面することが 当時のわたしにはまだできなくて
それで 不細工だから といういいわけにすべてを託してしまったような
そんなところがある。

 スタイルがよかろうと それなりにトモダチが多かろうと
不細工だから すべてが台無し。 ということに たぶんしていたとおもうし
不細工であること を 申し訳なく思うことで もう思考が停止していた
とおもう。




 いま もうそのいいわけを使うことは もう かんぜんに なくなった。

いろいろともんだいなのは わたしのこころばえのほうであったのだし
そもそも 不細工 てことで思考停止していた その卑屈さがどうにもこうにも
だったのだろうとおもう。

 しかし いまは ちょっとまだ じぶんが 不細工ではない ということを
いちいちこうして確かめないといられないくらいには あたらしいじぶんに
慣れていないようだ。 いちいち書かなきゃならないことが すこし情けない。

 わたしはこれからももっと わたし になっていくのだけれど
そのことがじぶんの中ではっきりしたのはつい最近で なので
この過程がはじまったのは やっぱりつい最近のような気がしてしまう。
これまでのみちのりも わたし になるためのものだったのにもかかわらず。

 ともかく まだよちよちと歩いているようなきもちもある。
ので しばらくは この情けないブログのことも 許してあげよう とおもう。

 

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