2012年10月17日水曜日

まつりのあと

 まつりのあと なのである。 あとのまつり ではなくして。

 いまのわたしの感じをひとことであらわすと しつこいようだが
まつりのあと というのがぴったりくる。 

 ようやくようやく おまつりがおわって おちついたところ なのである。

 去年一昨年あたりの2年間が おまつりのようだった ということは
その日々が過ぎ去ってすぐに 比較的いろんなところでわたしは口に出していたのだ。

 これまでの人生でいちばん 恋愛面でも 対人関係でも 華やかなときだった。
年下の男子のみなさんと なぜだかとても縁があったりして
とてもいいきぶんにさせていただいたなぁ とおもう。

 その おまつりのような日々を わたしはなかなか 手放せなかった。
かっこわるいけど どうも そういうことだった。  
こころの奥では もうとっくに おまつりは終わっていて 
それぞれみんな わたしを置いて 次の場所に進んでいることに
気づいていながらにして
おまつりが ずっと続いたらいい 続いていてほしい とおもっていたのだった。




  おまつりが終わったことを わたしはほんとうに ようやくようやく
受け入れたのだ とおもう。 すこしまえに 夢がそのことを 知らせてくれた。

 けれど そうして夢に見るまでに わたしはいろんな悪あがきをした。
ほんとうにいろんなことを した。

 手紙を書いたり そしてまたそのことについて いろいろ思ったり
格好いい去り方は 決して できなかった。 どうしたら格好いいかくらい
わかっていたにもかかわらず。

 ぜんぶやりきった とおもう。

 やりきったうえで その 最後のことが もしかすると
日曜日に むかしの恋人に会ったこと なのだろう。

 いちみりもときめかなかったし じぶんのいるところがよくわかって
わたしはこころのそこから おまつりが終わったことを おおきいこえで
宣言できるようなきもちになった。

 というタイミングで。 きょうわたしは箱庭を作ってみた。
じぶんのいまの内面を ブログでさらけ出すってどうよ と思ったりもしたけれど
まつりのあとの 静かな感じと けれどうごいている いま が
とてもよくあらわれているように思ったので 写真も載せてみた。

 そしてさらに きょう まさにいま 父から電話で いいひとはいないのか 
と聞かれた。 父はわたしがこのままひとりなのではと 心配しているのだった。
その父に いいひとがいたらよろしく などとお見合いも辞さないこころもちを
明るく伝えることができた。

 そういういま。 まつりのあと。 たのしかった おまつりの あと。




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