2016年4月28日木曜日

夢の作業

なんとなく今朝はすっきりしているようなこころもちでいて
なんでかな と思って通勤している途中に
今朝見た夢のことを思い出した。

むかし付き合ってたひと ーくわしくは誰だかわからないけど、
たぶんこれまで付き合ったことのある3人と
例の若者くんのぜんぶを合わせた集合体みたいな存在だったとおもうー が出てきたのだ。

そのひと(?)に、「元気だった?どうしてるかたまに気になってたんだよ。
元気なのがわかってよかった」というような趣旨のことを言われ、
ほんとうによかったなぁ
と思った夢だった。

ああ神様(のようなもの)。わたしの夢の作業はようやく
ここまできたのですね。


そんなわけですっきりしたこころもちだったようであるわたしは
行きの電車で聴いてたあいちゅんから
エレカシの「さよならパーティー」が流れてきた際、
あ、そっか。
このうたはこういうことだったのか
とかなんとか 思ったのだった。
いや、宮本くんの思いはまた別にあるにしても。
このうたがいまのわたしにとって示してくれている意味が
すうっと 入ってきたのだった。

さぁ。もうパーティーからは抜けて、わたしはわたしの暮らしへ
もっともっとコミットしていこう。

2016年4月22日金曜日

信じるとか信じないとか

また同じこと言ってるよこのひと、てやつですね。ええ。
でもたぶん おなじようなことをぐるぐるしておなじようなことを言ってるように見えても
0.1みくろんくらいは何か違ってて、なのでそうやって
少しずつ変わったり バージョンアップしたり
根付いたりなどなどしていくのだろう。な。

で、わたしは基本 ひとに好かれると思ってないんだな
というのがね。抜けてないわー、と。

ここしばらく わたしは不安でいっぱいで、オットの言動の裏を読んでは勝手にかなしむなどし、
わたしは〜なのに みたいなことを思ったりしてつんつんしたり
弱ってみたりしていたのだけれど、
それがなぜ起こってるかって
相手の好意を信じられてない からなんだよね、という。

もちろんむかしはもっとひどかったので、
どーせ言うほど思われてないのだから
と根底で思ってることを言い訳にして
こっちの気持ちをさんざんぶつけたり、言い募ったりしていたのです。 と、いうことに数年前に気づいたんだけど、
最近また似た傾向になってる気がして。相手が信じられてないから
ちょっといつもと違うことされたら
ああこのままきっとダメになっていくんだ と勝手に思い込むなどしてかなしんでしまい、
そうじゃなくて 相手の状況がいつもと違うんじゃねーの?ということに思いを馳せられない。

馳せてるつもりで馳せてない。なぜならわたしを思ってるわけがないことゆえの行動に違いないと思ってるから
みたいなね。そんな感じのもうね。ははは。笑うしかない。


アレです。もうじぶんのことに必死なわけね。相手の基本にも愛があることを信じることができてない状態なんだからね。

おそろしいことです。

でも そうじゃないんだよなぁ。


すべての人間関係にこの法則があてはまり、わたしの残念ぶりが引き起こしたことである
とは思わないけど、でも、わたしはもっと
これからわたしの在りようを変えてゆくことができる
というか、その準備はさんざんしてきたのだから
もうあとはそこに委ねるだけじゃん
と思ったのだった。


何言ってんだかな。ははは。人生は続く。

2016年4月13日水曜日

絶賛嫌われ期

さて。新年度になりましたが、何年か前よりその片鱗が垣間見えておりました 嫌われ期、
絶賛継続中でございます。

別に継続したいわけではないんであるけれど、まだ続いているからには
わたしにはまだ 学び終わってないこと があるのだろう。

わたしがわたしであること をうまく扱うことができずにいるということなのかもしれないな
と常々思っていたけれど、なんかもう、いろんなものが漏れ出て、
それがいろんなひとのこころにいちいち
かちんかちん当たっておるのだろう。

だいたい。Facebookのようなツールでも あきらかにわたしの投稿は非表示にしてるんだろうな
というひとが何人かいるし、
軽い写真だけのツールでも、なぜか突然 やりとりを停止されたりなど。
写真についての「いいお天気ですね」的やりとりしかしていないにもかかわらず。

いるだけで嫌われる、疎まれる という経験は小学校高学年から中学校在学中ずっとあって、
そのときの感覚を思い出す。

高校から すとん とその感じから抜けたけど、わたしの根っこにはきっと
あのときの感じが残っているのだろうなぁ、ともおもう。

何様やねんあいつ、感。

ちょっとお高く止まる感じが、なくはない。たぶん。
むかしよりずっと減ってるけど。
そんなのが、「いいお天気ですね」にもあらわれてしまっている
ということなのだろう。

そして、触媒みたいに合わせるというのがなくなって自由になったりしたというのとそのへんとが相俟って
もうそれはそれは
鼻持ちならない感じ に見えることがあるのだとおもう。


ともかく。ちゃんと学んで、ちゃんと抜けられるといいな とおもう。