2013年8月30日金曜日

おめでとうわたし

 お誕生日〜♪ てことで ほんじつ8月30日、
わたくしはめでたく41歳となりました。

 節目ですよ。べつにだからなに ということもなく
特に一緒に祝ってくれるひとがいるわけでもなく
でも ことしの誕生日はちょっとトクベツだとおもう。


 あたらしくなった感 というか
これから開いてゆく感 みたいなのが
いままででいちばん 感じられるから。

 
 もちろん まだまだ どんよりしたり
ダメだなーもー とおもったり
思いどおりじゃないことも たくさんあるけれど。
それでもやっぱり ことしはとてもいい感じだ。


 おめでとう。 あたらしいいちねんをはじめます。




2013年8月20日火曜日

たのしいなつやすみ

 なつやすみも折り返して もう2週目に入ったんである。

 いやぁ すごいね このなつやすみは。
前回のながいおやすみだった春休みも すげー
と思ったものでしたが このなつやすみは
じわじわとすごい。

 もちろんにんげんですから 表があれば裏もあります。
が。 だんだんわたしはあんまりその2つの解離しているその距離が
なくなってきたなー と思っていて。
なんていうんですか。 ほんの1年半前までなんて
もーしんどくてしんどくて Twitterがなかったら死んじゃうし
Facebookくそくらえ あれはおつきあい みたいな
そんな状態だったし その後 Twitterが要らないなー と思うようになって
でも Blogがあると そこにはFacebookではとても言えないような
そういうことも書けるし という そんな感じだったわけです。

 でもねぇ もう Blogでだからこそ ということすら
あんまりなくなってきました。 もちろん Blogだからこそ
長い文章も書けるし わたしがわたしのために置いておく場所 として
有効なんだけれど Facebookではとても言えない という
そんな内容のことは なくなってきたなぁ とおもう。

 わたしはいままで何をそんなに息苦しく思って生きてきたんだろう。

 人生はすばらしいですね。

 かなしいことももちろんあるし 
ゆくかわのながれはたえずしてしかももとのみずにあらず
ということもいっぱい感じるけど
でも それでも わたしはいまのわたしがすきだし
いま わたしを取り巻いている世界のほうを信じる。


 ま たまにFacebookでもうっとおしい長い文章は
書いちゃうわけだけれども でも ここは Blogはこれから
ますます 長い文章担当 という 
そういう場所にほかならなくなっていくのだろう と思います。



2013年8月16日金曜日

先輩の背中

 今朝起きてシャワーをあびてのんびりしていたら
フラ教室で仲良くしていただいているおねえさまから
自主練に誘われたのでした。 おねえさまたちは
明日から開かれるコンペティションに出場するので
そのまえに ちょっと気になるところを2〜3人で確認しあう
ということで自主練を催したとのこと。
なつやすみを 喰っちゃ寝 していたわたしを
しゃっきりさせようとして 家も近所だしどう? と
思いついてくださったのでした。

 行ってみたところ。
コンペ前の緊張感 はもちろんあるんだけれども
ピリピリしている というのではなく 
きょういらしていた3人のクプナさんたちが お互いを信頼しあい
そして それぞれがみずからやってきたことに自信をもち
かたく結ばれている感じ を強く感じました。

 わたしはまだ ちょっとしたイベントに わーわー と
たのしげに出る というだけのことしかしておらず
積み重ねたものは少ないので 正直
大先輩である彼女たちが どんな思いでここまできたのか
ということの 100分の1も想像できていないようにおもうけれど
でも ここまでくるすごさ だけは 圧倒的な勢いで伝わってきました。

 そして わたしを練習に混ぜてくださり
しかも わたしに対しての指導までしてくださるなど
コンペ前なんだからほかのひとはどーでもいい
となりそうなところを ちっともそうならずに
迎えてくださって そのことがほんとうにほんとうに
ありがたく あたたかく このひとたちはホンモノだな
とおもいました。

 こんなふうに歳を重ねることが わたしにはできるのだろうか。

 少なくとも 身近にこのような先輩がいる
というのはとても恵まれていて そのことに
他ならぬ いま 実感として気付くことができたことからも
人生のすばらしさに感じ入らざるをえませんでした。

 その割に 帰ったあとすっかりだらけて
結局 喰っちゃ寝 しちゃったけれども
このように感じた ということは忘れずにいよう。
なんてステキなお盆休み。 日々輝く何か。

 



2013年8月12日月曜日

むかしむかし

「むかしのむかしのそのむかしー まだまだむかしのまだむかしー
ほんとにあったか なかったかー だれもしらない わからないー
そんなむかしの おはなしよー」

 ていうのは 小学4年生のころ入っていた演劇部でやった劇で
いちばん最初にうたう歌。 残念ながら劇の題名を忘れてしまったけど
沼だかみずうみだかに住んでる妖怪にちかい妖精みたいなのが
村にいつも悪さしていたんだけど 最後改心する みたいなそういう話。
わたしはその悪い妖怪だか妖精だかみたいなのの役をやった。
嗚呼当時から自虐的だったわたし。
                     *あとで思い出したけど「水の精ネック」ていう劇だったとおもう。

 というのはともかく。 

 むかしむかし もう10年くらいまえに
うずまきのながれ という題のブログを書いていて
わたしはそこに さまざまなどろどろ や
それまでのじんせいに考えてきたことなどを
まことしやかに書き募っていたのだった。

 当時のわたしは ケッコンしていたけれども
でも じぶんのダメなところ全開(そうと気付かずに)で
よって努力も足らず けれども いちばんやばい解離 という
そういう方法がすこし落ち着いてきた という段階で
(まぁでもまだ解離してたけど) 要するに
ひどい状態だった。

 しかし ひどい当時にひどいとはなかなか気付けないもので
わたしはじぶんが悪いとかあんまり思ってなかったし
なにより あたまでっかちに考えてきた事ごとに
それなりの自信(一般論としても通じる、みたいな)を
持っていたし、さらに、現実生活では 口を開けば嫌がられる
という感じもあったから それを補償するかのように
ここぞとばかりに おのれの考え だとか おのれの思い
だとかを書き付けていたのだ。

 はんぶんは いま の思いだったけど
はんぶんは わたしのおもう人生 みたいな
わたし様語り だったように現在のわたしには回想されるような
そういう内容だったとおもう。 わたしのため に
書いているふうを装って わたしは ブログを読んでいる誰か
に向けて 半分ドヤ顔で書いてたんじゃないか。

 なんてはずかしい。

 それも通るみちだったのだなぁ としか言えないし
そんなブログであっても かけがえのない出会いもあったりして
だからやっぱり それはそれ だったのだけど。

 でも。 もういまとなっては あれはあのときの
30すぎの (いまより)青かった まだまだ主体的に経験をすることが
できなかったわたしのやり方だったんだな としか思えない。

 おなじような題のブログだけど うずまきのながれ と
うずまきのながれ2 は まったく違うこころがまえで書かれている。

 放っておいたらいくらでもなんでも書いちゃうなぁ ということは
変わらないけど、いまのわたしは 
わたし自身のこころにいま感じているなにかを落とし込むために 
という明確な目的をもって書いていて
だから 当時のように 一般論としても通じる 的な
誰かがこれを読んで何かを感じてくれるかもしれない 的な
そういう思いを持って書くことをしていないし、もうそれは
どうしても できないことなのだ。

 そういうあたりも わたしが得て そして うしなった
という その一例となるような事ごとだ。

 もうわたしはあの頃のわたしではないから。

 もう じぶん自身にフォーカスすること から
決して決して 逸れたくないし 
こうあってほしい という誰かの無意識の期待に
わたしは流されないで生きよう。


 あたらしいわたしは ようやくかたちを成してきたところ だけれど
それはつまり かたちを成しはじめることができるだけの
土台みたいなものができた ということでもある。
そこから見える風景を わたしは愛している。



 


2013年8月11日日曜日

なつやすみとたんじょうび

 なつやすみがはじまった。

 なつやすみ というのは子どものころから
じぶんの誕生日が近くなるとき というので
すこしトクベツな感じがする。

 なつやすみ1日目は トモダチ2人を家に呼んで
みんなで浴衣を着て飲んだくれる というすばらしい企画により
幕を開けた。

 これまで 何かを得たら 何かをうしなう という考え方や
変化すること 変わること というものにも なにかしら
抵抗を感じていて 変わってしまう のではなくて
これまで持っているものに何かが加わって(あるいは反応して)
変容するのだ みたいなことを言ったりなんだりしていた。

 でも。 ここ最近もんのすごくわかってきたのは
何かを得たら 何かをうしなう というのはほんとうのことだ
ということと ひとはやはり 変わるのだ ということだ。
まぁ 変わらないし 変わるし なんだけどもともかく。

 わたしが思っていた 変容する ということには
あまい幻想みたいなものがたぶんにふくまれていた。
そしてその なんかこう 実は地に足がついていない
すっからかんな「あまい幻想」は わたしを世の中から
どこか遠ざけたり 妙なところにはまりこませたりした。
でも そのおかげで なんとか生きていたりもした。

 いまやわたしは ようやくその あまい幻想 から
外に出はじめたところなのだな とおもう。(40と1歳を前にしてようやく)

 わたしはなんどもここで言っているところの「おまつり」を
終えたあとも あまい幻想 を引き連れて歩き
いつもどこかで何かを期待したり 認められようとしたりを
繰り返してきていたのだとおもう。 その集大成としての正月と
あと その後の煮え切らなさ があったようだ。

 人生はあたらしい局面を迎えていて
わたしはなんだかほんとうに 変わって しまった。
わたしだけでなく わたしをとりまく周囲も。
あ、それはわたしが変わったからだけど。
(かつて言っていたところの)変容 などという
なまぬるいなにか ではなくて もうほんとうに。
すっかり 変わってしまった とおもう。

 わたしは得たし わたしはうしなった。

 その強烈な事実を これからまたたくさん
実感してゆくのだろうとおもう。 

 なにごとも そのとき にならないとわからないし 
それとして経験できないものだ。

 さぁ。わたしはこの あたらしいところで
これからどのようにやっていくのだろう。
すべてはあたらしく しかし すべてはわたしのこれまでがなければ
つくられていないもの。 

 あと19日でわたしは41歳になるけれど
ことしの誕生日のタイミングは ほんとうにほんとうに
誕生日 という感じがする。

 わたしはきっと ひとりでケーキを買ってお祝いするだろう。
おめでとうわたし と こころからにっこりわらって
ケーキを食べるのだろう とおもう。

 

 

2013年8月6日火曜日

らららん

 きょうは高校時代からのトモダチとひさしぶりに2人で会って
ワイン飲みながらランチとかして おいしいケーキも食べて
だいすきなお店で衝動買いもして いろんな話して
たのしい時間を過ごしたのだった。

 もう四半世紀のつきあいで 15歳だった高校1年生の頃から
彼女とわたしはずーっと仲良くしている。それってかなり
すごいことだよね。

 そして さらにすごいのは お互いにいろんなことを経験して
いろんなとこが変容した にもかかわらず やっぱりつきあいが
続いている という そのことだとおもう。

 加えて わたしたちは いま をちゃんと生きている。
という まぁ あたりまえなんだけど そのことを強く感じて
それはほんとうにすばらしいことだなぁ と感じ入ったのだった。


 人生にはいろんなことがあったけど そしてこれからもあるけど
わたしはもっと わたしの感じたことや わたしに起こることごと
そのことにフォーカスして生きてゆこう とおもった。

 なんども言うけど 人生はプレイだ。

 だとしたら わたしは 他の人が思うわたし や
他の人がこうあってほしい とおもうわたし にフォーカスせず
わたしが感じていることにフォーカスするわたしプレイ で
これからは生きていきたい。

 離れゆくひと 続くひと 新たに知り合うひと
いちど離れてもまたつながってゆくひと。

 わたしは おそらく運命なのであろうそのつながりの妙を
わたしのものとしてきちんと経験していこう とおもう。

 

 

2013年8月1日木曜日

愛とひかりと

 やっほー 8月。 こんにちは 8月。

 暑くたってなんだって やっぱりじぶんの誕生月のことは
すきなのである。 8 って数字も 30 ていう数も。
もちろん 3 も 0 も。ね。

 で。ここしばらく 恋がしたいだのなんだの
そういうことばかり言ってるわねアナタ ていう
そんな調子だったわけだけれど。

 やはりフラがすばらしい ということに
またまた思い至り。 踊り自体も だし
フラ というその世界観すべてが ということでもあるし
何より 仲間に恵まれた という そのことが
いちばんおおきい とおもう。

 ジョシしかいないこのハラウで
わたしはイヤな思いをしたことがない ばかりか
年齢関係なく 尊敬できる 謙虚な人柄のひとたちと
たくさん知り合うことができて そのことにいま
とても感激しているのだった。

 と 同時に じぶんの ひとりっ子丸出し みたいな
わがままで自己中心的な要素 にもびしびし気付かされて
その気付きは痛いけれど でも 悪くない というか
あぁこういうかたちで気付くじぶんのことって
受け入れやすいんだな という感じでいるのである。

 落ち込みます。 それはそれは。 でも
あぁ わたしにはこんなところがあるな みたいなのが
ちゃんと目の前にきてくれたんだな というような
そんな感じ。 落ち込むのもまたよし というか。

 わたしが 世の中の愛とひかり みたいなものに
気付きはじめたのは 3年前のおまつりのとき だったけど
そのおまつりが終わってからの いま だからこその
愛とひかりをそのまま受け取ろうとする姿勢。
その姿勢が 徐々にわたしのものになろう と
ほんとうに身に付こうとしているのだな というのを感じる。

 ハラウの先輩やトモダチが身につけている
芯のところの輝き みたいなもの に
わたしはフォーカスしていこう としている。 というか
考えなくても そこにフォーカスされていくじぶん を
強く感じるようになった。

 うわべのものではない 底からひかるうつくしさ。
しなやかな強さ と やさしさ。

 わたしもフラを通して もっともっと 身につけてゆきたい。