2013年8月11日日曜日

なつやすみとたんじょうび

 なつやすみがはじまった。

 なつやすみ というのは子どものころから
じぶんの誕生日が近くなるとき というので
すこしトクベツな感じがする。

 なつやすみ1日目は トモダチ2人を家に呼んで
みんなで浴衣を着て飲んだくれる というすばらしい企画により
幕を開けた。

 これまで 何かを得たら 何かをうしなう という考え方や
変化すること 変わること というものにも なにかしら
抵抗を感じていて 変わってしまう のではなくて
これまで持っているものに何かが加わって(あるいは反応して)
変容するのだ みたいなことを言ったりなんだりしていた。

 でも。 ここ最近もんのすごくわかってきたのは
何かを得たら 何かをうしなう というのはほんとうのことだ
ということと ひとはやはり 変わるのだ ということだ。
まぁ 変わらないし 変わるし なんだけどもともかく。

 わたしが思っていた 変容する ということには
あまい幻想みたいなものがたぶんにふくまれていた。
そしてその なんかこう 実は地に足がついていない
すっからかんな「あまい幻想」は わたしを世の中から
どこか遠ざけたり 妙なところにはまりこませたりした。
でも そのおかげで なんとか生きていたりもした。

 いまやわたしは ようやくその あまい幻想 から
外に出はじめたところなのだな とおもう。(40と1歳を前にしてようやく)

 わたしはなんどもここで言っているところの「おまつり」を
終えたあとも あまい幻想 を引き連れて歩き
いつもどこかで何かを期待したり 認められようとしたりを
繰り返してきていたのだとおもう。 その集大成としての正月と
あと その後の煮え切らなさ があったようだ。

 人生はあたらしい局面を迎えていて
わたしはなんだかほんとうに 変わって しまった。
わたしだけでなく わたしをとりまく周囲も。
あ、それはわたしが変わったからだけど。
(かつて言っていたところの)変容 などという
なまぬるいなにか ではなくて もうほんとうに。
すっかり 変わってしまった とおもう。

 わたしは得たし わたしはうしなった。

 その強烈な事実を これからまたたくさん
実感してゆくのだろうとおもう。 

 なにごとも そのとき にならないとわからないし 
それとして経験できないものだ。

 さぁ。わたしはこの あたらしいところで
これからどのようにやっていくのだろう。
すべてはあたらしく しかし すべてはわたしのこれまでがなければ
つくられていないもの。 

 あと19日でわたしは41歳になるけれど
ことしの誕生日のタイミングは ほんとうにほんとうに
誕生日 という感じがする。

 わたしはきっと ひとりでケーキを買ってお祝いするだろう。
おめでとうわたし と こころからにっこりわらって
ケーキを食べるのだろう とおもう。

 

 

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