2012年10月23日火曜日

笑ってあげる

 THE HIGH-LOWS のうたの題名である。

 「きみはわらわれた ことがないんだろ
  わらってあげる わらってあげる
  みけんにしわを よせてる きみを
  わらってあげる わらってあげる」

てな具合の歌詞が出てくる。

 わたしはかなり プライドが高くて
の わりに努力とかあんまりしないし たいそうな世間知らずで
まぁいわば こまったさん というような感じで生きてきたとおもう。

 まわりがどう思うか より じぶんがどう思うか ということに
いつだって興味の中心はあったけれど でも いつも
笑われたくない と おもっていたとおもう。
かなり強く。 とても 強く。

 けれども気がつけば 世間知らずだし言ってることはおかしいし
非常勤だしばついちだし子どももいないし愛だの恋だのいまだに言ってるし
で もうどこからどう扱っても痛い四十路のおばさんと相成っているのである。

 笑われたくなくて 格好つけて避けてきたようなことが
たくさんあって 机上の空論みたいなことや妄想だけで
切り抜けてきたことばかりが 積み重なっていた若い頃だった。

 なんとかそれでうまくやって 30代後半をむかえた ような
気持ちでいたけれど おまつりがやってきて
わたしは結局 避けてきたこと 笑われてしまうようなことを
ごっそり経験することになった。




 悪あがきをしたときも 笑われたくないとか 思っていた。
下手すると産めちゃうくらい若いあのひとに あのばばあ痛いとか
俺の若気の至りだった とかなんとかいって じぶんがやってることを
笑われたくない と どこかでうっすら思ったりもした。
やってることの意味を わかってほしいとかなんとか。
おかしいことじゃないといってほしいとかなんとか。

 が。

 笑われてももういいっていうか 笑われるくらい
突き抜けてやり抜くことが わたしには必要だったし
笑われてなんぼなんだろうないまこれは とも わかっていた。

 そんなわけで 笑ってあげる を聴くと
耳が痛い と同時に ちょっと清々しい。

 やっと笑われる勇気が出たじぶん という側面も
大いにあったのだから。 悪あがきには
そういう意味もあったとおもう。

 とか 書いて振り返ってまとめないといけないくらい
わたしにとっては 大きな出来事だったとおもう。

「日々の煩悩の なかで気づかなきゃ
 けっきょくなんにも わかりゃしないだろ」
「きみはわらわれた ことがないんだろ
 わらってあげる わらってあげる」 

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