2014年11月29日土曜日

言い訳としての

 ここ数年ですっかり変わってしまった
というようなはなしばかり ここではしていて
でも もちろん 変わらないこと もたくさんある。
あたりまえだけど。 そして すっかり変わってしまった
というようなことも ある日突然 がらがらと
という変わり方とは違っていたとおもう。
がらがらと音を立てて と言いたくなるくらい
短いあいだに気付いた変化であったとしても。

 変わったり 変わらなかったり で 全般的には
わたしがその時々に そうあるしかないわたし
となっていくわけで。 そうしたときに 変わる
ということにわたしはかつて とても抵抗を感じていた。
すっかり変わる ということがおそろしく
うそくさい感じがして わたしはこれまでずっと連綿とあったわたし
を 見失いたくないとばかり思っていた。

 でも なぜ抵抗していたのかといえば
変わるのがおそろしい というよりも 変わる勇気や
変わるまえとしての いまのじぶん を動かす勇気がなかった
というほうが強かったのでは と思うのだ。

  動くこと をおこなわない言い訳 というのかな。
動こうと動くまいと どうしたって何かは変わっていくし
なるようになっていくのにね。

 動くときには動いてみるようになって
あたらしいことがたくさんあって わたしがいまのようになって
こわがらなくても わたしはずっとわたしだとわかったし
変わる ということを目の敵にすることはない
ともわかった。

 かといって 変わろう とするわけでもないし
わたしはとにかく 目の前のことを感じたり考えたりおこなったり
そうすると 変わったり変わらなかったりして
結果 わたしはある意味ちゃんと わたし になるという方向に
変わるのだ。

 あぁわかりにくい日本語。 でも そうなのよ。
変わったり変わらなかったり なにがあっても
ちゃんと わたしはわたしだ。

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