2014年3月11日火曜日

母の子であり しかし わたしはわたしである わたし

 かつて母親に猛烈に説教したことがあった。

 うちの母は 天真爛漫 を絵に描いたようなひとで
そのことで得も苦労も両方してきたんじゃないかな とおもう。
そして わたしはその天真爛漫さがうらやましく
同時に憎く わたしはそのせいでしっかりしなければならないじゃないか
とか勝手なことを思ってきたのだった。

 説教をしたのは その 天真爛漫さ ゆえのずるさというか
「だってわたしよくわからないから言われたとおりにしてるもん。
なのにどうしてそんなにおこるの?どうしたらいいの?」
みたいな その態度のことだった。

 母はそのころ、周囲の友人たちとあまりうまくいかなかったようで
その愚痴?をわたしにこぼしていたのだ。 
そのときに母の口から出たのが上記のようなことで
要約すると「怒ってるみたいだから言われたとおりにしたのに
もっと怒られて意味わからない」というようなことだったのだ。

 わたしはそれを聞いて、その「わたし悪くないもん」
「言われた通りにしてるよ?よくわかんないけど」
みたいな態度が相手を猛烈に怒らせているんだろうなぁ
というのがわかって それを説教したのだ。
母にはいつもそういうところがあった。 
わたしはアタマがわるいからよくわからない、から
言われた通りにしてますよくわかんないけど ていう。

 相手のひとは 母のその主体性のなさ や
天真爛漫ゆえに多くのひとに大目に見られたり
かわいがられてしまう感じ が腹立たしくて仕方がなかったのだろう
とおもう。 うらやましい も入っていたのではないか。
それはわたしも同じだったとおもう。
母のその感じが腹立たしかった。 そしてすこし
うらやましくもあった。

 が。 わたしにも同じようなところがある と
あるときから気付いてしまった。

 まえにも書いた 触媒ぽいところ というのは
そのあたりでもある。 わたしは思ったより容易にその相手の感じと
するする溶け込んで 感じを増幅させてあらわすことに
たけているのだとおもう。 そして それは同時に
かなりの主体性のなさ でもあったのだろう とおもう。

 わたしも同じようにしていたのだろう。
母とは出し方がすこしちがっているけれど。
相手の出してきたなにか を増幅させてあらわしてゆく。

 なので 最初のころはいいのだそれで。 でもそのうち
わたしのその感じが とても腹立たしく思えてきたり
するのではないかな と。 相手のなにか をあらわしているからでもあり
それをあらわしうる わたしの主体性のなさそのもの が
感じられるからでもあり。

 

 言われた通りにしただけなのに怒られた
みたいな かつて母がわたしに訴えたことと
おなじようなことをわたしは思いそうになったりしていた。

 でもそのこと自体がわたしが反省すべき点であるのだ。

 あ。でももちろん(とか言っちゃうあたりがじぶんに甘い
のだとおもうけど) 相手の課題もあって
その投影である部分も あるとはおもっているんだけど。


 ともかく。必要なぶんだけきっちり反省して
在り方を改善していきたい。 母がすでに警告してくれていた何かを
わたしは活かすことができなかった ともいえるし。

 あとから思えば 伏線だらけだけど でも
わたしがほんとうに気付く準備ができたときでなければ
気付くことができないのだものなぁ。

 母に似ているところは ある。 
でも 母は母だし わたしはわたしだ。 
だから わたしはわたしで しっかりこのことを
わたしの性質を これからも点検して気付いて
ほんとうにわたしのものに していこう。


 

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