2020年1月21日火曜日

こどもじみた傷つきを垂れ流す

 かつてとてつもない未来だと思っていた2020年。
1980年になったとき、新しい時代が来てしまった!と
思ったことを鮮明に覚えているのだ。
小学校1年生だったんだなあの頃。
あのとき家にあったカレンダーの1月が、干支のさるが
はちまきしてランニングに短パン姿で聖火を持ってる
ていう絵だったんだよ。新しい時代!と思った
80ていう響きと、さるのランニング姿のギャップ。
40年前のおれに強烈な印象を残したものである。

 という2020年だが、その40年以上越しの夫婦の何かを
いまものすごい勢いでどうにかしようとしている
うちの両親である。特に母。

父も母も向き合えない感じのひとなんだな
とは思ってきたので、まぁいつになろうと
頑張っていただければいいんだけれど、
わたしを巻き込まないでほしい。 というのは
ずっと言ってきたし、聞きませんよ、
って何度も宣言しているのに垂れ流す母。

つらかったんだと思いますよ。そりゃ。
病気になるわ夫は浮気するわ誰にも話せないわ。
この場合の「わ」は「は」なのか?
ていうのはいいけどともかくですよ。

で。あのね。むかしからうすうす気づいてたんだけど、
わたしの名前、愛人の名前と一緒なのね。
漢字は違うけど。ひどくない?

おそらくおのれを守るためにわたしはずっとそこには
気づかぬふりをしてきたし、無視してきたけど、
もしかしたら、すでに父はそのとき
その愛人となるひとと知り合っていたかもしれず、
わかっていてつけたのかもしれないのである。
いちいち確かめませんけど。でももしかしたら
この先母が垂れ流してくるかもしれないけど。

こんな屈辱ある? って思うけど、まぁ
どんな名付けであっても
それなりの意味を込めてつけてくれたわけで
わたしはわたしなのでね。汚い!とかではないんだけど。
でも、ちょっとかわいそうだわぁとは思う。

もし、愛人の登場はもう少し後だとしても
そこから先の 母のわたしへの思いは
ものすごいアンビバレントだっただろうな
というのは想像にかたくなく、
全部を言ったわけではないにしろ、
10歳あちこちくらいの小さかったわたしに
ぼろぼろと父のことをこぼしつづけ、
わたしに愛人が出るとわかっている場所に
電話をかけさせたり、などしてきたのは
わたしの名前が愛人と同じだったからじゃねえの?
という気持ちにすらならなくもないのだった。

てのは前段階で。
あのふたりの間に起きたことのからくり的なことを
わたしは分析するしかないんだよね。

大人になってからは、母が天真爛漫で裏や闇をまったく表に出さない
というのが父としてはしんどすぎて、外に女をつくるしかなかった
みたいな図だけを考えていたんだけど、
父のダメさ、みたいなのもあるわな、と。
父も、気持ちのやりとりとか、そういうのがすごく苦手だ。
母とやりとりがちゃんとできてない。母に求めるものを
ゆっくり伝え合うみたいなことは一切できなかったんじゃないか。
母も、自分の中に悪を持つことができない。だから外在化する。

父は女性の娼婦性みたいなものとか、その手のものを
愛人にぜんぶ投げて外在化し、あの愛人と母は
申し訳ないがふたりでひとりみたいなことになってたと思う。
だから今でも続いているんだろう。あの愛人がいなかったら
父はもっと早くとっくにどーかなっていたかも。
だから、母とそのへんが話せるようになってきて
父はどーかなるかもしれない。でもそれも父の人生だ。

母はいまだに悪を外在化し続けている。
盗まれる という事象もそのひとつだと思う。
母はずっと何かを盗まれ続けるということで
自分の 善 や 天使性 みたいなものを
守ってきていることにもなる。
父が言葉の暴力をふるった、愛人のいうことばかりを信じた、
自分が病気になったから父が女に走った、
ていうのしかないんだよね。おのれを振り返り
自分がどうしたかった、どうしたい、というのが
なんかもう全然ない。

母が悪くてお父さんのことを悪くいうけどごめんね、
でもお父さんに優しくしてねおねがい、
とかいうものすごい矛盾したメールを送ってくるんだけど
あのひとちっとも自分が悪いと思ってないんだ。
まわりがひどいのに耐えられない私かわいそうでもごめんなさい
っていう間違った反省をおこない、それでもわたしに
お父さんに優しくして って命令して
じぶんを正しいところに置くのよなー。

父の所業つーかバカでひどい行動のあれこれを知ったら
きっと自分の味方をしてくれる って思ってるんだろうな。
もうそういうの超えてるんですけど、っておもう。

父で母だ っていうそれ以上でも以下でもない。

きっと母の望みは、「お父さんがひどいね、あんなのないよね、
お母さんたいへんだったね、お父さんのことはいやだけど
かわいそうだから優しくするね」っていうふうに娘のわたしに
言ってもらえることなんだとおもう。

父がわたしに優しくされているのを見て、
「でもほんとはあの子、あなたの悪事を知ってて
あなたを許してはいないんだから」って
優越感を無意識に持ったり、
わたしが少しでも父に厳しくしたら
「ごめんなさいね、お母さんがダメだから」って
悲劇のヒロインぽくないたりすることなんだと思う。
そうして父に対して壮大な仕返しをしたいんだと思う。

申し訳ないが、そう思う。

けど、わたしはその計画には乗れないのだ。

あなたの気持ちの整理はお願いだから専門家の力を借りて
やってくれ、と思う。

あのひとたちはどこまでも夫婦だと思う。
やっぱり何かの課題があるから一緒にいるんだな。

で、それはわたしが背負うべきことではない、とおもう。
わたしはもう 子がおらない という運命を背負ったから
もういいでしょう、っておもう。わたしのことをちゃんとやって
世の子を育てる世代の何かの役に立つような何かになることが
わたしの人生だ。

さようなら お母さん お父さん。
物理的には手伝うけど、精神的な課題は
きっちりふたりでやりきってほしい。
そういう意味での さようなら である。

垂れ流せてちょっとすっきり。
わたしだって傷つくのだ。なんで同じ名前にしたんだ
あるいはどうして同じ名前なんだ。
そして、あなたたちの人生の課題は、あなたたち自身でやれ。

こうしてさようならってやったことで、
仮に 母が絶望したとかいって自殺 とか
父がおのれのしてきたことを受け入れきれずに認知症に
とかなったときにわたしは後悔するだろうか。
どんな気持ちになるのかはそのときにならないとわからない。
でもきっと、やっぱり、さようならってやるほうがいいよって
今のわたしに言うだろう、とおもう。

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