2013年11月7日木曜日

あくびがでちゃう

 わたしがどんなしごとをしているのか ということを
いや というほどみせつけられるときが ある。
わたしはこのしごとで ひととひとが 出会い
そして 通じ合おうとすること の原型みたいなもの
そのことがもたらすちからの ちっぽけさと 同時に 偉大さを
つよくつよく感じざるをえない。

 ちからをつかう というのがどういうことなのか。

 わたしはしごとのうえで とても辛抱づよい。
プライベートではどうか。 わたしの辛抱づよさは
相手を信じることに基づいていないことが
多々あったのではないだろうかとおもう。

 れんあいが ことごとくうまくいかなかったのは
そういうことなんじゃないかなぁ とおもう。

 仕事とプライベートはちがうけど
やっぱりちがわない と最近はおもうようになった。
表面的にはちがうけど ひとに対することへの本質は
おなじことなのだった。そんなあたりまえのことに
いまはじめて みたいに 深く深く気がつく15年目。

 わたしは最近になってようやく ほんとうの意味で
あいてのちから の可能性に賭けたり それを信じたりすることが
実感としてわかるようになってきたようにおもう。
しごとをしていて そういうじぶんに気がついた。
つまり わたしはこれまで そういうことがほんとうには
できていなかった ということなのだとおもう。
わたしのいう しんじてまつ ということ 
あれは なんだったの?


 よくわからないけど わたしはかわったのだろう。
わたし をまるごとかけないと しごとができない。
その わたし の在り方が やっぱりとても
かわったのだ とおもう。 あのころは過ぎた。
あのころだからこそ あのころのことごとが
わたしのもとに生じた。 いまなら ということは
意味がないのは知っているけれど。

 わたしはこんなふうに通らないと 
こんなふうにはなれなかったのだ。

 あくびがでちゃうね。


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