2014年10月19日日曜日

写真を載せる

 まだまだ定期的に わたし大丈夫だよね? と
あらゆる側面から言ってやらにゃならんくらいには
たよりないわたしである。

 ということできょうもまた懲りずにそういうようなことを
おれは書くのだ。かたかたかた。(タイピングの音な)


 この歳になってというか四十路すぎてからようやく
外見でちやほやされる ということがごくまれに
生じるようになってきた。ジョシ同士のアレとかじゃなくて
初対面の男性とかに という意味で。

 もちろんそういう ごくまれ な場面でも
あわよくば と先方が思っているから言ってるお世辞であるのは
そうなんだけど お世辞でもそんな経験がなかったから
まだそういう事態に遭遇すると ちょっと浮かれる。
でも 浮かれていられるのは 社交辞令よね と
思っていられるあいだだけで。
で ちょっとほんとに言ってくれてるのかな
とおもうと 怖くなったりする。

 まぁ ごくまれ だからそんなにたくさん経験はないけど
でもそんなふうに言われても こっちはそこまでそのひとを
いい とは思っていなかったりするともうダメで
どうしたらいいんかな と 思ってちょっと居心地がわるいような
そんな感じになる。 そのひとに対して
こっちがニュートラルなのであれば そのひとの好意を
とりあえずありがたく享受しながらじぶんがどう感じるのか見極める
ていうのできっといいんだろうけども
そういうことがどうしてもできない。

(ちょっと前まではもっともっとダメで
いいように扱われるとのぼせてわたしもそのひとを好きかもくらいに
すぐ 思っていたわけだけど。つまりそこは抜け出した わけだけど。)


 ところで。 自撮り という行為がありますね。
そしてそれを SNSにうpする という行為もありますね。
頻繁にされる方 いらっしゃいますね。

 そうしたひとがSNS上の友達にいるのだけれど
そのひとが 自撮りはただの見て見て!ちゃんじゃなくて
じぶんをあらゆる角度から冷静に見つめるためのもの みたいな
そういうことを言っていたわけだけれど
たしかにそういうふうにやってるひともいるのかもしれないけど
わたしはそういうふうにはならないなー と思った。
わたしは自撮りはほぼしないけど、じぶんの写真をSNSに載せるときは
じっさいのところ ねぇけっこうよく写ってね? とか
いまのおれむかしよりましじゃね? っていうのを
見てほしくて載せてるところがまったくないとは言えない。
だから 褒められたら そんなことないよ〜 じゃなくて
ありがとう! て言うけどな。ぐへへ。

 もし 自撮り写真をみんな載せるように なんて ことがあったとしたら
きっとわたしは自撮りを じぶんでも気付かなかったじぶん
じゃなくて わたしがいいとおもうじぶん になるように
なんども撮り直すなどするであろうとおもう。


 何が言いたいのかよくわからん感じになってるけど
えーと。 わたしはじぶんの顔がましになってきている若いときより
と思っていて、それをあらゆる方法で確認しようとしてしまっている
ということなのだな とおもう。 プレイです。つまり。

 もしじぶんの外見を 確認しなくてもいいくらい
認めることができるようになっても わたしはたぶん
自撮りを  あらゆる角度から見つめる ためには
できないような気がする。 それを公開する時点で
ひとの目にどう映るか ということは意識されているわけだから。

 
 てことで。 いまのわたしがじぶんの写真をSNSに載せるのは
わたしがまだ あらゆる方法でじぶんの外見を確認しなければ
気が済まないから だということだ。おそらくそういうことだ。

 ちやほやされていい気になったりうろたえたりすることも
世間的にはバカみたいだろうけど わたしにとっては
いま経験すべきミッションだから起こっているんだろう きっと。

 起きていることはぜんぶ きのうのエントリに書いたことも
きょう書いたことも そのほかもぜんぶぜんぶ
いまのわたし がみっちりと詰まっている何か なのだ。たぶん。







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