いろいろ考える。
いままでのこと いまのこと これからのこと。
とくに わたし的に最近の懸案事項である 恋愛のこと。
残念ながら わたしはとても惚れっぽくて
ちょっといいな と思ったら まぁなるようになってもいいか
とか思ってしまいがちだし 実際ちょっと強引なひとが相手だったら
痛いことになってしまってもおかしくない。
たまたま わたしがあんまり遊びが得意じゃなさそうな見た目だから
という理由で そこまで面倒なことになってないだけで。
このたび もう縁はないんだろうな とおもいながら
メールだけで続いてたひとと いちどようやくふたりで会ってみて
会ってみたら わたしとしては ふたりで会うまえより
印象はよかったんだけれど でもきっと 先方としては
そこまでわたしにいい印象を持ってるわけではないんだろうな
とも感じていて でも だから 切ってしまう みたいなこともできず
潔くないわたし。
お互いオトナだから めんどうなものは切ってくれるだろう
という考え方もあるけど オトナだから めんどうでも
とにかく失礼のないように というふうにする という考え方もある。
きっと先方は 失礼のないようにフェイドアウトできたら っていう
そういう感じなんだろうなぁ なんて 思うんだけど。
ちょっとだけ さみしい。 でも こんなかんじで
ちょっとだけ ときめいたのもほんとうで
そういうじぶんがいることは すこしだけ うれしい。
さみしくかなしくざんねんである裏で。
言ってることが四十路じゃないよねこれでは
と思います。おもうけど でも もうこれがいまのわたしだ。
きっと 何をどうしたところで
縁のあるひととしか 縁があるようにはならないし
縁があるひととは どうころんだって
最終的には 何らかのことになるんだろう と わかっているの。
だから。
いまのこれは いましかないから いま感じていることを
いちみりだって 見逃さずに いま 味わいたい。
バカでしょ。 いいねんそれで。
でも わたしはもっとキレイになりたいし なるんだ とおもう。
2014年7月27日日曜日
2014年7月25日金曜日
くりかえすこと
海の日の連休に 去年も参加した ハーフマラソン大会があって
ことしも高校時代の友人たちと参加してきたのだった。
月のはじめのほうにあった台風のせいで橋が落ちた
とかで、わたしは予定のルートをかえて
現地まで向かわねばならなくなったりしたけど、
なんだかものごとはうまくできていて、
お金がたくさんかかった
ということ以外は いろいろなことがうまくいった。
去年よりずっと、走るのがたのしかったし、友人たちともいろんな話ができた。
まぁ、自由にしすぎてイヤな思いをさせる
というお決まりぽいパターンのことが生じたりも
したのだけれど。
お決まりのパターン というのは、
この場合のことに限らずたくさんあって、
わたしにはまだまだ
抜け切れてない課題が多いのだな とわかる。
昔より軽くなったこと、解放されたことはたくさんあるけど、
たぶんそのことをまだあまり信用できなくて、
ちょっと卑屈なところが顔を出したり、
それとは逆に、気を許したところで思いやりや気遣いが
極端に足りなくなったりすることがあるのだ。
でも、わたしに生じたきもちは、わたしのものでしかなく、
だからやはり、これらをすべて、なかったことにせず
やってゆくしかないのだとおもう。
わたしはもっと、自覚すべきことを自覚して
よりわたしを劈いてゆかなければならいな とおもう。
ことしも高校時代の友人たちと参加してきたのだった。
月のはじめのほうにあった台風のせいで橋が落ちた
とかで、わたしは予定のルートをかえて
現地まで向かわねばならなくなったりしたけど、
なんだかものごとはうまくできていて、
お金がたくさんかかった
ということ以外は いろいろなことがうまくいった。
去年よりずっと、走るのがたのしかったし、友人たちともいろんな話ができた。
まぁ、自由にしすぎてイヤな思いをさせる
というお決まりぽいパターンのことが生じたりも
したのだけれど。
お決まりのパターン というのは、
この場合のことに限らずたくさんあって、
わたしにはまだまだ
抜け切れてない課題が多いのだな とわかる。
昔より軽くなったこと、解放されたことはたくさんあるけど、
たぶんそのことをまだあまり信用できなくて、
ちょっと卑屈なところが顔を出したり、
それとは逆に、気を許したところで思いやりや気遣いが
極端に足りなくなったりすることがあるのだ。
でも、わたしに生じたきもちは、わたしのものでしかなく、
だからやはり、これらをすべて、なかったことにせず
やってゆくしかないのだとおもう。
わたしはもっと、自覚すべきことを自覚して
よりわたしを劈いてゆかなければならいな とおもう。
2014年7月17日木曜日
もたれたいのは
エネルギーをつかう というのはこういうことなのだな
と実感せざるをえないことがここのところ 仕事ではっきりとあって
そうなると ますますいろいろなことを考え 感じ
わたしの機能を決して停止させてはならない という
そういうこころもちになるのだった。
どういうことかというと。
わたしの仕事において エネルギーをつかっている のは
自明のことであるけれど(わたしの仕事に限らずだがな)
わたしの仕事でも多くの場合は、
わたしがこれまで勉強してきたことや
重ねてきた経験といった そういうものの中に
かなりおさまっていて、なので ひとつ終わったときに
ほっとひといきついてあめちゃんをいただく とか
帰りにくだらないこと考える とか なにかそういう
日常的なことでじゅうぶん回復できるくらいの
そういう つかいかた なのだとおもう。
でも そうはいかないもの というのがたまにある。
知識や経験 をつかうというだけでなく、
わたしの在り方 みたいなものを アタマをフル回転させたうえで
しかもこころを総動員してうごかしてぶつける
みたいなことが必要になることが あるのだ。
そういった仕事をしたあとは あれだけ覚醒していたはずなのに
もうぐったり という感じだし こころは浮遊するし
目はしょぼしょぼするし 身体もほんとうに重たくなって
わたしはもう 現世にいるだけで必死 みたいな
そういう状態になるのであった。
こういう状態になることで防げているもの
守れているもの 感じられるもの もあるし
そのくらい やっている という感じもあるけれど
でも そこで思考停止してしまうと わたし を終わらせてしまうと
もうそれは 単なる自己満足で なにひとつ
相手に通じる回路が残らないような そういう事態に
どんどんなっていくのだろう とおもう。
わたしの在り方 わたしの全存在 をつかうことがあるときは
いつも以上に わたしの機能 を止めてはならない とおもう。
知識と経験の範囲を超えているから わたしはわたしのメンテナンスを
わたしのいま を これまで以上に つねに感じ続け そして考え
流れのなかをゆくことが求められる。
苦しいけれど わたしはこれを選んだ。
あぁもうだからなのかな
わたしはちょっといま だれかの肩にもたれたい。
こんなとき すこしだけ そういう時間を持つことができる
愛するひととつながりたい と ほんとうに思っている。
そうしてもっと わたしがわたしになることに
相手が相手になることに そのことにちからを使える
サウイフモノニワタシハナリタイ。
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