2014年1月19日日曜日

ひらいてゆくこと

 あぁ そうだったのか 
とおもうようなことが いろいろと起きて
起きなきゃよかったことだって それはあるけど
でももう すべて あるべきように とにかく起きている
のだろう。 でもそれは わたしがまだ
そう言えるくらいのことしか 経験していないからだ
ともおもう。 わたしの人生は 繰り返したくはないけど
でも とてもぬるいとおもう。

 ぬるいけど。 とりあえず いま きょうこのときまで
こんなふうに生きてきて たった2年くらいのあいだに
あらゆることが音を立てて めまぐるしく変わっていって
このくらい 変わらないと わたしはわたしのことに
あんまり気がつかなかったし 気がついたつもりでも
まだ かつてのやり方をそのままおこなってしまいそうになったり
ということもあった。

 そして はっきりといえるのは
わたしはまだ わたしがいちばんたいせつだし
じぶん以外の誰かをたいせつにおもう ということを
ほんとうの意味では知らないまま こんな歳になってしまった
ということだ。

 まだ と書いたけれど いつかわたし以上に誰かをたいせつにおもう
なんていうときがくるのかも わからない。
こないかもしれない。 

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 こどもの頃 両親を見ていてある日 このひとたちは
じぶんたち自身よりもわたしのことがたいせつなのか
と気付いて驚き、いつかわたしもこどもをもって
そういうこころもちを味わいたい そういうわたしになりたい
と思ったことを覚えいてる。 かならず こどもをいつか
ひとりは産んで育てたいと。

 けれど それからもうすこし育って
こどもを産むことができる年齢になってゆくにつれ
わたしはそのことがとてもこわくなってしまい
なんだかんだと理由を付けて こどもをもつ ということから
遠ざかってしまった。 親とじぶんとの関係をまた
繰り返してしまうかも とか 求められていない とかなんとか。

 そうしているうちに もう40歳を過ぎてしまって
よほどのことがないかぎり こどもを産むことはむずかしいときを
わたしは迎えてしまった。

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 わたしは じぶんのことがいちばんたいせつだ ということを
いつまでも手放せずにいて こんなふうになっているのかな
とおもうことがある。もしくは それを手放してゆく準備すら
整えられないほどに じぶん に執着していたのだろう とも。

 その証拠に わたしは こころからだれかをあいする ということすら
できたことがないとおもう。わたしがなんとなく 恋愛から遠く
縁がないのは わたしがひとりでたのしそう とか
かたい とか かつてじぶんをふためと見られぬ不細工とおもっていた
とか そういうことだけが理由ではない ともういいかげん
はっきり気付いていいとおもう。

 わたしが わたしに固執して ぎゅっと閉じていて しかも
求めてばかりいるにんげんであることが どこか漏れ出ていたのだろう。

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 しかし じぶんをひらく という感じを
わたしはすこしずついま おぼえていて
もしかしたら このままずっと 恋愛という範囲では
だれかをあいしたり あいされたりすることなく
過ごす運命かもしれないけれど けれど
もうすこし 愛 ということには 触れてゆけるのではないかな
というふうには おもっている。

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 こどもを産みそだてる というしごとは 
世の中でもっとも尊いしごとである とほんとうにおもう。
そのことに参加できないでいるからなおさら それがわかる。
これから先 わたしにその機会はない可能性のほうが高いけれど
機会があるかもしれない。 もうなにが起きるかは
ほんとうにほんとうにわからない。

 わたしは だれかをじぶんのこと以上にたいせつだ とは
思ったことのない ざんねんな人間だけれど
これからできることをして あるべきやう に近づけるように
開いていこう とおもう。 



 

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