2014年8月29日金曜日

たびするということ

 旅をしてきたのだった。
3年前には 当時つきあっていたひとと行った、
芸術祭に湧いていた あの瀬戸内の島々に。
こんどは 高校時代の友人とともに。

 行ってみて、3年前のあの旅は
今回のための予習だったのかなぁ とすら思えた。
あのときでは体験できなかったものを わたしは体験した。
それから、3年前のその旅の途中で知った
恩師の訃報のこともわたしのアタマにはあったから
せんせいのことも 存分に思い出したりして。


 今回の旅はあらゆることが奇跡のようにうまくいった旅だった。
ずっと傘マークの天気予報だったのに
一度も傘をひらかずにすんだ とか
美術館までのバスがないようどうしよう
という事態が 偶然のいろいろにより解消された とか
宿についたとたんどしゃ降り とか
ちょっとのサイズの違いの組み合わせにより
トモダチとわたしのスーツケースがひとつのコインロッカーに
ぴったりおさまった とか
ともかくいいタイミングでいいことが起き
なんというのか その場に委ねていたら
そのままひらけていった という そんな旅だった。

 トモダチとわたしの 旅に対してのスタンスや
行動するペースが似ていたことも幸いした。
彼女とわたしは高校時代の同級生で けれど同じクラスになったことはなく
唯一の接点は スキー学校でおなじ班になった という
ただそれだけのものだった。
だから、卒業後会うことは去年まで一度もなかったし
連絡をとることだって もちろんなかった。

 オトナになったわたしたちが再会することになったのは
世の中の例に倣ってFacebookで、たまたまお互いちょこっと走る
ということで 小布施のハーフマラソン大会に出よう と
盛り上がったその中にいた というのがきっかけだった。

 去年ことしとともにハーフマラソンを走り
Facebookで近況にコメントなどしあう ということを
していたのだけれど ひょんなことから今回の旅を
ともにすることになったのだ。

 当時ももう少し何かあれば 仲良くなったのかもしれないけれど
きっと いまだからこそ の関係なのだろう ともおもう。
いま お互いいろいろを経て むかしよりは
じぶんの中にある なにか をちょうどいい具合に表現したり
しなかったりすることをおぼえて だからこそ
通じ合えるところがあったのかもしれないな などとおもう。

 特にわたしは 高校生当時からとても閉じていたし
最近のわたしでなければきっと こんなふうにともにいることは
できなかったのではないかなぁ とおもう。どうやらやはり
わたしはずいぶんと ひとに対して ひらいてきた
のだろう。

 そのことが 今回の旅に いい影響をもたらした
というか 旅がもたらす何かがわたしをより
彼女に対してひらいた態度にさせたし
そのことがまた 旅という場にわたしをひらかせたのだ
というような。

 今回わたしは3年前よりずっと 島々がわたしを
受け入れてくれている ような気がしたし
わたしも島々のなにかに わたしを委ねることが
できたように思っている。 すばらしい体験だった。



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 たびするということ は わたし という存在を
その場にゆだね その結果に対してみずからをひらいてゆくこと
なのかもしれない。そのことで その場の風景や 風や 空気や
とにかくあらゆるものがわたしとの交感を果たし
わたしの奥に なにかがそだち わたしの核がまたできてゆく。
そんなことをほんとうに感じられたので 
旅をしてほんとうによかった と こころのそこから
おもうのだ。 
 
 この旅をともにしくれたトモダチには感謝しかない。
いまのタイミングを逃さずいられたことを忘れない。

 こうしてわたしはすすんでゆく。もうすでに3年前のわたしは
ずっと過去の なつかしいかわいいだけの存在に なっていた。




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