2014年8月4日月曜日

期待しない

 いつになったら期待しないでいてもらえるようになるんだろ
と思っていた。 あるいは 思っている。 親に なんですけどね。

 もういい加減いろんなことを あきらめてくれたのかな
とおもっていたけれど あんまりあきらめてくれていなくて
心配以上の何か を目の前に持ってこられて
わたしはじぶんが信じているわけではないものを
たいせつなもののようにおもいこむべきなのか と
ほんの一瞬でも 思いそうになった。

 のだが やっぱり わたしがたいせつにすることは
そこにはないし 申し訳ないけれど わたしはわたしが信じる道を
これからもいくのだろう とおもう。 親が反対しても。
反対するようなことをすることが間違っている という考え方もあるし
できれば反対されないような今後でありたいけれど
でも 期待通りのなにか を示すことはやっぱり わたしにはできないな
そうしてしまったら わたしはわたしを殺してしまうだろう と
いまはおもう。 勝手をする とかではなくて。

 それでね。

 いつになったら期待しないでいてもらえるようになるんだろ
というのはつまり わたしから親への期待なのだ。
だから それも 意味のない思いであるなぁ と先ほどようやく
しみじみと感じ入ったりして。

 期待しないでほしい というのは あきらかに わたしの期待。
わたしがどう思ったって 親は親の思うように思う。
それはもうどうにもならない。 だから それをわたしがどう扱うか
どう受け取るか どう受け流すか どう対決するか どう対決しないか
という ただそれだけのことなのだ。

 わたしの人生はほかならぬわたしのもので
ただやるべきことをやっていくだけで 選択肢がたくさんあるわけでは
ないかもしれないけれど でもともかく
親の期待に屈した とか 親の期待のためにどうにかした
ということにだけは ならずにいようとおもう。

 どうあっても わたしの人生なのだから。
わたしがわたしで歩んでいる人生 というのを生きてゆくだけ。
わたしがどう考えても 何をどう総動員しても 違う とおもうことには
従うわけにはいかないのだな とおもう。

 わたしがしあわせにしている姿をみて いつか今生でなくても
わかってくれたらいい。 それも期待かもしれないけれど。
でも わたしはわたしでいることを やっぱり選ぶ。

 期待せずに。 わたしがわたしのことに 責任をもって。矜持をもって。
 

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