2013年9月2日月曜日

秋になる夜

 夜の風が涼しくなったからだとおもう。

 またすこし こころぼそいような 
そういうこころもちに なっているのは。 
こういう波を どれだけ越えると
このこころもちが もうずっと過去のものになるのだろうか。

 なーんて。 いうのもまたプレイ、というか
わたしはまだまだ いうてもひとりじゃんバカ という
自虐プレイを 完全にはやめられないでいるらしい。

 
 だれかとつくってゆくものの その途方もない険しさと
けれど ひとりではなしえない輝きと その両方に
わたしは焦がれているのだ。 わたしはそのどちらをも
まだ見たことがない。 そうなるまえに すぐに手を離したし
手を離された。 嘘。 手を離されるよう しむけた。

 アタマでは ともにつくってゆくことを望んでいたけれど 
きっとわたしには まだ準備ができていなくて 
それで ニセモノのあまい何か
糖衣錠のような うさんくさいあまさをまきちらして
そして そんなものはすぐに 粉々にくだけてしまって
わたしのこころのそこから出たのではないあまさは
消え去ってしまった。 わたしが彼らに求めたものは
おなじような ニセモノのあまさだったのではないか。
そんなニセモノがお互い続かないとわかっていたから
苦しかったけれど わたしは 手を離されたことに
手を離したことに どこかほっとしていたのではなかったか。
そして そのことに薄々気付いて それに慄然として
それがまた わたしを絶望(と言っていいかもわからないくらい
ささいなものだったのかもしれない)させたのではないか。

 
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 わたしはうつくしくなった。 おそらく
いまじんせいでいちばんうつくしいのではないかとおもう。

 こうして書かなければならないくらいだけれど
つい誰かに たしかめたくなったりしてしまうけれど
わたしは2〜3年前におまつりがいちばん盛り上がっていた頃より
ずっとずっと うつくしいとおもう。 
わかるひとにはわかるだろう とおもう。

 けれどもしかすると それは単に
わたしがいま ニュートラルな 出発点のようなところにきた
というだけなのかもしれない。

 うつくしくなった ということはつまり
後ろ指さされるような不細工ではない と ようやくようやく
思えるようになった ということで そもそも
そんな不細工であること自体あまりないことなのであって
その 妄想 といっていい呪いから わたしがようやく
解けた というただそれだけのことなのだろう。


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 失恋してすぐに わたしはフラを始めて
今月でもう 1年8ヶ月ほどになる。

 当時いろんなものがぼろぼろだったわたしの
フラは希望だった。 わたしはこれをやらないとダメだと
必死だった。 いま フラはとてもたのしいけれど
しかし だれかとつくってゆく 険しさへの覚悟をまだ持ったことのない
つまり ほんとうには 愛 をしらないわたしに
フラを踊る資格があるのかどうか わからない。

 いつかもっと上手になって 技術の壁以上のことが
たちあらわれるときが来たとして そのとき
わたしには ALOHA を表現するだけの それだけのものが
果たして備わっているのだろうか。 その入り口に立てるのだろうか。


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 いまはひたすらただ 踊るしかなく
ただひたすら 目の前に起きることすべてを
貪欲に経験してゆく という ただそれだけなのだ。
愛 はいつかついてくるのだろう。 時がくれば。

 もし くることが必要であるならば。


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 ほんとうに だれかとつくりあげることを
ニセモノではないあまさを わたしはこころの底から
にじみ出させることができるだろうか。

 その愛を持っているかどうか 
その愛を経験するに値するにんげんなのかどうか
というのが わたしの次の課題なのだろう とおもう。





 

 

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