あれよあれよというまに でも かなりの密度で
わたしのじんせいという時間は流れてゆくのだった。
あぁかみさま(の、ようなもの)。
ほんとうに ゆくかわのながれはたえずしてしかももとのみずにあらず
なのですね。 出会うひとたちとの関係も
近づいたり また離れたり また近づいたり さらに深まったり
でも いやおうなく引き裂かれたり などなど
まったくおなじでいることはないことを 強く感じる今日このごろだ。
なんていうのか そのときそのときの その局面を
わたしは そのときにしかないやり方で そのときのわたしで
しっかり受け止めて こつこつやってゆくしかなくて
というか そういうことこそが人生であることを
あらゆる深度で実感してゆく日々を過ごしているのだ。
流されること と 流れてゆくこと というのは
似ているようで圧倒的に違うので これからも
流されることなく流れて(・・・まぁたまには
流されちゃうこともあろうけれども)わたしにしかないじんせいを
やりぬきたい。
3年前のわたし と いまのわたし はきっと
たたずまいからなにから 全然違うんじゃないか とおもうけど
ほんの3ヶ月前のわたし と いまのわたし だって
びっくりするほど違っているのだ。 そのくらい
せかいは かみさまは わたしにいろんなことを見せてくれていて
いろんなことがあって いろんなひととのいろいろな関係が
めまぐるしく動いていて いまこの瞬間にも動いていて
これまでもそうであったことを わたしは気付かずにいただけなのだ。
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