2013年6月24日月曜日

ながれゆくわたくし

 あれよあれよというまに でも かなりの密度で
わたしのじんせいという時間は流れてゆくのだった。

 あぁかみさま(の、ようなもの)。
ほんとうに ゆくかわのながれはたえずしてしかももとのみずにあらず
なのですね。 出会うひとたちとの関係も
近づいたり また離れたり また近づいたり さらに深まったり
でも いやおうなく引き裂かれたり などなど
まったくおなじでいることはないことを 強く感じる今日このごろだ。

 なんていうのか そのときそのときの その局面を
わたしは そのときにしかないやり方で そのときのわたしで
しっかり受け止めて こつこつやってゆくしかなくて
というか そういうことこそが人生であることを
あらゆる深度で実感してゆく日々を過ごしているのだ。

 流されること と 流れてゆくこと というのは
似ているようで圧倒的に違うので これからも
流されることなく流れて(・・・まぁたまには
流されちゃうこともあろうけれども)わたしにしかないじんせいを
やりぬきたい。




 3年前のわたし と いまのわたし はきっと
たたずまいからなにから 全然違うんじゃないか とおもうけど
ほんの3ヶ月前のわたし と いまのわたし だって
びっくりするほど違っているのだ。 そのくらい
せかいは かみさまは わたしにいろんなことを見せてくれていて
いろんなことがあって いろんなひととのいろいろな関係が 
めまぐるしく動いていて いまこの瞬間にも動いていて 
これまでもそうであったことを わたしは気付かずにいただけなのだ。 


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